土宜法竜


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  • 土宜法竜(どぎ ほうりゅう)

    土宜法竜(1854年〜1922年)。
    高野山学林長、仁和寺門跡、御室派管長、真言宗各派連合総裁、高野派管長などを歴任。

    南方熊楠(1867~1941)とは、1893年のシカゴの万国宗教大会に真言宗代表として出席した後に渡欧して立ち寄ったロンドンで出会っています。

    土宜法竜と熊楠の間で交わされた書簡はきわめて思想性が高く難解。熊楠の著述のなかでもっとも重要なものと考えられています。
    「南方マンダラ」は土宜法竜との書簡のやりとりのなかで結晶化されました。

    『南方熊楠・土宜法竜往復書簡』には、南方熊楠の土宜法竜宛書簡24通と土宜法竜の南方熊楠宛書簡31通が収められています。南方熊楠の土宜法竜宛書簡の一部は『南方熊楠コレクション〈第1巻〉南方マンダラ』 (河出文庫)に所収。



    土宜法竜

    南方熊楠の手紙:履歴書(口語訳14)
    小生は大英博物館へはずいぶん多く宗教部や図書室に物を献納した。今も公衆に見せているだろう。高野管長であった土宜法竜師が来たとき小生が着ていた袈裟法衣なども寄付した。

    南方熊楠の手紙:履歴書(口語訳21)
    大正9年に同氏と和歌山で会って、高野山に上り、土宜法主にロンドン以来28年めで面謁した。この法主は伊勢辺りのよほどの貧民の子で僧侶となったのち、慶応義塾に入り、洋学を覗き、僧中の改進家であった。

    南方熊楠の手紙:履歴書(口語訳22)
    年来この法主(※土宜法竜※)と問答した、おびただしい小生の往復文書は、ひとまとめにして栂尾(とがのお)高山寺に什宝のようにとりおかれた。それをいろいろな人物もあるもので、ひそかに借り出して利用しようとする者がいると聞き、師にことわって小生方へ送還してもらい、今も封のまま置いてある。

    今から見ればさだめしつまらないことばかりであろうが、この往復文書中には宗教学上欧米人に先立って気づいたことどもも多く載せているのだ(大乗仏教が決して小乗仏教より後のものではないことは、小生の説。南北仏教の名をもって小乗と大乗を語ることの不都合、このことはダヴィズなどが言い出した。このことはその前に土宜僧正が言ったことである。その他いろいろとその頃にとっては斬新であった説が多い)。

    南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(口語訳4)
    さる大正9年、むかし小生がロンドンにあった日の旧知、土宜法竜師は高野山の座主であり、しばしば招かれたため、今年の勧業博覧会で一等賞金印を得た当地の画家、川島草堂(この人は橋の上で炭の屑を使って画を独習して育った人である。

    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その18)
    若年の時真言宗の金剛界曼陀羅を見ても何の事か分らず、在英中土宜法竜僧正から『曼荼羅私鈔』を受け読みかじると、塔中たっちゅう三十七尊を記せる内、※(「門<((企−止)/(人+人))」、第3水準1-93-48)あしゅく、宝生、無量寿、不空成就ふくうじょうじゅの四仏がまんの四菩薩を流出して大日如来を供養し(内四供養うちのしくよう)、大日如来くだんの四仏を供養せんとてこうとうの四菩薩を流出す(外四供養そとのしくよう)、とは、〈不空成就仏、塗香を以て供養す、釈迦穢土に出で、衆生を利益せんと、濁乱の境界に親近す、故に塗香を以て穢濁を清む、この故に塗香を以て供養するなり〉とあった。






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