南方熊楠語録

南方熊楠botのつぶやき

『古事記』に、神武天皇熊野村にて大熊に遇いたまいしことを載せ、伴蒿蹊の説に、栂尾山所蔵「熊野縁起」に、同帝三十一年辛卯、高倉下尊、紀南にて長一丈余にて金光を放てる熊を見、また霊夢を感じ、宝剣を得たりとある由。熊野の名これに始まるという。 https://www.minakatella.net/letters/dobutusuhai3.html
今は知らず、二十年ばかり前まで、熊野の田舎でかく信ずる者多く、また、同時に庚申を信ずれば盗難を免かるとし、失踪人や紛失物を戻し、盗人を捕うるに、その像に祈り、繩で縛る。お尋ね物が出てきたら解いてやると、まるで神を泥棒の人質にとるのだ。
楢と同属の木イチイに古く櫟また赤檮の字を当てた(『和名抄』と『書紀』)。イチガシとて、熊野で神林にしばしばみる。…『紀伊続風土記』七七に、牟婁郡月野瀬村の祝明神森は、古来社なく櫟を神体とすという。
熊野などでは楢とのみ言ってハハソと言わぬ山民多い。ホウソは疱瘡と聞こえるによる。
徳大寺左大臣の詠に「夕かけて楢の葉そよぎふく風に、まだき秋めく神なびの森」。神林に楢、柞(ホウソ)多きはみな知るところで、…『後拾遺』「榊とる卯月になれば神山の、楢のはかしはもとつはもなし」と引いた。これで楢、柞は…むかしはもっとも神に縁厚かったと知る。
『紀伊続風土記』七七にいわく、牟婁郡小口川郷諸村に社なく、木を神体として某森と唱うる所多し、と。むかし森と言ったは、多くは木を神体として祭った木立を言ったので、杜社相通じたとの白井博士の説を、中村代議士が先年神社合祀に関する質問演説に引かれた。
熊野の奥山に、「庚申さんの鳥」とて、山鳥の形で全体火のごとく赤いのを、山民畏敬すると閏いたが、見たことなし。内田清之助氏の『日本鳥類図説』上に載せた、赤山鳥でなかろうか。これは九州にかなり多きも、本島にきわめて稀なり、と出ず。
…『熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記』に、「孝安天皇の御宇、戊午の歳、本宮の五本榎に十二所権現を顕わす。帝皇に奏し、祝し奉る。丙子の年八月八日、熊野新宮に竜火落ちて焼けおわる。三所の御聖体鏡、飛び出でて榎の枝に懸かる、云々」とあるを見、…古くより榎は熊野の神木たりしことを知った。
この辺に禅宗むかし大いにはやり、熊野地方は多く禅宗坊主が開きし。今も地方の俗謡に禅語のみのもの多く、ちょっと聞きては何のことか分からず。この禅坊主が地方を開きし方法の如きは大いに研究を要す。諺に「天台公家、真言武家、浄土町人、禅百姓」と言いて禅宗は百姓の教化をもっぱら務めしなり。
たとえば熊野にては寺を改築するに従来三、四年住職を止め無住にして節倹して儲蓄寄付し(住職みずから俸給を棄捐摘する意となる)、さて新築せしなり。このことに気づかず、書上に無住とある寺を何の差別もなく無茶苦茶に合併したり、…由緒正しき大寺にして亡びて田畑となり、何の益もなきこと多し。
兵生(ひょうぜ)に四年前ありし時、十四歳ばかりの少女風呂場に来たり、十七、八の木挽の少年に付けまわり、種臼きってくだんせとしきりに言う。解説は聞かなんだが、かかる年ごろの者の被素せられぬを大恥辱とするらしく、すなわち種曰切るとは破素のことなり。
熊野に、十年ばかり前まで松葉と小礫とを贈ってマツニコイシなど表示し、またその仲立ちにより生まれし少女を小石と名づくる等の風、小生も目撃せり。
熊野では牛鬼という怪獣、人を見詰めて去らず、その人ついに疲れて死す、人の影を呑むからだ、と言う。人これに遇えば逃るるあたわず。ただし、その時「石は流れる木の葉は沈む、牛は嘶き馬吼える」と、『曽我物語』に五郎が王藤内の斬らるるを見て詠んだ歌のような逆さま言を唱うれば害を免るなど…
