油木について、並びにトネリコについて(現代語訳)
昨年〔明治41年、1908年〕11月14日、東牟婁郡小口村の鳴谷という幽谷を尋ね、谷の端より直下する滝を、切りたった崖の頭に1本だけ立っているヒノキにすがって見おろした。俗に、那智の一の滝より、この滝は米3粒だけ短いという。
見おわりて弁当を開く前に、案内に立った土地の人が高さ8尺ばかりの樹の生皮を剥ぎ、巻いて蝋燭のようにして、火をともしたところ光が明らかに久しくもち、蝋燭のようにだんだんと徐々に燃える。諸般の用事をすませるのにはなはだ便利である。驚きあやしんで名を問うと、アブラキというとのことだ。この辺にて、夜山中を行く者が知る必要がある品である。予の浅学で、これまで聞いたことがないものなので、その押し葉、当時花なく紅実を結んだものをを一対進呈し、その学名およびこの効用を記した書物があるかを問う。
再白。これに似たことが V. Ball,'Jungle Life in India,'1880, p. 65 に記されている。炬木樹(トーチ・ウッド・トリー)(Cochlospermum gossypium DC.) は、毎年3月ごろもっとも繁茂し、その木を切ってまだまだ生々しい乾いていない状態でも、精製の炬(たいまつ)同然によく燃えるのでこの名がある、と。
また E. J. Andrew (‘Folk-Lore,' vol. vi, p. 93, London, 1895) の説に、英国デヴォンシャーの百姓男らは聖誕夜(クリスマス・イヴ)に森に趣き、柴を刈り、最も厚い枝を中心としてこれを積み燃やし、中心の柴が焼き尽きるまで宴飲する。柴としてこの夜用いるのに、特にアッシュを採る。この木は他の諸木と違って、切ったすぐそのときに生木なのによく燃え、かつキリストがベツレヘムの中で生まれて、この木の火で暖められたからである、と。アッシュは、邦産トネリコとともに、フラキシヌス属に分類され、『改正増補植物名彙』に、この属の邦産植物のすべて5種を並べている。
予は去る11月19日、十津川の深山の無人の境に菌類を採り、道に迷い日暮れて、止むを得ず峻険極まった山頂で一夜を明かしたが、火を焚く料が乏しく、寒気が骨にしみとおり、そのために脚が萎えて寝床に臥し、今でもまだ外出できない。その翌朝、自分が座していた傍を見たところ、十津川地方に多いトネリコがそこここに生えていた。当夜かねて欧州アッシュのことを知っていたらば、一番にトネリコを捜し求め、手に入れて焚き試みるべきであったと臍(ほぞ)を噛むもどうしようもない。
むかし陶貞白は常に言った、「一事を知らざれば、もって深く恥となす」と。ましてや、ただこの一事を知らなかったがゆえに、十四旬を病床に過ごすなど、一身に取っての大利害を惹き起こす場合もないわけではないのだ。よって謹んで邦産トネリコ属中、また生木なのによく燃えるものがあるか否かを乞い問う。
答。参考品2個、アブラキとあるものは Ilex Sugeroki Max. クロソヨゴ。『理科大学標品目録』35頁に、紀州高野山の産地を載せているものがこれである。小野蘭山の『本草啓蒙』三一巻一四丁秦皮の条に、この木にも白蝋を生ずること水蝋樹(いぼた)と同じ、とあるだけで、蝋燭のように火をともして燃えることを記さない。本邦産にて、生木のよく燃えること蝋燭のごとしと形容すべきほどのものがあることを聞かない。樺の樹皮を松明とすることは皆人の知るところである。
(明治42年7月『東洋学芸雑誌』26巻334号)