カメラ・ルシダ
Moss and Cyanobacteria / nttrbx
ベンジャミン・キッドの語に social efficiency と申すことがある。
西洋の人がみな東洋の人に優っているのではない。それなのに今日西洋の人が東洋の人よりえらいように西洋人がもっぱら思うのは、たとえば小生ごときものが、そりゃ隣町に火事が起きたと聞いても、火事なら消防器、大水なら防水具、訴訟なら弁護士、つかみ合いなら侠客を、すぐに遣わして治めるという力がないのに対し、三井とか三菱とかいう大家ならば、それぞれ無事を計るべき備えがちゃんとととのっている。
そのように、文事に武備に工事に商事に済世に衛生に、それぞれの機関が準備しているのに対して、東洋ではどうもそろわない。兵事だけは日本の誇りだったが,これもワシントン会議で腕を抜かれてしまい,医術くらいが少しましだけれど,それも金がなくて思わしくもならず、学問に至っては、あちらの人は最も己を空しくして、自他を分たずにすぐれているものはすぐれているものとして敬うが,悲しいことに我が国ではあまりこの準備のある人のことを聞かない。
不敏ながらその方に長年の準備しているので、時にふれ折りに臨んで、このようなことを論じて示すのも多少の効果はあるだろうと、右様の頼まれもしないことに骨を折り申しています。
『ノーツ・エンド・キリース』などは、かの国には図書館ごとに備えられる必読のものであるが、日本では書名さえ知った人はなく、わずかに京浜間の洋人が読むとのこと。それも10人もいないとのことです。田中長三郎氏に聞いたが,米国などではクラブごとにこの雑誌を備えているとのこと。
小生が和歌山へ上ったら、高田屋寓居のときと同様非常にゆるりと長くなるかもしれない。貴書にも示された通りむやみに事を破壊するのは簡単で,悠々事を取りまとめるには気を長くもたなければならない。小生はそのためにずいぶん修養致し、ギリシアのゼノクラテス同様夢を自分の試金石と致していますが,このごろになってようやく夢のなかで怒っても多少抑制するように夢見るようになりました。
だから右様の論文をもう2つ終えた上で、いよいよ上り申します。和歌山辺は当地と違い,淡水藻の産地がはなはだ多いので、その間に淡水藻の製図を生品からしたいと思う。これは集金がまとまればすぐに出版するためである。
しかしながら前年貴下がくだされたカメラ・ルシダ(※camera lucida:かつて画家がスケッチを描く際の補助に使った光学装置。20世紀半ばまで、科学者は、顕微鏡写真が高価であったため、カメラ・ルシダを使用して微生物や細胞など微細なもののスケッチを描きました※)のワクは、小生がもっともしばしば使用するわずかに50倍ー200倍くらいの簡単な顕微鏡にどうしても小さすぎて合わず、何とぞその簡単な顕微鏡の筒に合うようにワクを作らせようと思うけれど日本では出来ず、貴下よりくだされたカメラの製造元(米国)では寸法さえ書き付けて送れば作ってくれるとの広告がある。
この筒を東京へ送り,万一途中で紛失また損害があってはこの簡単な顕微鏡(フィラデルフィアで作った。その会社は今はない。またこのような簡単強固安値なよい顕微鏡は今ではどこにもな。一方、小生が南米まで持っていき、その後今でも普段から役に立っているものなので、牡鹿の角の束の間も自分から離すに忍びない)は、その用をまったくなさなくなる。
小生の眼に長年もっとも馴れたもので、菌や藻の外形を通過光線でも反影光線でも、咄嗟の間に用いることができる結構でなかなか便利なものである(ただ今は弁慶の7つ道具のようにいろいろと付属器が多いほど、事が難しくなり,咄嗟の間に間に合わない)。
だからこの顕微鏡の筒の直径を小生が精細に描きかつ測度し、書き付けてそれに合うワクを注文しようと思うが,カメラをあのワクからこのワク、このワクからかのワクと、はずしたり加えたりすることが阿漕が浦のたびに重なると、また必ず珍事出来して棹がゆがんだり、鏡がはね落ちたりするので、いっそこの簡単な顕微鏡の筒にふさわしいワクを作り,それに前年貴下よりくだされた通りのカメラ・ルシダ一切一揃えを揃えて注文したいと思う。このことを貴下おついでがあらばお聞き合わせ、だいたいいくらくらいか、また代金は前納すべきか否かをもお聞きくだされたく思います。