萃点(すいてん)
「萃点」という言葉は、おそらくは南方熊楠(1867年~1941年)の造語。
「萃」は、「あつまる・あつめる」の意。
「萃点」で、「集まる地点」という意味でしょう。さまざまな物ごとの"ことわり"が通過し、交差する地点。
「萃点」を押さえてそこから始めたら、物ごとの研究ははかどる、と熊楠はいっているようです。
「萃点」という言葉は、おそらくは南方熊楠(1867年~1941年)の造語。
「萃」は、「あつまる・あつめる」の意。
「萃点」で、「集まる地点」という意味でしょう。さまざまな物ごとの"ことわり"が通過し、交差する地点。
「萃点」を押さえてそこから始めたら、物ごとの研究ははかどる、と熊楠はいっているようです。
南方熊楠の手紙:"南方マンダラ",「不思議」について,その他(現代語訳21)
さて、妙なことは、この世間宇宙は、天は理であるといったように(理は筋道)、図〔※図は本で見てください。『南方熊楠コレクション〈第1巻〉南方マンダラ』 (河出文庫)296頁)のように(図は平面にしか描けない。じつは高さ、幅の他に、厚さもある立体のものと見よ)、前後左右上下、いずれの方からも事理が透徹して、この宇宙を成す。その数は無尽である。だから、どこひとつをとっても、それを敷衍追求するときは、いかなることをも見いだし、いかなることをもなしうるようになっている。
そのはかどりに難易があるのは、図中(イ)のようなのは、諸事理の萃点(すいてん)なため、それをとると、いろいろの理を見いだすのに容易で早い。(ロ)のようなのは、(チ)(リ)の2点へ達して、初めて事理を見いだす道筋にたどりつく。それまではまず無用のものなので、入り用だけなことに汲々としている人間にはちょっと考え及ばない。(ニ)もまたそうである。
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