田辺小学児童の校外行動に就て (現代語訳1)

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田辺小学児童の校外行動に就て(現代語訳)

  • 1 児童団
  • 2 家庭の教育
  • 児童団

     

    近ごろ政府民間の何から何までも改善向進しようとすることに焦慮するあまり、頭垢(ふけ)の落し様から大便の拭き方までも世話が行き届くのは感心の外ない。

    ただしこんなことは人々が生れて間もなく持ち合せの五分の魂で十分処置ができるのみならず、他の教えを待たずに自分で種々やってみるのが即ち改善向進なので、猿に芸を仕込むように一々教えが行き届けば行き届くほど本人が阿呆になり、頭を掻くのにも躊躇し、拭くべき糞も拭かずに考えているうちに糞が尻へ乾き付く。

    このような世話は行き届けば行き届くほどまったく大不行き届きとなってしまうはずで、このようなやり方をする政府は決して賢い政府と言われない。しかし諸方の末輩の役人共はひたすらに自分の職分を尽くそうとして政府の意を承け糞念を入れるあまり、政府の中心にある輩が思いも寄らない悪弊を続々しでかすのは国家のために甚だしく無用有害であると痛嘆せざるを得ない。

    これらのことはこの辺でかれこれ述べたところで何の甲斐もないだろうから改めて政府へ忠告することと致し、差し当りこの地で言ってこの地で効果のあり得そうなことと思うことで目下吾々が非常に迷惑している一事を述べるが、近ごろ小学児童が校外にあって町ごとに児童団ともいうべきものを設け、団長副団長のような者を立てて毎事その監査を受け指揮に従って行動すべきようなこととなっているらしい。

    これは国民一致の気風を養ない、長者に随順してその命令を背かないという軍国主義から割り出したものらしく、よく行なえば悪いばかりでなかろうが、実際の成績はすこぶる悪く、右の団長より箸の棒が倒れたほどのことにも町内の児童を召集に来て、その用事といっても無論団長自身の勝手次第の思いつきで、すでに前日夏休み中大雨があった翌日に何の心得もない児童を集め、新庄村の東光寺まで腰弁当で運動に行くべしとの指令が来る。

    その団長といってもわずか12、3才の者で10才前後の者を多く随えて雨後のぬかるみを長途、田間を歩いてこのような淋しい所へ行くなどはまことに危険至極と思ったが、団長の命令ゆえ背いてはならないとのこと、大事な子供を死にやるように思ったが仕方ないことなのでその意に任せ、弁当を用意するなか、教員がこの事を耳に入れ差し止めたということで明日は行かないことになったと告げ来たので安心したというものの、当時夏休みで教員は学童に接しないのが普通なので、このことが教員の耳に偶然入らなかったら1人くらいは熱中症になって病死したり、崖から落ちて怪我くらいは必ずあったことだと恐ろしさにぞっとする。

    またその後、朝の間から団長方へ町内の学童は集まるべしとのことで、吾輩の一人子も向いの郡視学の一人子、その他も行ってみると何の用事はなく、団長の家の隣りの飲食店で遊び、追々は頭張りといって互いに頭を叩き合う戯れを始めた。吾輩は幼時しばしばこの遊びをして僚友を不具にした覚えもあり、またひどく頭を打たれて脳震盪を起し死亡した者を観たこともあり、殊には自分がこんなことばかりしでかしたので人の頭を張るを何とも思わず、ついに後年英国博物館で人の頭をしたかか打ち据えて折角の地位を失ない帰朝して今にこの田舎にたたずまいしているので、忘れても人の頭を叩くものではないと日夜倅に教えている。

    向いの郡視学の子息のようなのは生まれつき大人しく勧めても人の頭など張ることができない性質と見える。それなのに件の団長よりその威を以て頭張りをせよと命ぜられ、それは家訓に背くからといって立っていると団長の機嫌が悪く、それならば鞠で遊ぼうといって郡視学の息を遣わし、学校へ自分が置き忘れた鞠を取りに行かせ、それより種々無用の遊戯を1時間ばかりやりつけ、大人しい者が泣きそうになるのを見て遊戯に入らない者は拘束して帰宅させないと言ったが、副団長ともいうべき者がもはや可哀想だから帰してやれとの挨拶で、帰宅を得たとのことだ。

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    「田辺小学児童の校外行動に就て」は、田辺市史編さん委員会『田辺市史 第九巻 資料編Ⅵ』に所収。

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