鼠に関する民俗と信念(その19)

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     鼠が人を助けた話は仏経にもある。『大宝積経だいほうしゃくきょう』七八に、王舎城の迦蘭陀竹園からんだちくおんは無双の勝地で、一切の毒虫なく、もし毒虫がこの園に入らば毒心がなくなる。衆生この園に入らば、貪慾、瞋恚、愚痴を発せず、昔瓶沙王びょうしゃおう登極とうきょくの初め、諸釆女うねめとこの園に入り楽しまんとせしに、一同自らさとりて婬欲なく戯楽をたのしまず、その時王もし仏が我国に出たら我れこの勝地を仏に献ずべしと発願ほつがんし、のち釈尊に遇って献じたという。

    甚だ面白からぬ勝地だ。この竹園の名、迦蘭陀は動物の名でホトトギスの一種、学名ククルス・メラノレウクスという鳥に基づくとも、一種の鼠の名に拠るともいう(『翻訳名義集』六。アイテルの『梵漢語彙』七一頁)。

    善見毘婆沙律ぜんけんびばしゃりつ』六に迦蘭陀は山鼠の名なり。瓶沙王諸妓女と山に入りて遊びんで樹下に眠る。妓女四散遊戯して側にあらず、樹下の穴より毒蛇出て王をさんとすると、樹上より鼠下り来りて鳴くごとに蛇が穴に退き入った。王ついに鼠の声にまされ、さては鼠の助けで蛇害を免れたと知り、山下の村の年貢でかの鼠を養わしめ、その村を迦蘭陀すなわち鼠村と付けたとある。

    また仏成道じょうどうしていまだ久しからず。六師の異端なお盛んに行われた時、栴遮摩那耆せんしゃまなきてふ女がその師に使嗾しそうされて、日々まじめ顔で仏の説法を聴きに通う内、腹に草を包み日々膨脹せしめ、後には木鉢を腹につないで臨月の体を示した。時にその師、仏の説法場に至り高声に、仏は大詐欺者だ。わがこの娘を私愛してかくボテレンに仕上げたとわめき散らした。その時帝釈一の黄鼠と化して女のすそにあり、鉢に繋いだ緒をい切り鉢を地に落して仏の無罪を明らかにした(『菩薩処胎経』五)。

    南米のカリブ人最初天より地に降った時、カッサヴァや芭蕉など有用な植物は集って一大木に生じいた。ばく一番にこれを見付け、樹下に落る果実を飽くまで食って肥え太る。カリブ人ら何卒獏がどこで果実を拾うかを知らんと勉むれど知り得ず。まず啄木鳥きつつきに命じ探偵せしめた。しかるにこの鳥獏を蹤跡しょうせきする途中ちょっと立ち留って樹をつつくと虫が出る、それを食うと素敵にうまい。人間は餓えようとままよ、自分さえ旨ければよいと気が変ってつつき続けの食い続けをやり続けた。

    さては誰か予を尋ぬる者ありと悟って獏は跡をかくした。一向らち明かずとあってカリブ人、また鼠を遣わすとこやつ小賢こざかしく立ち廻ってたちまち獏の居所を見付けたが、獏もさる者、鼠に向いわれと同類の汝がわが食物を得る場をあかの他人の人間に告げたって、人間ほど薄情な者なければ、トドの詰まりは狡兎こうと死して良狗りょうく煮らるだ。獏の所在は漠然分りませぬと人を誤魔化し置いて毎日ここへ来てシコ玉食う方がよろしいと言うと、鼠たちまちその意に同じカリブ人を欺いて毎日食いに出懸けた。

    ところが一日鼠が食い余しの穀を口辺に付けたまま眠り居る処へカリブ人が行き遇わせ、揺りましてかの樹の下へ案内させ、石の斧で数月掛かってその樹を伐り分け、毎人その一片を自分の畑へえてから銘々専食すべきカッサヴァが出来た(一八八三年板、イム・ターンの『ギアナ印甸人インディアン中生活記』三七九頁)。この鼠のやり方筒井順慶流儀で余り面白くないが、とにかく人に必要な食物の在処ありかを教えた功はある。

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    「鼠に関する民俗と信念」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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