1908年11月18日
◇11月18日[水] 快晴 甚暖
朝、宿主の北岩蔵(60余歳の老人)が案内し、前田、仲の2人が船をひき、また棹をさし、しばらくして瀞八丁に至る。紅葉で景色がよい。田戸に着くと仙郷の画幅が空にかかっているかのようである。寄生菌、藻を少々とる(釜石という所の上のある滝にてヒルデブランジャ及びこれと混じて生じた紫色のチャントランシアをとる)。
前田、馬吉と岩蔵は酒を飲む。宿に帰り、支払いをし、前田、仲の2人は船で帰る(岩蔵には案内料50銭やるが、岩蔵は1円50銭くれという。やらず)。予は酒1升を買ってやる。70銭。
予と馬吉は木馬道(※きんまみち:牛馬や人力による木材搬出路)を上り、玉置川まで行き、宿泊。主人は那智郡大野の者で、妻は翌朝きくと和歌山雑賀屋町久保田(幸田?)の娘という。隣室へ木挽き、行商人ら4人がとまる。
この朝、このような暖気と快晴にこの佳景を見たのは天の与えた幸福である。
メモ
瀞八丁は和歌山県・奈良県・三重県の三県の境界をなす峡谷・瀞峡(どろきょう)の下流部、約1.2kmの区域。国の特別名勝、および天然記念物に指定されている。
1908年の日記は『南方熊楠日記 (3)』八坂書房 に所収