八咫烏のことについて(現代語訳)
2月11日の貴誌〔『日本及日本人』576号〕に、幸田露伴博士の「八咫鳥(ヤタガラス)は鳥ではなくて大きな手柄のあった家臣であるとの説がある〔「蝸盧雑談」〕。
和歌山県海草郡加茂村は、このカラスとなり、皇軍を熊野山中から大和宇陀邑まで導いた健角見命(たけつぬみのみこと)が生まれた場所であるとして、 大字小南の糺神社という神社で古くから奉祀していたが、近年加茂神社といって、はるか後に勧請した神社へ合祀して、見る影もない小祠となし、さしも広大であった社跡をすっかり滅却し、石段を噴火孔のように掘り返し尽くしたと、県誌編纂主任内村義城翁が新聞紙上にその乱暴を責め立てていた。
カラスは聡明神速であるもので、ギリシア・ローマでも、アポロ神がカラスに化け、またジュノがこれを神使とし、北米の先住民もまたカラスをもって神や人に名づけた例が多く、インドでも耆婆(ジーヴァカ:古代インドのマガダ国の医者)が勝光王(プラセーナジット:古代インドコーサラ国の王)の怒りを懼れて1日に8000里行く象に騎乗して逃げたのを、カラスと名づけた神足の勇士に追いつかせた話が『柰女耆域因縁経』に見える。
カラスは好んで死肉を食うものなので、インド・エジプトのハゲワシ(ヴァルチャー)同様、戦死の人の死体を食らおうとして、朝早く起き軍に先んじて進み、道案内したのであろう。今も熊野神使はカラスで、人の死を予告するなどと言い伝えるのだ。