奇絶峡保勝に関し南方先生より本社毛利に寄せられたる書(現代語訳)

奇絶峡保勝に関し南方先生より本社毛利に寄せられたる書(現代語訳)


奇絶峡保勝に関し南方先生より本社毛利に寄せられたる書(現代語訳)

オガタマノキ
奇絶峡

20日に藤山理事官が知事代理として田辺来訪に就き、本社毛利は県会議員として知事代理を訪ね、奇絶峡、動鳴渓、及び長野村足谷の勝景保存に関する意見を陳述した。この一書は当日、南方先生より毛利に寄せられた私信であるが、これを一個の筐底に秘めるに忍びず、さらに先生の承認を得てここにこれを発表する所以である。願わくは重要な地位についている諸公及び一般民間の有識の士、熟読玩味あらん事を望む (記者)

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 奇絶峡は植物活状学にもっとも有用の所です。植物活状学はエコロギー(※エコロジー)と申し、近来発達の学問です。小生が一昨々年ロンドンでちょっと発端を出しておいたように、この学問は植物と植物と相互の関係を知ることがもっとも必要で、また植物と動物、植物と無機物との関係を見ることももっとも必要である。

 支那や日本では昔からこの事に気付き、例えば蜜柑の下に葱を植えれば蜜柑に病菌なく、白と赤との蓮を一所に植えれば必ず白は絶滅する。地下に石炭がある所は必ずヤマジソというものが繁茂する等の事例が多い。小生一昨々年ある学者の問いに応じ、東洋で知っている例を列記し出したところ、「西洋に学者は多いのに、この事は日本人にしてやられた」と米国の一学者が評された。

 この植物活状学は追々非常に研究を促がす事と相成るはずなので、そのような場合、人工が少しも加わっていないこの奇絶峡の他には、これを試験する地はこの界隈にはありません。

 また誰も気付かぬ事ながら美術(主として絵画)の天然風景の美ということを精査するのに従前の如くただ宏壮とか優美とか艶麗とか秀雅とか、ヨイ加減な形容詞だけでは何の益もない。これもまた行く行くは必ず科学的に精密に実際の分析を行わないわけにはいかず、これを為すにも奇絶峡がもっとも必要です。

と書いただけではわからないだろうが、例えば岩石に色々の色がある、青く蒼い内にも筆で述し得ぬ差などがある、その諸種の青さが調合する具合により景色も変わる。その元はというと第一に碧藻(※藍藻〔らんそう〕、blue-green algae※)と申し、一向に本邦の学者は気に掛けないもの(松村教授の植物名鑑に本邦のものは50種もなかったと記憶する。しかしながら小生が田辺より四里四方で集めたものがすでに500余種程ある)、

それから蘚苔及び蘚の未発生の芽それから碧色以外の諸藻。それに諸種の岩石、土壌の色が混じて色々の風景を為し、それにまた天の色、水の色、色ばかりではならぬから物の陰。陰も千差万別である。さてそれ等の色の変り目を為す地勢(一石一岩の位置までも地勢である)、これらを微細に分析研究して後初めて天文学者が千年後の日蝕を言い当てるが如く、好みのままの風景を生成することができるのです。

このような微細の事に気付かず、タダタダ宏麗とか優逸とかいうは婦女の皮膚の緻度を察せずに衣服をかれこれいうようで、到底本当の審美学にはなりません。そうしてこの碧藻を始め諸生物が風景に及ぼす次第を見るには奇絶峡ほどの地はない。小生はこの事に就いては既に十五年前に気付き、材料およそ四千点を有し、今も研究を続けています。西洋人も今に気付かぬ事が多く、出来上れば大問題になります。また出来上がらなくても後進者に対し研究の種子を遺す事になります。

前年相良氏は神社濫滅に務め、小生が甚だ不快に思っていた人であったが、神島をとにかく保安林にしてくれた労は今深く感じ、外国にまでもその名を録して伝え送り申しています。藤山氏如きも願わくはセメてこれ程の尽力があってほしいものです。

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記者いわく、この書はなお「附録」と題し約70〜80行を記され、実に興味津々たるものがあるけれど直接本題に関係がないので遺憾ながら省略する。

(大正五年九月二十三日『牟婁新報』)


「奇絶峡保勝に関し南方先生より本社毛利に寄せられたる書」は『熊野』第151号(紀南文化財研究会)に所収。

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