また前年新宮の小林区署長がみずから語ったは、大樹を伐るはまことに遺憾ゆえ、やむをえず伐る時は、必ずまず神酒を供え、樹の霊を祭って後に伐ることとしたと誇りおったが、奇妙なことには、この人監督中おびただしく老樹の濫伐が行なわれた。
また田辺の人にて七十近き者、若い時諸方旅をした時見たとて話す。山に入り木を見て伐って可なるか否を知らんと思わば、神酒(ミキ)上げましょうか、斧(ヨキ)上げましょうかと言うて、斧を打ち込み帰るに、神木等の伐りて悪しきものは、夜間に斧はずれおる、と。
紀州西牟婁郡将軍山に、日向玄徳という武人住みしとて遺蹟多し。十年ほど前まで、その辺の人鶏を飼わず。玄徳の霊いたく忌むゆえと言うた。その他にも鶏を忌む所、熊野に若干ありし。…この次第ゆえ戦闘大流行の世に、鶏は山籠りに禁物だったと見える。
例の神武帝の皇師を熊野から吉野へ導きまいらせた八咫烏は『古事記』の序に大鳥とあり、あるいはこれを神とし人とするもあれど、とにかく上古烏が人を導くという信念があったからかかる譚も伝わったので、外国にも古ギリシア、テーラの貴人バットス、鴉の案内によって新たに国を見出だし殖民し、鴉の…
紀州西牟婁郡諸村(例せば富里村)に、牛小屋のかんぬきを赤く塗り、魔除とする者多し。また熊野地方一汎に、牛を売買顔見世につれ行く時、必ずその体の諸部に、赤き装飾を加う。これその外見を美しくするためなりと伝うれど、実は大切の日なれば、特に重く魔を禦ぐ古俗に出でしことならん。
『義経記』に熊野別当弁正、二位大納言師長の独り娘十六なるを奪い妻とし、孕ませ十八ヵ月にして弁慶を生む。大きさ二、三歳の児のごとく、髪は肩の隠るるほどに生えて、奥歯向う歯ことに大に生えて産まれた。弁正、これは鬼神だろう、水に沈め、また深山に磔にせよと言ったのを、その妹が乞い取って…
当田辺町、予の住宅より遠からぬ街に、弁慶松とて高名の木あり。…件の松のすぐ側の家に住んだ大工が、常の鉋に二倍大なるを使うほど剛力の名人だった。その妻、子を生むと非常に大きく歯が生えおり、握った手を開くと弁慶の二字あり、自在に走りありく。かかる者を活かしおかば両親危うかるべしとて…
当田辺町、予の住宅より遠からぬ街に、弁慶松とて高名の木あり。古来奥羽より熊野に詣る連中、その落葉を拾い十襲(じっしゅう)して持ち去る、瘧(おこり)を落とす効ありと言う。その近所に弁慶産湯の井戸という奴があつたのを維新後潰しおわった。
神罰ということは何の宗教にも言うところにて、近来欧州にも専らこの事を研究する人あればまるでなき事とも速断し難きが、とにかく良心の咎むるところよりかかる病症を起こしたるなるべしと心ある人いずれも懼れ居る由。
神罰などということ、あるかなきか知れず。しかし、あるとしても差し支えなき限りは、あまり迷信迷信迷信と神木を伐ることをまで恐れぬように世間を開け切らしむるも如何あるべきやと疑われ申し候。
…今日婦女の衛生処理大いに進み、…古人が月水を大いに怖れた意味は到底分からず。したがって米国などには月水を至って清浄神聖なものとする輩すらある由。そんな人に和泉式部が伏拝みの詠などを聴かせても全然事実らしく思わず、言実に過ぎたりとか、ほんの歌詠上の誇張とか評すること必せり。
紀州東牟婁郡色川村は、海より三里ばかり距たった地だが、三、四年前そこの小学生徒が初めて海をみて、チベットのラマ僧が、前年初めて日本海をみた同様驚いたと『大毎』紙で読んだ。また日高郡山路村などの老婆が、近年初めて馬を見て仰天したことあり。
...in the Japanese deer; the animal was and still is held sacred to some Shintoist temples{comma} as you can see it walking with perfect impunity around the holy precinct of Kasuga and Itsukushima...
