1901年11月27日
◇十一月二十七日 晴
朝早く起き、荷物を整え、家の嫁お君、下女お松2人が船を漕ぎ、利助方に行くと(7時過ぎ)、政一はすでに5時半に色川に出立。2人の女に1円やり、ブリキ胴乱をさげ、おいおい肩にかけ、井関を過ぎるとき、小急流中にバトラコスペルマム1種を得る。これを見ていた天満の駐在太田善之丞という巡査(海草郡宮前村)と同行、那智一ノ鳥居前にて別れ、脇道より瀑布まで行き、滝の下に下り、日没まで採集。それから歩いて帰る。井関にてマッチ1つ買い、2銭渡し、1銭損し7厘釣りをとる。この家は我が家の酒をとる正直な人とのことを後で聞く。
利助方まで行くと8時過ぎであった。うどん3杯食い(この日、朝、宿にて2椀と梅干、利助方にて 食2椀、ウルベ2疋の他、この時まで食わず。那智にて水を2度飲んだだけである)、うどん屋に来合わせた小橋の温泉宿の孫に便船して帰り、飯食い、湯に入り、話して寝る。2人の女は勝浦に行き、不在。
メモ
1901年の日記は『南方熊楠日記〈2〉』に所収