鼠に関する民俗と信念(その16)

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     昔四国遍路した老人に聞いたは、土佐の山内家が幕府より受けた墨付百二十四万石とあった。百の字を鼠が食い去ったので百万石は坊主丸儲けとなった。故に鼠を福と称え殺すを禁じたと。『山州名勝志』二に、山城霊山辺の鼠戸長者、鼠の隠れ里より宝を獲て富んだ話あり。これは伏蔵を掘り当てたのだろう。プリニウスの『博物志』に、鼠、盗を好む余り、金山で金を食う。故に鼠の腹をいて金をとある。

    昔インドの王子、朝夕ごとにわれに打たるる女をめとらんというに応ずる者なし。ようやく一人承知した女ありてこれにとつぐ。二、三日して夫新妻を打たんとす。妻曰く、王子の尊きは父王の力だ。自分で金儲けて後始めて妾を打てと。道理に詰って王子象馬車乗と従者多く伴れて貿易のためルチャ国に往く。その妃親臣を呼び、ひそかに従い行かしめ、何時いつでもわが夫浴するを見ばその腰巻を取り帰ってわれに渡せと命じた。

    ルチャ王その宮殿の屋根より太子の一行来るを見、使をして汝は不断繁昌するの術を知るか、一日繁昌するの法を知るかと問わしめると、不断繁昌する術を知ると答う。王すなわち太子の商品を没収し、従者象馬に乗って去り、太子一人無銭で置き去られ、やむをえず最下民同然、腰巻一つで富家に奉公す。その時までも妃が付け置いた親臣のみ太子に附き添い、一日あるひ太子浴するとて脱ぎ捨てた腰巻を拾うて帰国を急ぎ、妃に奉ると、妃これをおさめた。

    妃その者より太子の成行を聴き取り、手拭てぬぐい一つと鼠一疋携えてかの国へ往った。国王使して前度のごとくたださしむると、妃、われは一日繁昌すべき術を知ると答えた。王すなわち妃を請じ、また太子の従者のがれて近所にあった者を招集し、太子より取り上げた一切財宝を誰に遣るべきかを決すべしとて猫一疋を出し、この猫が飛び掛かった人に遣るべしといい、一同王を囲んで坐した。

    太子の妃は持参した手拭で隠し置いた鼠をしばしば現わし示すと、猫これを見付け、王がはなつや鼠欲しさに妃に飛び掛かったから、王一切の物件を妃に渡し、妃これを象馬に積んで夫の従者を領して帰国した。太子はいつまで働いてもらちが明かず、阿房あほらしくなって妃におくるる数日、これまた帰国し、サア妃を打とうと取り掛かる。

    妃は従者一同の前で古腰巻を取り出し、これは誰の物と夫に問うと、王子一見して自分の窮状を知られたとさとり、金儲けして帰ったといつわりもいえず、大いに恥じ入った。妃全体良人おっとが持って出た財宝は今誰の物になり居るか、従者に聴いた上妾を打たれよと言ったので王子返答も出ず。妻を打つのを全廃したという(一九〇九年板、ボムパスの『サンタル・パルガナス俚伝』一一三頁)。

    閑田耕筆』三に、人は眼馴れた物を貴ばず、鶏や猫が世に少なかったら、その美麗で大用あるを賞し争うて高価で求むるだろうと言ったはもっともで、ロンドン市長が 素寒すかんな少年時代に猫ない土地へ猫を持ち渡り、インドの鼠金商主が、死鼠一疋から大富となった話も実際ありそうな事だ。さればボーモントおよびフレッチャーの『金無い智者』にも不思議に好景気な人を指して、精魂が鼠か妖婆の加護を受くるでないかということばがある。

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    「鼠に関する民俗と信念」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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