猪に関する民俗と伝説(その8)

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猪に関する民俗と伝説インデックス


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     エストニヤの譚に、王子豕肉を食うて鳥類の語を解く力を、シシリアの譚は、ザファラナ女、豕の髭三本を火に投じてその老夫たる王子を若返らせ、露国の談に、狼が豕の子を啖わんと望むとその父われまず子を洗い伴れ来るべしとて、狼を橋の下の水なき河中にたしめ、水を流してほとんど狼を殺す事あり。さればアリストテレスは、豕を狼の敵手と評し、ギリシャの小説にこの類の話数あり(グベルナチス『動物譚原』二巻一一頁)。

    猪の美質を挙げた例このほか乏しからず。貝原益軒は、猫は至って不仁の獣なるも他の猫の孤児を乳養するは天性の一長と称讃したが(『大和本草』一六)、『後周書』に、陸逞京兆尹けいちょうのいんたりし時都界の豕数子を生み、旬を経て死す。その家また豕ありてこれを乳養して活かしたといい、『球陽』一三に、尚敬王の時田名村の一母猪子を生み八日後死んだが、その同胞の牝猪孕めるがその小豚を乳育す。いくばくならず自分も子を生んだが一斉に哺養ほようしたと記す。気を付けたらしばしば例あるかも知れぬ。

     古スパルタ人は万事軍隊式で、豕までも教練厳しく行われその動作乱れず、鈴音に由って整然進退したとマハッフィの一著書で読んだが今その名を記憶せぬ。ジョンソン博士は見せ物に出た犬や馬の所作をことごとく似せたいわゆる学んだ豕を評して、豕の普通に愚鈍らしきは豕が人にそむけるにあらず、人が豕に反けるなり。人は豕を教育する時日を費やさず、齢一歳に及べば屠殺するから、智能の熟するはずがないと言った(ボスエルの『ジョンソン伝』七十五歳の条)。

    かつて野猪を幼時から育てた人の直話に、この物稠人ちゅうじん中によく主人を見出し、突然鼻もて腰を突きに来るに閉口した。きずなを解いて山へ帰るかと見るに、直ちに家へ還った事毎々だったと。予が現にう雄鶏は毎朝予を見ればつつきに来る。いずれも怪しからぬ挨拶のようだが、人間でさえ満目中に口を吸ったり、舌を吐いたり、甚だしきはつばを掛くるを行儀と心得た民族もあり、予などは少時人の頭を打つを礼法のごとく呑み込んでいた事もあるから、禽獣の所為をとがむべきでない。唐五行志に、乾符六年越州山陰家に豕あり、室内に入って器用をやぶり、椀缶わんふふくんで水次に置くと至極の怪奇らしく書き居るが、豕がつねに人の所為を見てその真似をしたのであろう。

     仏人が、トルーフル菌を地下から見出すに使うた犬の代りに豕を習わして用うるは皆人の知るところで、嗅覚がなかなか優等と見える。ホーンの『ゼ・イヤー・ブック』一八六四年版一二六頁に、豕能く風を見るてふ俚言を載す。豕の眼は細いが風の方向を仔細に見分くるのであろう。人間にも一つの感覚でるべき事相を他の感覚で識り得るのがあって、ある人妻の体内にある故障ある時、何となく自分の口中にアルカリ味を覚えるあり。

     三十三年前、予米国ミシガン州アンナボアに佐藤寅次郎氏と野原の一つ家に住み、自炊とは世を忍ぶ仮の名、毎度佐藤氏がこしらえ置いた物を食って出歩く。厳冬の一夜佐藤氏は演説に出で、予一人二階の火もかざる寒室に臥せ居ると、吹雪しきりに窓をって限りなくすさまじ。一方の窓より異様の感じが起るので、少しく首を転じて寝ながらると、黒紋付の綿入れを着た男が抜刀をひっさげて老爺を追うに、二人ながら手も足も動かさず、眉間尺みけんじゃくの画のごとく舞い上り舞い下りる。廻り燈籠どうろうの人物の影が、横に廻らず上下にまわったらあたかも予が見た所に同じ。しかし影でなくて朦朧もうろうながら二人の身も衣装もそれぞれ色彩を具えた。

    地体じたいこの宅従前住人絶え家賃すこぶる低廉なるは、日本で見た事もない化物屋敷だったのを世話した奴も不届ふとどきだが、佐藤は俺より早く宿ったから知っていそうなものと、誰彼を八ツ当りに恨みながら見れば見るほど舞って居るのは、本国の田舎芝居の与一と定九に相違ないので、雪降りの山崎街道も聞き及ばねば、竹田出雲いずもが戯作の両人がふるアメリカへ乗り込む理窟もなしと追々勘付き出し、急に頭をもたぐるとたちまち幻像は消え失せたが跡に依然何か舞うて居る。

    いよいよ起きてその窓に歩み寄ると、室内たちまち真闇まっくら咫尺しせきを弁ぜず。色々捜して燈をともしよくると、昼間鶏が二階のこの室に走り込んで突き破って逃げ飛んだ硝子ガラス窓の破処から、吹き込む雪まざりの寒風がカーテンに当って上り下りしおりその風の運動がくだんの両人の立ち廻りと現われ、消え失せた後もなお無形の何かが楕円軌道を循環すると見えた。

     錯覚といえば、それなりに済ましてしまうべきも、われら四十五、六歳までは或る一定の程度において嚢子菌の胞嚢を顕微鏡なしに正しく見得た。こんな異常の精眼力には風中の雪の微分子ぐらいの運動の態が映ったかも知れず、豕が風を見るというのもまるで笑うべからず。予の眼力の驚くべくかった事は、一九一四年『英国菌学会事報』七〇頁と、一九一八年『エセックス野学倶楽部特別紀要』一八頁に、故リスター卿の娘でリンネ学会員たるグリエルマ嬢が書き立て居る。

    (大正十二年四月、『太陽』二九ノ四)

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    「猪に関する民俗と伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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