小畔四郎


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  • 小畔四郎(こあぜ しろう)

    小畔四郎(1875年〜1951年)。陸軍中尉。退役後、近海郵船神戸支店長、内国通運専務、石原汽船顧問などを歴任。

    南方熊楠(1867年~1941年)とは那智の滝のもとで出会って親しくなり、熊楠の粘菌研究の門弟となります。
    第一の高弟として熊楠の粘菌研究を助け、生活上の援助も行ないました。

    熊楠は小畔四郎に「粘菌大王」の称号を贈っています。

    小畔四郎が大正15年(1926年)に摂政宮(後の昭和天皇)に粘菌標本を献上したことが、後の昭和4年(1929年)の田辺湾での熊楠の昭和天皇への進講へとつながりました。

    小畔四郎が粘菌標本を献上したときの表啓文「本邦産粘菌諸属標本献上表啓」



    小畔四郎

    南方熊楠の手紙:履歴書(口語訳1)
    前日、小畔(こあぜ)氏より手紙が来て、 あなたが小生の履歴を求めていて、これを世に公開して同情者に寄付を訴えようと考えてくださっていることを知りました。しかしながら、このようなことはすでに度々友人たち(杉村楚人冠、河東碧梧桐、故福本日南田中天鐘道人など)がしてくださったことで、それぞれその人々の文集に出ておりますが、さしたる効果もなく、ただこの人々の名文で書いた小生の伝記のようなものを読んで熊楠は奇人だなどと申し伝えられるだけに留まり、まずは浮かれ節(※俗謡※)同様の聞き流しとなります。

    南方熊楠の手紙:履歴書(口語訳17)
    例を挙げると、ただ今小生が唯一の専門のように内外の人が思う粘菌などは、東大で草野俊助博士が28種ほど集めたのに過ぎなかったのを、小生は115種ほどに日本粘菌の総数を増やし申した。その多くは熊野産である。さて、知己の諸素人学者の発見もあり、ことに数年来小畔氏が発奮して採集に集中してから、ただ今、日本の粘菌の総数は150余り、まずは英米2国を除いては他の諸国に対して劣位におらぬこととなっている。

    南方熊楠の手紙:履歴書(口語訳20)
    また那智にいた厳冬のある日、小生が単衣に縄の帯をして一の滝の下で岩を砕き地衣(こけ)を集めているところへ、背広服を着た船のボーイのような者が来て、怪しんで何をしているのかと問う。それからいろいろ話すと、この人は蘭を好み、外国通いの船に乗って諸国に通うが、至る所の下宿に蘭類を集めていると言う。奇なことに思い、小生の宿へ連れて行き1時間ほど話した。それが小畔四郎氏で、その頃ようやく船の事務長になったほどである。

    同氏が勝浦港へ去ったのち、小生は面白い人だと思い、せめて1、2日留めて話そうと走り追って井関という所から人力車に乗り、勝浦へ着いたときはちょうど出港後であった。そのとき、小畔氏がすでに立ったか否か船会場へ小生のために見に行った中野才一郎(今年38歳)という和歌浦生まれの者が、このごろ強盗となって大阪辺を荒らし、数日前に捕われたことが昨日の『大毎』紙に見えるのも奇事である。

    それからのち、ときどき中絶したことがないわけではないけれども、小畔氏が海外航路から内地駐在に落ち着いてのちは絶えず通信し、その同郷の友、上松茂氏も、小畔氏の紹介で文通の友となり、種々この2氏の芳情により学問を進められることが多い。

    南方熊楠の手紙:履歴書(口語訳21)
    その頃、小畔氏から3000円ほど送ってくれた。それで小生は妻子もろとも人間らしく飲食し、また学問をも続けることができたのだ。大正9年に同氏と和歌山で会って、高野山に上り、土宜法主にロンドン以来28年めで面謁した。この法主は伊勢辺りのよほどの貧民の子で僧侶となったのち、慶応義塾に入り、洋学を覗き、僧中の改進家であった。

    小生とロンドン正金銀行支店長故中井芳楠氏の宅で初めて面会して、旧識のように一生文通を絶たなかった。弘法流の書をよくし、弘法以後の名筆といわれた。小畔氏と同伴して金剛峰寺にこの法主を訪ねたとき、貴顕等の手蹟で満ちた帖を出し、小生に何か書けと言われた。再三辞しても許さないので、
      爪の上の土ほど稀(まれ)な身を持ちて法(のり)の主にも廻りあひぬる

    これは阿難が釈尊の涅槃前に釈尊と問答した故事によった歌である。また白紙を出して今ひとつと頼まれたので、女が三味線を弾ずる体を走り書きして、
      高野山弘法僧の声をこそ聞くべき空に響く三味線(この画を描いた紙は小畔氏が持ち帰った)

    南方熊楠の手紙:履歴書(口語訳26)
    明治34年に、小生は和歌山の舎弟の宅の雪隠の石壁に、世界中のレコード破りの大きなものを見つけた(直径3寸ほど)。去年の秋、小畔氏邸の玄関の靴ぬぎ石についていたものはもっと大きかったらしい。

    南方熊楠の手紙:フィラデルフィアの顕微鏡(口語訳4)
    チョコレートは小畔氏が神戸から拙妻の妹方へたくさん送ってくれてある。食事などのことは小生の幼時からの交友があるのでその方でどうとでもなるだろう。






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