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    南方熊楠(1867年~1941年)は単式顕微鏡を愛用していました。
    私達が学校の理科の授業で使ったような複数のレンズを組み合わせた複式の顕微鏡でなく、1枚の単レンズだけでできた単式の顕微鏡。
    簡単な装備で丈夫で、しかし操作がちょっと難しいという単式顕微鏡。

    単式の顕微鏡がまず開発され,1830年代に複式顕微鏡の開発が進み,19世紀後半には複式顕微鏡が一般に使われるようになっていましたが、熊楠は古風な単式の顕微鏡を愛用しました。



    顕微鏡

    南方熊楠の手紙:フィラデルフィアの顕微鏡(口語訳3)
    しかしながら前年貴下がくだされたカメラ・ルシダ(※camera lucida:かつて画家がスケッチを描く際の補助に使った光学装置。20世紀半ばまで、科学者は、顕微鏡写真が高価であったため、カメラ・ルシダを使用して微生物や細胞など微細なもののスケッチを描きました※)のワクは、小生がもっともしばしば使用するわずかに50倍ー200倍くらいの簡単な顕微鏡にどうしても小さすぎて合わず、何とぞその簡単な顕微鏡の筒に合うようにワクを作らせようと思うけれど日本では出来ず、貴下よりくだされたカメラの製造元(米国)では寸法さえ書き付けて送れば作ってくれるとの広告がある。

    この筒を東京へ送り,万一途中で紛失また損害があってはこの簡単な顕微鏡(フィラデルフィアで作った。その会社は今はない。またこのような簡単強固安値なよい顕微鏡は今ではどこにもな。一方、小生が南米まで持っていき、その後今でも普段から役に立っているものなので、牡鹿の角の束の間も自分から離すに忍びない)は、その用をまったくなさなくなる。

    小生の眼に長年もっとも馴れたもので、菌や藻の外形を通過光線でも反影光線でも、咄嗟の間に用いることができる結構でなかなか便利なものである(ただ今は弁慶の7つ道具のようにいろいろと付属器が多いほど、事が難しくなり,咄嗟の間に間に合わない)。

    だからこの顕微鏡の筒の直径を小生が精細に描きかつ測度し、書き付けてそれに合うワクを注文しようと思うが,カメラをあのワクからこのワク、このワクからかのワクと、はずしたり加えたりすることが阿漕が浦のたびに重なると、また必ず珍事出来して棹がゆがんだり、鏡がはね落ちたりするので、いっそこの簡単な顕微鏡の筒にふさわしいワクを作り,それに前年貴下よりくだされた通りのカメラ・ルシダ一切一揃えを揃えて注文したいと思う。このことを貴下おついでがあらばお聞き合わせ、だいたいいくらくらいか、また代金は前納すべきか否かをもお聞きくだされたく思います。

    南方熊楠の手紙:フィラデルフィアの顕微鏡(口語訳4)
    小生は顕微鏡を多く持つが,右の顕微鏡は日夜入り用で,たとえばこれほど(1)の大きさにカビの全体を図にするのはこの顕微鏡に限り,他の顕微鏡を用いるといずれも大きすぎてこのように(2)そのカビの一部分しか写すことができず、不用のことに力を尽くすことが大きくて結局詳細に過ぎ大体のことがわかりにくいことが多い(※図あり。図は本で見てください。『南方熊楠コレクション〈第5巻〉森の思想』 (河出文庫) 144頁※)

    自在画法でやってのけているが、それでは諸部の大きさを精細に観測することができず、大きさの観測にはぜひカメラ・ルシダを用いることを必要とします。筒の大きさを測るのは必ずしも筒を東京まで送る必要はなく、当方で精測し、またその確かな図、すなわちこのように紙の上に筒を置き、精細に鉛筆で輪を描けばよいことと存じます。少々実物と違ってもその違いはわずかなことで、ワクの一方にこんな口があり、ネジの伸び縮めで多少ワクの径が広くなり,狭くなりして筒に合うものと存じます。

    前日御恩賜のやつのワクは、その直径が小生の顕微鏡の大抵の奴に合うが,ただ右に申す顕微鏡のやつの直径より狭くて、どうしても合わないのだ。(イ)の径が(ロ)の径より短いのだ。どんなに(イ’)の口を広めても(ロ’)の径の長さほどに広まらないのだ。右当用のみ申し上げます(※図あり。図は本で見てください。『南方熊楠コレクション〈第5巻〉森の思想』 (河出文庫) 144頁※)