...as you can see it walking with perfect impunity around the holy precinct of Kasuga and Itsukushima and in the 1st named locality{comma} any offender of the deer was{comma} till comparatively recent times{comma} punished with burying alive...
...yet the partaking of venison was so much abhorred that the legitimate Emperor Gomurakami (reigned 1340-1368) is reputed to have been unable to conquer the so-called "northern monarchs" established by the revolting Ashikaga family...
紀州西牟婁郡長野村大字馬我野字鎌倉に七人塚という所がある。塚は今はない。むかし七人の山伏がここに住んでおった。ある日、田辺沖を通る船に向かって秘術をもってこれを止めると、船の中にもえらい者があって沖より山伏どもを見つけ、秘術を行うて止めたから、七人の山伏…https://www.minakatella.net/letters/kishuzokuden151.html
予は昨日イソマの神祠三とも十日ばかり前に移転合併を命ぜられ、村人せめて一を存せんと望むも聞かれざる由聞き、今日に至るも不快。 https://www.minakatella.net/diary/19090815.html
渡り奉公の官吏輩何ぞよく自家に関係無き地を愛惜してその由緒を重んじ、その故蹟を保存し、その勝景を護持するに念あらんや。モンテスキューのいわゆる虐政の最も甚しきは法に依って虐を行う者なりとはそれこの謂(いい)か。 https://www.minakatella.net/letters/mubonarujinjagosi.html
粘菌はまた変形菌とも訳し、動物とも植物とも判然せざる生物にして人間世の一大関節たる生死の現象、子孫の永続、雑種児発生等の大問題を比較研究するに最好の大原形体を有するものなり。 https://www.minakatella.net/letters/mubonarujinjagosi.html
政府は神祇崇拝の実を挙げんため合併を行うなどと宣言するも、実際の結果はその所に反せり。まして合祀の結果一二里乃至四五里も歩まねば社参し得ざる向などは、今後二十年も経つ間には全く自家の産土神を知らぬ民多かるべく、結局日本ほど非神の国はなきに至るやも測られず。https://www.minakatella.net/letters/mubonarujinjagosi.html
この社は去る明治八年にも同様の合併を行いしに、やがて又元の如く復座したることあれば、今度は神が還り得ぬようにとて乱暴にも宮木を一本残らず伐り尽くし候ゆえ、ただに風致を損せるのみならず夏分などは赤裸々なる婦女子の行水を勝手次第に眺め得るように相なり… https://www.minakatella.net/letters/mubonarujinjagosi.html
この猿神社が他に合祀さるるまでは村民の参拝絶えざりしも合祀後は全く産土神と絶縁の姿にて、現に先頃神社の祭典ありし節も合祀の岩城山へは一人も詣らず、旧社の迹に伐去られたる古樟の株に小さな霊屋を構え、ひそかに祭りを済ませたり。その状さながら亡国の民と異ならず。https://minakatella.net/letters/mubonarujinjagosi.html
元来この猿神社の創設は年所も知れぬ程古きものにて、今より千八十七年程前、僧空海が創設せし高山寺の右側丘陵にあり。何れも絶佳の勝景なりしを一昨年俗吏等は彼輩が自分勝手に指定したる基本金五千円を積立つるにあらねば地面を取上るなどと僅々十七戸の糸田村民を威喝して https://www.minakatella.net/letters/mubonarujinjagosi.html
