1904年7月29日
◇七月二十九日 晴 夜から明け方前にかけて大雨、よって明朝は涼しかった
新谷菊次氏が昨日、下里及び湯川で採ったハマナツメ(湯川方言クモカキ)、ハマヨモギ(花なし)、ハマボウをくれる。
夕方、常楠より書留状1通、ディキンズから手紙とハガキ各1通、横浜ロンドン船会社よりハガキ1通、中川恒次郎氏から手紙1通、『ノーツ・アンド・クエリーズ』3冊、(6月18日分に予の「Master of Lies」が出ている)、『ネイチャー』3冊を受けとる。
夜11時過ぎに勝浦小学校長の妻が血痢で、病院へ車夫が来る。福田巡査今日終日在宅のところ、このことで、勝浦の巡査が病気に付き、助勢のため今夜出て行く。
メモ
『ネイチャー』は、1869年にイギリスで天文学者ノーマン・ロッキャーによって創刊された自然科学雑誌。『ネイチャー』に掲載された熊楠の論文の数は、日本人最多の51篇(『南方熊楠全集 10 』 に所収、邦訳は『南方熊楠英文論考「ネイチャー」誌篇』)。
1904年の日記は『南方熊楠日記〈2〉』に所収