    南方熊楠の手紙:神社合祀に関する意見(口語訳20)
    熊楠は帰朝後十二年紀州におり、ずいぶん少なからぬ私財を投じ、主として顕微鏡的の微細植物を集めたが、合祀のため現品が年々滅絶して生きたまま研究を続けることができない。空しく図画と解説の不十分なものだけが残存している。

    南方熊楠の手紙:履歴書(口語訳4)
    このようにして2、3年いるうちにフロリダで地衣類を集めるカルキンス大佐と文通上の知人となり、フロリダには当時米国学者の知らない植物が多いのを確かめた上、明治23年〔24年の誤り〕フロリダに行き、ジャクソンヴィル市で中国人の牛肉店に寄食し、昼は少し商売を手伝い、夜は顕微鏡を使って生物を研究する。その中国人はおとなしい人で、小生の学事を妨げないために毎夜不在となり、外泊し明け方に帰ってきた。24年にキューバに渡り、近傍諸地を観察する。

    南方熊楠の手紙:履歴書(口語訳23)
    これはむかし眼鏡屋主人で顕微鏡に大改良を加えたリスターという者の後胤で、初代のリスターは眼鏡屋ながら学士会員となった。

    南方熊楠の手紙:履歴書(口語訳25)
    顕微鏡で見ると、このような〔図のAをさす ※図は本で見てください。『南方熊楠コレクション〈第4巻〉動と不動のコスモロジー』 (河出文庫) 344頁※〕微細の小判形の緑色のものが多くある。これが藻の本体で、こんな〔図のBをさす ※図は本で見てください。『南方熊楠コレクション〈第4巻〉動と不動のコスモロジー』 (河出文庫) 344頁※〕餅塊でつつまれる。これがゼラチンで、件の藻の体からふき出されるのだ。

    南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(口語訳10)
    このようにして帰朝してもまったく歓迎してくれる人もないので、「故郷やあちらを見ても梨の花」」、熊野の勝浦、それから那智、当時は英国から帰った小生にはじつにズールー、ギニア辺以下に見えた蛮野の地に隠居し、夏冬浴衣に縄の帯して、山野を跋渉し、顕微鏡と鉛筆水彩画と紙だけが個人的財産で、月々家の弟からの20円のあてがいで、わびしくもまたおかしくもどれほどかの月日を送っていた。

    南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(口語訳9)
    しかしながら、田辺の宅にいて炭部屋の内に顕微鏡を置き、昼も夜も標本を調査している間のとある日に妻が当時3歳になる娘を伴い牛肉を買いに出て帰ってきてからの話に、この宅の近所の米国女宣教師の宅に18,9のまことに紅顔のおとなしい美人がいて、毎日近町の醤油屋の隠居に生け花を習いに行く。どんな家の娘であろうと思っていたところ、ただ今肉を買って帰る途中で私達に追いつき、娘に煎餅を1袋くれたから、貴娘は何の縁があってと問うと、日高郡塩屋浦の羽山家の出で、兄たちが自分が生まれない前にいろいろと先生のお世話になったが、不幸にして逝世したと話されたとのこと。そう聞けばまことにかの兄たちにどこか似ている。。

    南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(口語訳11)
    すなわち人が顕微鏡のもとで眺めて、それ原形体が胞子を生じた、それ胞壁を生じた、それ茎を生じたと喜ぶのは、じつは活動する原形体が死んで胞子や胞壁に固まり化するので、一旦、胞子、胞壁に固まろうとしかけた原形体が、またお流れとなって原形体に戻るのは、粘菌が死んだと見えてじつは原形体となって活動を始めたのだ。

    南方熊楠の手紙:"南方マンダラ",「不思議」について,その他(口語訳14)
    もし伝説のように多く酒を飲んで、そうして、日中は数百の昆虫を集め、数千の植物を顕微鏡標本に作り、また詳しく画に描いて彩色し、英国で常に科学の説を闘わし、また文学上の投書をし、かつふだん読書をし、また随筆を書き、もしくはこの状のようなものを草案もせずに書き流すことができるとすれば、これは偉大なことではないでしょうか。ましてや、その人は何の世に迷惑をかけることもなく、何もかも現金で払うところを見れば、その経済の方は、まことに穏やかな法を秘し、行なっているものといわざるを得ない。

    南方熊楠の手紙:"南方マンダラ",「不思議」について,その他(口語訳15)
    大乗は望みがある。なぜかというと、大日如来に帰して、無尽無究の大宇宙の大宇宙のまだ大宇宙を包蔵する大宇宙を楽しむところが尽きないからである。たとえば顕微鏡1台を買ってそれで見ることだけでも一生楽しむところが尽きないように 。

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