八咫烏に三本足ありということ(現代語訳)
昭和16年12月3日午前1時書き始める。 夜明けの後に出す
田中敬忠様
南方熊楠
拝啓。過日ハガキをもってお尋ねの件、ようやく今夜左のようにお答え申し上げます。
八咫烏に三足があるということ、『古事記』『日本紀』等の古書に見えない。支那には古くより太陽の中の烏に足が三本あるという説がある。例をあげれば、『春秋緯』元命苞に「太陽の中に三足の烏がある。烏は太陽の精である」とある。『玉暦通政経』には「三足の烏は王者が慈孝を人民に敷き、殺生を好まなければ来る」とあって、太陽の精は三足の烏という信念より、おいおい三足の烏を瑞鳥と見立てたのだ。
したがって、周の明帝が三足の烏を獲て天下に大赦し、文武官あまねく3級を進めたことがあった。梁の武帝が禁中で円壇を築き、恵約法師より具足戒を受けたとき、甘露が庭に降り、三足の烏と孔雀の2疋が階を越えて別れ伏したことから帝が大いに悦び、恵約法師に智者という別号を賜ったという。『魏書』に青州等が三足の烏を献じた記事が37条ある。『周書』に三足の烏を献じた記事が2あり。則天武后のとき三足の烏を献じたが、皇太子がその前の一足は付けたものだと言ったところ、武后の不興を買い、しばらくして前の一足が地に墜ちたという。
かくのごとく支那では久しく三足の烏を瑞鳥としたので本朝もまたこれに倣い、『延喜式』治部省所載の大瑞58種、上瑞38種、中瑞32種、下瑞15種、その上瑞38種の内に三足烏(太陽の精)がある。なので近世キューピーとかヴィナスとか西洋のものとさえあればもてはやすように、支那風全盛の世には三足の烏をもっともめでたい物として、さてこそ何の古記に見えないながらも、八咫烏を三足に仕立てたのです。お返事はこれだけです。
(後略)