無謀なる神社合祀 和歌山県当局者の亡状=植物学者の憤慨(現代語訳)
(明治43年(1910)2月11日『大阪毎日新聞』)
糸田の猿神社跡地
(数年来内務省の意思を受け各地方において実行を促しつつある神社合祀については至るところ物議の種を惹起しているが、現に和歌山県田辺に居住している篤学の植物学者南方熊楠氏の如きは、繰り返しその不法を広く聞こえ渡らせている。とりわけ同地付近において一昨年合祀を実行された糸田村猿神社の如きは最も由緒久しい神社にて、その境内には植物学上参考に資すべき有益な菌類が発生した地であるのに、無謀な県当局者は合祀と同時に境内の樹木を一本も残らず伐採せしめたことさえあるとのことで、村民の恨みはいうまでもなく、同氏の憤慨は普通ではない。一々無法な行為を指摘してその実況を言ってよこしてきたので、以下にこれを掲げることとした。)
(前略)当局者の無謀な神社濫滅に対する小生の主張については、旧友鎌田栄吉、土宜法龍、平瀬作五郎、木村駿吉等の諸氏をはじめ諸方より同情を寄せらるれるものが引きも切らず、和歌山県庁もついに先月25日を以て一片の訓令を発するに至りました。しかしながら従来の例に照らすとこのような形式的の訓令が如何ばかりの効果を奏するのかはなはだ心許なく、現に『紀伊毎日』の所報によれば、県当局者はこのような神社の破滅をきわめて当然な処分として、不肖熊楠等の言うところはじつに過ぎたものだ、などと言いふらしているとやら。
とにかく20年来、常に欧米等一流の人士を相手に学説を闘わしている小生はこのような無識没趣味の俗吏輩を相手に争論することは本意に反しますので、これは止めとし直接内務大臣にその実況を申し述べる必要があり、以前から撮影しておいた写真もあるので、これを添えてて1、2の実例を説明したいので、これによって公平なる是非の判断を読者諸君に仰ぎたく、古蹟保存のためにも民心慰安のためにも世界の学術の開進のためにも、とりわけ邦人の愛国心の根底たる愛郷心興奮のため切に希望します。
その一例としてまずここに田辺町に近い糸田の猿神社(さるかみのやしろ)全滅の惨状を申し述べましょう。
写真はその実況を示すものです。
説明
1
元来この猿神社の創設は年数も知れぬほど古いもので、今より1087年ほど前、僧空海が創設せた高山寺(イ)の右側の丘陵にある。いずれも絶佳の勝景出会ったのを、一昨年俗吏等は彼輩が自分勝手に指定した基本金5000円を積立てなければ土地を取り上るなどと、わずかに17戸の糸田村民を脅して10町余隔てた岩城山の稲荷山(ホ)に合併せしめたのみならず、
2
この社は去る明治8年にも同様の合併を行ったが、じきにまた元のように復座したことあるので、今度は神が還ることができないようにと乱暴にも宮木を1本残らず伐り尽くしたため、ただ風致を損じたのみならず、夏の時分などは赤裸々な婦女子の行水を勝手次第に眺められるようになり、自然と覗きをする男の徘徊が多くなり、村民等はこれを恥じて今はその登り道を遮断した。
3
この猿神社が他に合祀されるまでは村民の参拝が絶えなかったが、合祀後はまったく産土神と絶縁の姿で、現に先頃神社の祭典があった節も合祀の岩城山へは1人も詣らず、旧社の迹に伐り去られた古いタブノキの株(ロ)に小さな霊屋(たまや)を構え、ひそかに祭りを済ませた。その状況はさながら亡国の民と異ならず。政府は神祇崇拝の実を挙げんため合併を行うなどと宣言するが、実際の結果はその所に反している。まして合祀 の結果1、2里ないし4、5里も歩まなければ社参することができない向などは、今後20年も経つ間にはまったく自家の産土神を知らない民が多くなり、結局日本ほど非神の国はないということに至るかもわからない。恐るべし恐るべし。
4
