豊臣秀吉


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  • 豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)

    豊臣秀吉(1537年〜1598年)。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名・関白。
    はじめ木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)と名乗り、後に羽柴秀吉(はしば ひでよし)と名乗りました。
    1586年に朝廷から関白の位を得て、豊臣の姓を賜りました。



    豊臣秀吉

    南方熊楠の手紙:神社合祀に関する意見(口語訳6)
    かつて薩摩の人に聞いたことには、太閤秀吉が本願寺の僧に薩摩藩をスパイさせたことから、薩摩藩主の島津氏が大いに恨み一向宗を厳禁としたが、士庶のその宗旨を奉ずる者は、弥陀仏像を柱の中に収め朝夕読経して維新後に及んだ、と。

    南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(口語訳3)
    また織田信忠は秀吉を念者(※ねんじゃ:男色関係の兄貴分※)とし、とくに懇意であった。叔母のお市の方(浅井長政の寡婦、淀君の母)が浅井滅後、後家住まいしていたのを、信忠が世話して秀吉の妻としようとしていたうち、信忠が光秀に弑せられ、信孝の世話でお市の方は柴田の後妻となった。これから柴田・羽柴の戦いが始まったとされる。

    南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その13)
    紀伊続風土記』九十に尾鷲おわせ郷の地士世古慶十郎高麗陣に新宮城主堀内に従って出征し、手負ておいの虎を刺殺し秀吉に献じたが、噛まれたきずを煩い帰国後死んだとは気の毒千万な。

    南方熊楠の随筆:十二支考 田原藤太竜宮入りの話(その5)
    明良洪範めいりょうこうはん』二四には、天正十七年四月、秀吉初め男子(名は棄君)を生む、氏郷累代の重器たる、秀郷蜈蚣むかで射たる矢の根一本たてまつる、この子三歳で早世したので、葬処妙心寺へかの鏃を納めたとあるから見ると、氏郷重代の宝だったらしい。

    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その4)
    これに似た事は、一夜中に紙をり詰めて営の白壁の速成を粧い、敵を驚かす謀計で、秀吉公は、美濃攻めにも小田原陣にもそうした由。しかるに『岐蘇考』に天正十二年山村良勝妻籠つまごに城守りした時、郷民徳川勢に通じて水の手をふさぎけるに、良勝白米もて馬を洗わせ、一夜中に紙で城壁を貼りて敵を欺いたと見るは一時に妙計二つを用いてたのだ。

    南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その21)
    本邦でも秀吉の馬塚(『摂陽群談』九)、吉宗の馬像(『甲子夜話』五一)、その他例多く、馬頭観音としてまつったのも少なからぬ。





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