1904年7月8日
◇七月八日 朝半晴又曇、午後雨
朝、秀吉が衣類を持って来る。太地へ行くという。午後、宿の子供(老母の孫である)が来て泣きちらす。予が大いに怒っているところへ宿の主人の正右衛門が『ノーツ・アンド・クエリーズ』を持って来て(多屋より廻送)、長いこと縁の先に居座る。予はますます怒る。
午後、秀吉が来る。ビールを買わせて飲む。松本氏と千代田屋(※天満の宿屋※)の主人が高芝から来たのを呼び入れ飲ませて話し、雨を冒して夜に、秀吉と千代田屋主人と天満に帰り、清水氏を訪れ、深夜に病院に帰って寝る。
メモ
『ノーツ・アンド・クエリーズ』は、1849年にイギリスで創刊された学術雑誌。1899年の初掲載から晩年1933年までの間に『ノーツ・アンド・クィアリーズ』に掲載された熊楠の論文の数は323篇。
1904年の日記は『南方熊楠日記〈2〉』に所収