童貞

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    南方熊楠(1867年~1941年)は、数えで37歳のときに土宜法竜に宛てた手紙のなかで、

    金粟(熊楠の自称)はすでに無形の法喜を妻としているから、この上は一生浄行で果てるのだ。

    と、生涯童貞の決意を告げています(法喜は仏法に触れて感ずる喜び)。

    30歳まで童貞だと魔法が使えるようになり、40歳まで童貞だと大魔導士になれる、という俗説があるらしいですが、 「40歳までは女に見向きもせず精進する」というくらいの決意がないと大魔導士のような大人物にはなれないということなのかもしれません。

    南方熊楠は数えで40歳になってから結婚し、童貞を捨てました。実際、その業績を考えると、熊楠は大魔導師のようです。


    生涯童貞であったといわれる偉人たちには、上杉謙信、吉田松陰、宮沢賢治、アイザック・ニュートン、アントニオ・ガウディなどがいます。



    南方熊楠の手紙:履歴書(その20)
    独身では不自由なため、喜多幅の媒介で妻をめとる。小生40歳、妻は28歳、どちらもその歳まで女と男を知らなかったのだ。妻は当地の闘鶏神社といって、むかし源平の合戦のときに熊野別当湛増(たんぞう)がこの社で神楽を奏し、赤白の鶏を闘わせたが、白がことごとく勝ったため、源氏に味方して壇の浦に平氏を殲滅させたと申す。その社の維新後初めての神主の第四女である。裁縫、生け花などを教え、貧乏な父に孝行して嫁に行く暇もなかったのだ。

    南方熊楠の手紙:履歴書(その31)
    小生は、ずいぶん陰陽和合の話などで聞こえた方だが、行いは至って正しく、40歳まで女と話したことも少なく、その歳に初めて妻をめとり、ときどき統計学の参考のためにやらかすが、それすらかかさず日記帳にギリシア文字で茶臼とか居茶臼とか倒澆蠟燭とか本膳とかやりようまでも明記した。

    南方熊楠の手紙:"南方マンダラ",「不思議」について,その他(現代語訳8)
    そして、金粟は海外で学問すること久しく、そんなことの暇がなかったから、なんとなくそのことなく、今となっては、それを知らなかったからこそ、学問は面白くできたと喜んでいるのだ。それもでき、学問もできる人はなおよい。

    南方熊楠の手紙:"南方マンダラ",「不思議」について,その他(現代語訳13)
    ただし、ルターが率先して尼を妻としてみせたのと事情は変わり、金粟はすでに無形の法喜を妻としているから、この上は一生浄行で果てるのだ。



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