1908年11月21日
◇11月21日[土] 快晴
[発信]松枝にハガキ1、常楠に手紙1
玉置山で得た菌を描く。夜に栗山氏が一寸来て話し、野田は萩原店へ遊びに行く。
萩原店の隣の大工の子、松本光雄はうかれ節の名人、14才ばかり、常に鼻汁が垂れ、「鼻タレルハ薬ヂャエ」という。田辺へ行こうかというと「オレ、イヤジャエー」。
メモ
うかれ節は浪花節のこと。浪花節という名称が定着するまで西日本ではうかれ節と呼ばれました。
1908年の日記は『南方熊楠日記 (3)』八坂書房 に所収
◇11月21日[土] 快晴
[発信]松枝にハガキ1、常楠に手紙1
玉置山で得た菌を描く。夜に栗山氏が一寸来て話し、野田は萩原店へ遊びに行く。
萩原店の隣の大工の子、松本光雄はうかれ節の名人、14才ばかり、常に鼻汁が垂れ、「鼻タレルハ薬ヂャエ」という。田辺へ行こうかというと「オレ、イヤジャエー」。
メモ
うかれ節は浪花節のこと。浪花節という名称が定着するまで西日本ではうかれ節と呼ばれました。
1908年の日記は『南方熊楠日記 (3)』八坂書房 に所収
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