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『王子法益壊目因縁経』に、高声愧ずるなく愛念するところ多く、是非を分たぬ人は驢の生まれ変りで、身短く毛長く多く食い睡眠し、浄処を喜ばざるは猪中より生まれ変るといい、『根本説一切有部毘奈耶』三四に、仏諸比丘に勅して、寺門の屋下に生死論を画かしむるに、猪形を作って、愚痴多きを表すとある。
『仏教大辞彙』巻一の一三三八頁にその図二ある。猪が浄処を喜ばぬとは、好んで汚泥濁水中に居るからで、陶穀の『清異録』に小便する器を夜瀦という、『唐人文集』に見ゆと記す。溜り水を瀦というも豕が汚水を好むからだろう。
蘇東坡仏印と飲んで一令を行うを要す。一庭に四物あり、あるいは潔くあるいはきたなく韻を差うを得ず。東坡曰く、美妓房、象牙床、玻盞、百合香と。仏印曰く、推瀦水、※[#「やまいだれ+慊のつくり」、291-2]瘡腿、婦人陰、※[#「髟/胡」、291-3]子嘴と(『続開巻一笑』一)。
ブラントームの『レー・ダム・ガラント』第二に、ある紳士が美人睡中露身を見て一生忘れず、居常讃嘆してわれ毎にこれを観想するのほかに望みなしといったとあるは、仏印の所想とすこぶる違う。さてその紳士その美人を娶れば娶り得るはずだったが、利に走る世の習い、その美人よりも富んでさほどの標緻を持たぬ女を妻ったとは、歎息のほかなし。
荘子は亀と同じく尾を泥中に曳かんといったが、猪が多く食って泥中に眠るも気楽千万で、バウルスは豕を愛する甚だしく、上帝が造った物の中最も幸福なものは豕だといった。殊に太った豕ありと聞かば二十マイルを遠しとせず見に往った。生きた豕の愛が豕肉にまで及んで、宴会に趣くごとに自製の豕肉をポケットに入れ往き、クックに頼んで特に調味せしめた(サウゼイの『随得手録』四輯)。
自分が愛する物を食うは愛の意に戻るようだが、愛極まる余りその物を不断身を離さずに伴うには、食うて自分の体内に入れその精分を我身に吸収し置くに越した事がない。猫が人に子を取らるるを患いてその子を啖い(ロメーンズの『動物の智慧』一四章)、諸方の土蕃が親の尸を食い、メキシコ人等が神に像った餅を拝んだ後食うたなども同義である。わが邦の亥の子餅ももと猪を農の神として崇めた余風で、猪の形した餅を拝んだ後食ったらしい。この事は後に論じよう。
(大正十二年一月、『太陽』二九ノ一)
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「猪に関する民俗と伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収