厠を尊ぶこと
予が幼かったとき、亡母が常に語ったのは、「厠を軽んじるのは非礼である。昔、泉州の飯(めし)と呼ぶ福家は、その祖先が元旦に雪隠の踏板に飯が3粒落ちているのを見て、戴いて食べたことから打ち続けて幸運を得て、大いに繁昌に及んだ、と。『平賀鳩溪実記』巻一、三井八郎右衛門、源内へ対面のことの条、源内の詞に「この三井家は、まことに日本一の金持ちで、鴻池などよりも名誉の家筋である、云々。およそ富貴人と申すのは、泉州岸和田に住居いたす飯の弥三郎と三井だけと存じます」とある、飯氏であろう。これも厠を敬ったことから、その神が幸運を与えたとしたのだろう。
『和漢三才図会』八一に「『白沢図』に、厠の精は倚と名づける(上の30頁、出口君が引いたのには「停衣と名づける」とある)。青衣をつけ、白い杖を持つ。その名を知ってこれを呼ぶ者は除く。その名を知らずにこれを呼べばすぐに死ぬ、とある。また、室を築いて3年であれば、その中にいない。人を見ればすぐに面を覆い、これを見ると福がある、という。『居家必用』には、厠の神は、姓は廓、名は登。これは庭天飛騎大殺将軍である。触れ犯すしてはならない。災いや福を賜うことができる、と。鬼神がその名をしられて敗れ亡んだ諸例は、『郷土研究』1巻7号に挙げている〔「郷土研究」1巻3号を読む」中の「呼名の霊」〕。廓登はすなわち上に引いた『事類全書』の郭登であろう。
厠神が人を見て面を覆うのは、日本で厠神に見られるのを忌むと言うのに近いが、その面を見れば福があると言うのはこの辺で伝えるところと反対である。熊野のある部分では、今も厠をきわめて清浄にし、四壁に棚を設け、かんぴょう、椎茸、麦粉、氷豆腐などの食物および挽き臼などを置き貯え、上にトウモロコシ、唐辛子などを懸け下す。その様子は一見しただけでは不浄所とは信じられない。予は夜分初めてこれに入り、みずから夢の中にあるのかと疑い、灯りを携えて見回り、また身体諸部を捻り現実と確かめたほどである。後にその辺の人が来る度に子細に尋ねたが、恥じると見えて、一向にそのようなことはないと答える。
去年、酒井忠一子爵にこのことを語ったが、「日向とかにもこのような風習がある地方がある。古、厠をことのほかに重んじた遺俗と聞いた」と話された。件の熊野の山村の俗語で、放蕩息子を罵って「おまえは親の雪隠に糞垂れるべき者ではない」と言うのを考えれば、酒井子爵の言葉のように、厠を家の重要部と尊ぶ土俗もあったのであろうか。きっとかの諸村には多少厠神崇拝の遺風も伝わっていることであるだろうから、再度みずから行って調査したと思う。
ついでに言う。南洋のツイトンガ島民は、死人の魂が諸神に食われ終われば得脱すると信じ、島中で最も重んじられる人の葬礼後、貴族の男60人が14夜続けて死人の墓に大便し、その人々の妻女が来てこれを取り除く。これは死人の魂が諸神に食われて浄化し尽くされたことを表わす。また速やかに得脱するのを促すものであろうことは椿事である(Waitz und Gerland, 'Geschichte der Naturvolker,' Band 6, S. 329, Leipzig, 1872)。
また同巻305頁に、ニュージーランドの人は、死んで楽土に行かない魂は糞と蝿を常食とすると言う。かつてこの世にある幼児を育てようとして楽土より還る婦人が途中、その親族の死霊が住んでいる村を通ったが、彼輩がこれに人糞を食えと迫る。その亡父の霊がひとりこれを制禦し、クマラ根2本を与えて逃れ去らせたが、悪霊2個がなお追って来るのを、件の2根を投げて遮り帰った話がある。
そのことは『書紀』巻一に、イザナミノミコトがすでに黄泉戸喫(よもつへぐい)して、この世に還ることができず、イザナギノミコトがこれを見て黄泉より逃げ出すのを、醜女8人が追ったので、黒鬘(くろきみかずら)と湯津津間櫛(ゆつつなぐし)を投げて葡萄とタケノコを化成し、醜女がこれを食う間に黄泉比良坂(よもつひらさか)にお着きになったのに似ている。ニュージーランドの神話に葬儀がこのように糞に縁があるので、必ず厠神に関する話も行われたことと察するが、予の筆記不備で、ただ今その詳細をするすべがない。
(追記)種々の物を用いて追う者を妨げた話は、ニュージーランドと日本の他にもある。支那には、梁の慧晈の『高僧伝』八に、劉栄の釈玄暢が北虜滅法のさい、平城より逃れ、「路に幽・□を経、南に転じて孟津に至ろうとす。ただ手には1束の楊枝と1扼の葱葉とを持っているだけだ。虜騎逐追して、まさにこれに追いつこうとしたとき、楊枝で沙を撃つと、沙起こって天暗く人馬は進むことができない。しばらくして沙が止み、騎がすでにまた追いつく。ここで身を河の中に投じ、ただ葱葉を鼻孔の中に入れ、空気を通して水を渡る。(元嘉22年)8月1日に揚州に達した」。
欧州では、ギリシアの話に継母が魔質で、1男1女の子供を殺して食おうとし、2人の子供は犬の教えにより逃れたのを魔母が追って来る。そのとき、男の子が小刀を投げれば広原となり、次に櫛を投げれば密林となり、最後に塩を投げれば広い海となって、ついに逃れ去ることができた、とある。スカンジナヴィアの話に、1人の子供が巨鬼(トロル)に追われ走るとき、その騎馬に教えられて3つの物を携える。鬼が迫って来ると、まず山査子(さんざし)の枝を投げればその木の密林が生じ、石を投げれば大岩となり、瓶水を投げれば大きな湖となって、鬼を妨げ、子供は逃げることができた、とある(Tozer, 'Researches in Highlands of Turkey,'1869 vol. ii, pp. 273-274)。スコットランド、インドなどにも似ている話があって、Clouston, 'Popular Tales and Fictions,' 1877, vol. i, pp. 439-443 に委細に載せている。