狼に大噬(おおかみ)の意あると同時にまた大神の義を具う。『書紀』巻一九、秦大津父、山中に狼の血闘するを解くとき、「馬より下りて口手を洗い漱ぎて、祈請していわく、汝はこれ貴き神にして、云々」。
かく狡智に富む故兎を神とした人民少なからず。すでに『古事記』に兎神を載せ、今も熊野で兎を巫伴(みことも)と呼ぶは、狼を山の神というから狼の山の神に近侍し伝令する女巫(みこ)と見立てたのだろ。 https://www.minakatella.net/letters/12usagi8.html
また伝うるは、夜行する者、自宅出づるに臨み、「熊野なる玉置の山の弓神楽」と歌の上半を唱うれば、途上恐ろしき物一切近づかず。さて志す方へ着したる時、「弦音きけば悪魔退く」とやらかすなり、と。前述、送り狼の譚は、これを言えるか。
その神狼を使い者とし、以前は狐に付かれしもの、いかに難症なりとも、この神に祈り蟇目(ひきめ)を行なうに退治せずということなく、また狐人を魅(ばか)し、猪鹿田圃を損ずるとき、この社について神使を借るに、あるいは封のまま、あるいは正体のまま渡しくれる。
大和吉野郡十津川の玉置山は海抜三千二百尺という。予も昨秋末詣りしが、紀州桐畑より上るは、すこぶる険にして水なく、はなはだしき難所なり。頂上近く大いなる社あり。
近ごろまで熊野地方にて、狼を獣類の長とし、鼠に咬まれて重患なる時、特に狼肉を求めて煮喫せしを参するに、古えわが邦に狼を山神とする風ありしならん。虎骨、虎爪と等しく、狼皮、狼牙、狼尾、辟邪の功ありという支那説、上の邪視と視害のついでに言えり。
田辺で小児、蟻群を見れば「蟻呼んで来い、ども呼んで来い」、また「蟻の婆(おば)よー、蟻の婆よー、引きにごんせよー、引きにごんせよー」。…「ども」とは大きな武勇な蟻の魁(かしら)を言う。https://www.minakatella.net/letters/kishuzokuden142.html
穴熊が女に化けること、『郷土研究』一巻三六九頁すでに述べたが、その後、西牟婁郡上秋津村の人に聞いたは、穴熊はまことにうまく美装した処女に化けるが、畜生の哀しさ行儀を弁えず、木にすばやく昇ったり枝にぶらんこしたり、処女にあるまじしことばかりするから、…https://www.minakatella.net/letters/kishuzokuden143.html
田辺近処稲成村の稲荷神社は、伏見の稲荷より由緒古く正しいものを、むかし証文を伏見へ借り取られて威勢その下に出づるに及んだと言う。https://www.minakatella.net/letters/kishuzokuden145.html
「紀州豊年、米食わず」という古い諺あり。紀伊豊年ならば、米多く産する他国みな豊年ならぬ意だ。https://www.minakatella.net/letters/kishuzokuden146.html
西牟婁郡下芳養村の老人いわく、昔は犬はただ三脚、五徳(鋳鉄製の鍋を懸ける器)は四脚ありし。弘法大師物書くに、笑という字を忘れ困却中、犬が簀をかぶり歩み来たので、犬が竹をかぶれば笑の字となると悟り、大いに悦んで五徳の脚を三本に減じ、その一脚を犬に与えて…https://www.minakatella.net/letters/kishuzokuden148.html
数ある竃(かまど)のうち一番大きなを田辺で「大くど」と呼ぶ。その灰の中へ茶碗一つ伏せ置くか、主人の下駄を金盥で覆(ふ)せ置けば、盗人入りえず。https://www.minakatella.net/letters/kishuzokuden149.html
毒虫、毒魚に刺されたとき、あり合う地上の石を取って裏返し置けば、痛みたちまちに止む、と言う。https://www.minakatella.net/letters/kishuzokuden1411.html
『郷土研究』一巻一二号に、日高郡上山路村殿原の谷口という小字の田の中に晴明の社という小祠あり、この田に棲む蛭、大きさも形も尋常の蛭に異ならねど血を吸わず、医療のため捕えても益なし、と書いたが、そればかりではおもしろくない。https://www.minakatella.net/letters/kishuzokuden152.html