この猿神社は、境内はそれほど広宮内がミミズバイ、並びにマツバラン等半熱帯の植物が多く、ことに件の古いタブノキ(ロ)1本より予が獲た隠花植物は70種ばかりある。その中に新種が多い。プチコガストルなる菌は変形学上の珍物で、従来欧州産の1種のみが知られていたが、予はここにて1新種を発見した。また毎年この辺に生じる粘菌は少くとも18種ある。この内で新種アーシリア・グラウカは、このタブにのみ生じた世界無類の稀品で、最近再版野大英博物館粘菌図譜に掲げられている。粘菌はまた変形菌とも訳し、動物とも植物とも判然しない生物で、人の世の一大関節たる生死の現象、子孫の永続、雑種児発生等の大問題を比較研究するのに最もよい大原形体を有するものである。
それなのにこの猿神社辺の如く便利な地に年々多種を発生するのはじつに稀有の例であると、一昨年死去した英国学士会員アーサー・ リスター氏(医学界の大立物リスター卿の弟)の如きは深くこれを惜しみ、自らその土地を買収して保存しようと申し出たが、予は外人の手先きとなって皇国の土地を左右するのを好まず、あれこれするうちに社地は全滅させられてしまった。
5
前日挿入した写真の中の(ニ)の点は会津川の北岸、御影の淵といって空海が影をこの水に映して高山寺に現蔵される自像を作ったと言い伝える。この川はここ数年、川上の山林濫伐のため土砂流出が夥しく、今は淵も瀬となりわずかに1本の古樟がこれに臨み立って、古蹟を證しているのみ。後鳥羽上皇建仁元年熊野御幸記に「御所美麗なり、田辺河に臨む、深淵有り」とはここか。
6
また写真の(ハ)には龍神山といってあまり高くないけれど、山麓より30町登ると頂上に泉が涌き出る。その上に一社があり。古く闇竈(くらおがみ)の神を祭ったが、字を読み誤って今の名となったという。山、海、港、湾、河、沼、ことごとく眼下にあるので、児童に地理を教授するのに最もよい地である。社辺の樹木は航海者の欠くべからざる標的である。社辺にマメツタラン、カキノハグサ、イワハゼ等と名の付いた珍植物が多く、神泉の下流に奇異の鼓藻理顧がはなはだ多く、またシリンドロカプサと名のついた稀有の藻、イモリの幼児及び大学標品目録に天城山産のみを挙げているサワルリソウなどもあり、初夏に優美の碧花を開く。いにしえは桜の名所であったが近く濫伐し尽した。
この社をここに置いておいても益こそあれ、何の害もないのに、俗吏等は例の基本財産の積み立てを責め道具として全滅を無理強いつつあるので、じきに山頂の樹木も跡を絶ち、神泉はとこしえに涸れ、珍藻奇草は尽く亡びて全山丸禿となり、道路は年々崩壊してどうにもならなくなるだろう。渡り奉公の官吏輩がどうして自家に関係ない土地を愛惜して、その由緒を重んじ、その故蹟を保存し、その勝景を護持する思いを持とうか。モンテスキューのいわゆる虐政の最も甚しいのは法に依って虐を行う者であるとはまさにこののことである。
7
次にここに挿入せる写真は前述の古いタブノキより獲た粘菌の中、クラストダーマ・デパリヤスと称する物で、予が集めた本邦粘菌のうち最も稀有、かつ最も美妙な物である。すべて粘菌は発生の最初胞子より遊走体を生じ、それが相合して原形体を生じ、食事しながら這い廻る。あたかも痰の如き粘液にて肉眼にて認め得るものが多い。それが只今の人智を以て知り得ない業識因縁により忽ち図に見えるが如き胞嚢を形成し、胞子を蔵して蕃殖に備えるのだ。前年中江兆民が霊魂殲滅説を唱えたとき、土宜法龍師の問いに応じ、予は粘菌の生涯より推理して霊魂不滅説を書いたことがある。その理由は事がやや面倒なので今はこれを略して言はない。とにかく無法不人情極まる神社合祀励行のためにこのような稀有の好研究材料が日々跡を減し行くのはどうにも腹立たしいことだ。(完)