1908年11月30日
◇11月30日[月] 晴
早朝、荷持ちを約束した市蔵が来り、親族の者が死んだので明日荷持ちすると言う。よって馬吉と荷作りし、明朝、右人に渡すようと宿の婦に頼む。
久しく宿っていた阿波の山かせぎ男、 11円ほど借金があったところ、三越(みこし)より人が迎えに来て、4円払って午後に去る。
午後3時頃に宿の婦に50銭をやり(先立って、下女と倅茂八に各10銭やる) 、宿を出立、勘定残り7円52銭は借りにする(12月3日に田辺より返却)。皆地(みなち)を離れて日が暮れる。武住の大黒屋に宿す。夜風あらし。
この朝、野田氏が予のために耳石を3つ得て、予は昨日1つ得た。川辺の小穴に穴が開いたのを、耳に煩いのある人が薬師に願ほどきに進上するのだ。堂の椽(たるき)に結びつけてある。
メモ
薬師堂は川湯温泉の守り本尊、川湯十二薬師のことだと思われる。
1908年の日記は『南方熊楠日記 (3)』八坂書房 に所収