…前田氏が北山の葛川郵便局に勤めおった時、ある脚夫が木本の付近の寺垣内から笠捨という峠まで四里のウネを夜行して来ると、後より十八、九の若い美女ホーホー笑いながら来たりて近づく。脚夫は提灯と火縄を持っていた。その火縄を振って打ち付けると女は後へ引き返した。 https://www.minakatella.net/letters/kishuzokuden153.html
紀州田辺町住、前田安右衛門、今年六十七歳、以前久しく十津川辺りで郵便脚夫を勤めた。この人話に、むかし東牟婁郡焼尾の源蔵という高名の狩人が果無山を行くと、狼が来たってその袖を咬み引き留める。その時十八、九の美しき娘、ホーホー笑いながら来たり近づき、… https://www.minakatella.net/letters/kishuzokuden153.html
…新宮町の弁護士田村四郎作氏来訪の節話に、昨日勝浦港で乗船、橋杭岩付近にて濃霧大いに起こり、文字通り咫尺を弁ぜず、危険極まり、船長以下なすところを知らざりし。これが夜間だったらわれらの命はなかったはず、と。予はあまり聞かなんだことだが、この辺に時たま濃霧起こると途方を失うらしい。
ここに示すは、紀伊西牟婁郡串本町付近の海岸より一列に排(なら)び出た橋杭岩で、桑名屋徳蔵大晦日の夜、妖怪とここで問答した。
田辺町に住む植草久米吉とて、至って記憶よき理髪師、幼時千石船の船頭から隠退しおった老父の話そのまま語ったは、小浦の徳蔵は何国の人か知れず、船頭の神と呼ばる。その時まで帆は一方にのみ用いられ、ただ風に随って行ったのを、この人風に逆らうて行くべき三方帆を発明した。
…広畑岩吉とて、こんなことには二本足持つ百科全書と言うべき人の話に、瀬戸の正三(しょうざ)は舟乗りの神と言わる。沖の暗いのにの唄(※♪沖の暗いのに 白帆が見える あれは紀の国 みかん船♪)は、この人初めて蜜柑を積み届けた時、江戸の人が唄歌のだ。
コロンブス、西大陸を発見してより、新たに発見したればとて新世界という。学者色々論じて、インジアンはシベリアから来たとか南洋から来たとかいう論断えず。論をするのは勝手ながら、第一義を忘れおる。第一義とは、この新世界は、実に新世界にあらず、それはほんの東半球人の勝手につけた名目なり。
英国にクリスマスの前夜、ホリー(モチノキの一族)を売ること、わが国節分にヒイラギを売るごとし。ホリーの葉に棘あるものは素人にはヒイラギと見分けのつかぬほど似たり。葉に棘あるをさせば男の威強く、棘なきをさせば女の権強しなどという。
いよいよわが国の神社は…外国人が毎々羨む通り、さしたる多額を費やさずに、村々大字小字に相応の公園あり、寺院あり、加うるに科学上の諸珍物を生存せるアサイラムとして保存されたきことなり。 https://www.minakatella.net/letters/2sho10.html
黄楊(つげ)を西牟婁郡で、「なべわり」と言う。その生葉を焼くと、パチパチと烈しく音して、鍋を破(わ)りそうだからだ。これを煎じて服すると胃病を治すという。 https://www.minakatella.net/letters/minkan3.html
これはイースター島とて、実に絶海の孤島、南米よりも三千里、最近の南洋島よりも二千里余の小島にあり。八、九、十もかかるものありて、最大なるは奈良大仏的の大なりという。しかしてこの島には石というは、礫少しくあるのみ、かかる石材など決してなし。
ここに一言す。不思議ということあり。事不思議あり。物不思議あり。心不思議あり。理不思議あり。大日如来の大不思議あり。 https://www.minakatella.net/letters/mandala21.html
この夜よりアリストートル、プリニー、ライプニッツ、ゲスネル、リンネ、ダールウィン、スペンセル及び白石、馬琴の九名を壁に掲げ、自ら鑑み奨励するの一助となす。
This sort of Vandalism{comma} which is practiced of late years daily in this country{comma} would seem to result not before long in the disastrous ruin of the patriotic as well as the aesthetic sense of the Japanese.
