臨死の病人の魂、寺に行く話(現代語訳)
柳田君の『遠野物語』八七と八八に、大病人の死に瀕した者が寺に詣る途上、知人に逢い、次に寺に入って僧に面し茶を飲んで去ったが、後に聞き合わすと、そのとき歩行できず外出するはずなく、その日死亡したと知れた話2条を載せる。いずれも茶を飲んだ跡を改めると、畳の敷合せへこぼしてあったとある。
寛文元年版、鈴木正三の『因果物語』下に、賀州の牢奉行五郎左衛門が毎月親の忌日に寺へ詣る。あるとき融山院へ来て、それがし煩いゆえお寺へも参らずと言って、茶の間で茶2、3服飲んで帰る。翌日納所に行って「お煩いを知らずにご無沙汰しました。昨日はよくおいでくださいました」と言うと、妻子は「五郎左衛門は立居ができず、昨日今日はとりわけ苦しいので寺参りもできない」と申された、とある。たぶん永くないうちに死んだのだろう。
熊野では、人が死んで枕飯を炊く間に、その魂が妙法山へ詣で、途上茶店に憩いて食事をし、終わって必ず食椀を伏せ、茶を飲まずに去ると言い伝え、したがって食後椀を伏せたり茶を飲まなかったするのを忌む。よって考えると、以前病人が死ぬ直前に寺に行って茶を飲み、死後は飲まないという説が広く行われたのが、分離して後には別々の話となったものか。
また摂妻の父は闘雞神社(県社、旧称田辺権現)の神主だったが、この社は祭礼の日は近郷の民で家内に不浄の女がある者が来て茶を乞い飲んだ。このようにせず祭礼を観ると、馬に蹴られるなど不慮の難に罹る、と話した。これらから見ると、仏教または両部神道が盛んなとき、茶に滅罪祓除の力があると信じられたらしい。
臨死の人の魂が寺に行く話は西洋にも多く、マイヤースの『ヒューマン・パーソナリティー』(1903年版)1巻323頁以下に、大病で起居もならぬ父が、階下に眠らずにいた娘を誘いに来て、見たことのない墓地に連れて行き、ある地点で立ち止まったが、2ヶ月ばかり経ってその父が死に、葬所に行って見ると果たして上記の墓地であり、上記の件の地点に父は埋められた、とある。こればかりでは証拠が弱いが、この他に近親の者へも、睡眠中でなく現実に、この死人のさとしがしばしばあったという記事もある。