猴に関する伝説(その7)

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     『和漢三才図会』にいわく、〈『和名抄』、※(「けものへん+爰」、第3水準1-87-78)えん※(「けものへん+彌」、第3水準1-87-82)みこう以て一物と為す、それあやまり伝えて、猿字を用いて総名と為す、※(「けものへん+爰」、第3水準1-87-78)猿同字〉と。誠にさようだがこの誤り『和名抄』に始まらず。『日本紀』既に猿田彦、猿女君さるめのきみなど猴と書くべきを猿また※(「けものへん+爰」、第3水準1-87-78)と書いた。

    『嬉遊笑覧』に言える通り鴨はアヒルだが、カモを鳬と書かず鴨と書き、近くはタヌキから出たタナテ、またよくこの獣を形容したラクーン・ドグなる英語があるに今もバッジャー(まみ[#「けものへん+灌のつくり」、40-6]、アナクマに当る)てふ誤訳を踏襲するに斉しく、今となっては如何いかんともするなし。

    猿英語でギッボン、また支那音そのまま取ってユエン。黒猩、ゴリラ、猩々に次いで人に近い猴で歯の形成はこの三者よりも一番人に近い。手が非常に長いから手長猿といい、また猿猴の字音で呼ばる。その種一ならず、東南アジアと近島に産す。手を交互左右に伸ばして樹枝を捉え進み移るさま、ちょうど一のひじが縮んで他の臂が伸びる方へ通うと見えるから、猿は臂を通わすてふ旧説あり、一長く一臂短い画が多い。『膝栗毛』に「拾うたと思ひし銭は猿が餅、右からひだりの酒に取られた」この狂歌は通臂の意を詠んだのだ。

     『本草綱目』に、〈猿初生皆黒し、而して雌は老に至って毛色転じて黄とる、その勢を潰し去れば、すなわち雄を転じて雌と為る、ついに黒者と交わりて孕む〉。これは瓊州けいしゅう猿の雌を飼いしに成熟期に及び黒から灰茶色に変わった(『大英百科全書』十一)というから推すと、最初雌雄ともに黒いが後に雌が変色するより変成女子と信じたり、『列子』、〈[#「豸+兪」、41-1]変じて※(「けものへん+爰」、第3水準1-87-78)と為る〉、『荘子』、〈※(「けものへん+嬪のつくり」、第4水準2-80-54)ひんそ※(「けものへん+爰」、第3水準1-87-78)を以て雌と為る〉と雌雄を異種に見立てたのだ。

    猿は臂長く膂力りょりょくに富み樹枝をゆすって強くはじかせ飛び廻る。学者これを鳥中の燕に比したほど軽捷けいしょうで、『呂覧』に養由基ようゆうき矢を放たざるに、※(「けものへん+爰」、第3水準1-87-78)、樹を擁してさけび、『呉越春秋』に越処女が杖を挙げて白※(「けものへん+爰」、第3水準1-87-78)に打ちてたなどあるは、その妙技なみ大抵の事でない絶好の叙述と知れ、予も親しく聴いたが、猿が飛ぶ時ホーホーと叫ぶ声は大したもので耳が病み出す。

    寂しい処で通宵つうしょうこれを聴く趣はとてもわが邦の猴鳴の及ぶところでなく、〈峡中猿鳴く至って清し、諸山谷その響きを伝え、冷々として絶えず、行者これを歌いて曰く、巴東三峡猿鳴く悲し、猿鳴く三声涙衣をうるおす〉とはよく作った。「深き夜のみ山隠れのとのゐ猿ひとり音なふ声の淋しさ」などわが邦の名歌は多く支那の猿の詩になろうたものじゃ。

     猿は樹を飛び廻る事至ってはやく、夫婦と餓鬼ばかり棲んで群を成さずすこぶる捕えがたい。『琅邪代酔篇』三八に、〈横州猿を捕えて入貢す、故に打ち捕るを事とするは皆南郷の人、旬日村老一人来り告ぐ、三百余人合囲して一小黒猿を独嶺上に得、もし二百人を益し、ことごとく嶺木を伐らば、すなわち猿を獲べしと、その請のごとくす、三日の後一猿をかつぎて至る〉。

    水を欲しい時のみ地へ下り直立して歩む。本邦の猴など山野にあれば皆伏行し、飼って教えねば立ってあるかず、猩々なども身を斜めにしていざり歩く。故に姿勢からいえば猿は一番人間に近くその脚とても画にかいたほど短からず、立派に胴より長い。しかるにその臂が非凡に長いので脚がいと短く見える。

     『七頌堂識小録』に、猿を貢する者、その傍に※(「けものへん+彌」、第3水準1-87-82)猴数十をあつめ跳ねかしましからしむ。その言に、猿は人の泣き声を聞くと腸絶えて死ぬからこうして紛らかすと、〈猿声悲し、故に峡中裳をぬらすの謡あり、これすなわち人の声の悲しきを畏る、異なるかな〉とあるが何の異な事があるものか、人間でも人の罪よりまず自分を検挙せにゃならぬような官吏が滔々とうとう皆これだ。猿は人に近付かぬ故その天然の性行をた学者は少ない。

    したがって全然信認は如何だが、昔から永々その産地に住んだ支那人の説は研究のき資料だ。例せば『本草啓蒙』に引いた『典籍便覧』にいわく、〈猿性静にして仁、貪食せず、かつ多寿、臂長く好くその気を引くを以てなり、その居相愛し、食相禁ず〉と節米の心掛けを自得せる故、馬鈴薯料理の試食会勧誘も無用で、〈行くに列あり、飲むに序あり、難あればすなわちその柔弱者を内にして、蔬をまず、山に小草木あれば、必ず環りて行き、以てその植を遂ぐ、猴はことごとくこれに反す〉。これなら桃中軒の教化も危険思想の心配もらぬ。誠に以てお猴目出たやな

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    「猴に関する伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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