厠神(現代語訳1)

厠神(現代語訳)

  • 1 トイレの神様
  • 2 印度中国のトイレの神様
  • 3 厠を尊ぶこと

  • トイレの神様

     

     自分の抄録中から出口君の所□(『人類学雑誌』29巻1号)を補おう。出口君が『玉手□』より引用した、流行眼病を厠神(かわやがみ)に祈ることは今も紀州にある。田辺辺りでは、眼病流行の際、厠前に線香を焚き、両側に小さな赤旗を立てて祈り、また家内の人数ほど小さな赤旗を作り、厠壁に挿して祈れば、その病に罹らないという。

    厠神は盲目なので、そのために厠を掃除すれば神が悦ぶ。妊婦がしばしば手ずから掃除をすれば美貌の子を生むと伝える。『諸経要集』巻八下、「『福田経』にいわく、仏みずから宿命の行ずるところを説くらく、むかし、われ、前生に婆羅奈(はらな)国のために、大道のほとりに近く□厠(せいし)を安設した。国中の人衆にして軽安を得る者、義に感ぜざるなし。この功徳によりて世々清浄なり。劫を累ねて道を行じ、穢染も汚さず。金色晃晃として塵垢も著かず。食おのずから消化し、便利の患なし、と」。

    これは厠を立てて公衆に便せし福報を述べたものだが、由来、除糞人をきわめて卑しめインドでも不浄の掃除を必要としたのは、『賢愚経』に、除糞人尼提が出家を許され得道したこと、『除恐災患経』に、無類の美妓奈女が前身塔地の狗糞を除いた功徳で、後身つねに胞胎臭処より生まれず、花中より生まれたことを記してある。

     40年ばかり前に和歌山で聞いたのは、厠神はひとつの手で大便、他の手で小便を受ける。もし人が厠の中で唾を吐けばやむをえず口でこれを受ける。ゆえに厠の中で唾を吐けば神が怒る、と。また、厠神は盲で人に見られるのを忌むので、厠に入る者は必ず灯を携え咳をして後に入りなさい、と伝える。これは、その作法が出口君が上の41頁に引いた朝鮮の風習と同じだ。

    『毘尼母経』に、「もし厠に上りいく時は、まさに 草(ちゅうそう)を取って戸の前に行き、3度指を弾いて音を鳴らし、声を発しなさい。人でも人でなくても、気付くようにさせるのだ」とあるので、インドでも古く厠に入る前、声を発して人と鬼神に知らせる教えがあったのだ。『雑譬喩経』に、「ひとりの尼丘がいた。指を弾いて来なかった。大小便を中の鬼の顔の上にして汚す。魔鬼は大いに怒って沙門を殺そうと欲した。云々」。『大灌頂神呪経』に、厠□中鬼を載せ、巻七に□人屎尿鬼を載せる。

    『正法念処経』一六に、「男もしくは女で、慳嫉で心を塞ぎ、不浄食をもって、もろもろの出家、沙門、道士を欺き、これは清浄であると言い、信用させてこれを食わせて、ある時はまた食うべきでないものを浄行人に施し、しばしばこの行いをなし、他人をして誑惑を行い、布施を行わず、禁戒を持せず、善友に近づかず、正法に従わせず、不浄をもって持して人に与えるのを楽しむ。このような悪人は、身やぶれ命終われば、悪道中に生まれ、キタ(魏にて唾を飲むことを言う)餓鬼の身を受ける。飢渇の火のために常にその身を焼かれ、不浄の所、壁もしくは地において、もっと人の唾を求め、これを飲んで命を活かす。他の一切の食はことごとく食らうことができない。このように悪業は、尽きず壊れず朽ちず、ゆえに逃れることができない、云々。もし人中に生まれても、貧窮で下賤、多病で衰え痩せ、鼻塞がって膿み爛れ、除厠(くみとり)の家に生まれ、あるいは僧中において、残食を乞い求めて、もってみずからの命を助ける」と言い、

    「このような衆生は貪嫉もて心を塞ぎ、あるいは沙門となっても、受けるところの戒を破り、そうして法服を着てみずから聚落に遊び、へつらい欺いて財を求める。病者のために病に従って供給すると言って、ついに施与せず、すなわちみずからこれを食らう。乞求のためのゆえに、衣服を装飾し、諸城邑をへめぐって広くもちいるところを求め、病者に施さない。この因縁をもって、云々、阿毘遮羅(魏にて速く歩くことを言う)餓鬼に生まれ、鬼身を受けてしまって、不浄の所において不浄を食らい、常に飢渇に苦しみ、みずからその身を焼く。

    もし衆生の不浄を行ずる者あれば、このような餓鬼すなわち多くこれを悩まし、みずからその身を現じ、ために怖畏をなして人の隙をうかがい、あるいは悪夢を示してそれを恐怖させる。塚の間を遊行して屍に近づくのを楽しみ、その身は火となって燃え煙焔ともに起こる。もし世間に疫病が流行し、死亡する者が多いのを見ると、心はすなわち喜悦する。もし悪呪あってこれを喚べばすなわち来て、よく衆生のために不 益をなす。その行く速さは速く、一度念ずればよく百千由旬を走る。このために疾行餓鬼と名づける。およそ世の愚人は、共に供養して、あまねくみなこれを唱え、もって大力神通夜叉となす。このように種々に人に災いをなし、人を畏怖させ、このように悪業は尽きず壊れず朽ちず、ゆえに逃れることができない、云々。もし人中に生まれても、呪師の家に生まれ、諸鬼神に属して、鬼神の廟を守る」。

    next


    「厠神」は『南方熊楠コレクション〈第2巻〉南方民俗学』 (河出文庫) に所収。

    Copyright © Mikumano Net. All Rights Reserved.