— the preservation of the many hundred years old Chinese Camphhor-tree being quite out of the question. The scenery has been totally destroyed.
As for the Monkey-God of Itoda{comma} I must say that I was perfectly stunned with despair on my return from the tour to find the whole grove{comma} that formerly added much to the sacredness of this shrine{comma} entirely disappeared —
アーシリア・グラウカは、世界中この処にのみ連年見出だせる新種なり。しかるに四年前厳命してこれを図中(ニ)なる稲成村の稲荷社に合祠し、跡木一切、アリドオシノキごとき小灌木までも引き抜かしむ。明治八年とかにも一度合祀したるに、今度は必ず神が帰り得ぬようにと… https://www.minakatella.net/letters/2sho22.html
また当田辺町を去る三、四町ばかりの糸田の猿神社のタブの老木株ごとき、一丈に満たぬものなるに、従来日本になしと思える粘菌三十種ばかり見出だし、その一は新種なり。 https://www.minakatella.net/letters/2sho12.html
小生「二書」出でてよりは大いに心も安く三年来始めて閑悠を得、妻子も怡びおり候。\r\n\r\n『南方二書』 https://minakatella.net/letters/2sho0.html
小生、貴下拙意見書刊行下されしを喜び、今日三時ごろより子分らを集め飲み始め、小生一人でも四升五合ほど飲み大酔、一度臥せしがたちまち覚め候。\r\n\r\n『南方二書』 https://minakatella.net/letters/2sho0.html
御影により神社神森一件もまず「二書」の分配で結局なるべく、小生は安心して昨日より大いに勉強し得、事業も早く進行申しおり候。\r\n\r\n『南方二書』 https://minakatella.net/letters/2sho0.html
二十五、六年前より、この拙宅に四、五十疋の亀を飼った。毎度観察するに、大亀が池の縁に前足を懸けおると、一廻り小さなものがその甲に登る。しばらくして一層小さなが、その背を踏んで上陸する。そののち他の二つが順次上陸していずれも遊び歩く。大抵の大小亀はこの作法を自得しおるごときも…
二年前まで拙宅に飼った牝犬は、外出して帰り来れば、必ず戸外で吠えた。すなわち戸を開いて入れやった。今あるその子の牡犬は鈍物で、帰り来ても少しも吠えず。前足で戸を掻き続く。久しく掻くと、戸のサルが漸次動いて終に戸が開く。開かぬ時は戸外に臥して人が起き出づるまでまつ。
つまり合祀励行以来、小生ごとき神仏を排せず科学のみ修め来たりしものが反って古いことをさえずり一種の御幣をかつぎまわり、神で糊口する神官、祠職、宮世話人、氏子総代等が一切神を怖るるを迷信と卑瞥する、さかさまの世と相成りたるに候。
…東牟婁郡小口村鳴谷は、はなはだしき難所で、高い山の上に谷が多くある。里人言う、むかし高野山を他処へ移そうとて、ここを尋ねあてたが、四十八谷あって、今一つ高野に比して不足だったので止した。主だった谷の端より直下する滝を…檜にすがりて見下ろしたが、絶景でも、ごく危難でもあった。
紀州田辺近傍では、近時まで三月三日山に入れば、「モクリコクリ」が出るとて、山に遊ばず浜に遊び、五月五日に海に入れば、かの怪出るとて海に近づかず山に往き、宝の風を吹かしに往く、と言うた。むかし彼輩異国より攻め来たったが、端午の幟の威光でことごとく敗死した。その亡霊が残りおると言う。
吾輩お江戸で書生だった時、奥州仙台節が大流行で、正岡子規や秋山真之が必死にこれを習い、「上野で山下、芝では愛宕下、内のおかめは椽(たるき)の下、ざらざらするのは猫の下、皆様すくのはコレナンダイ、臍の下」と謡いおった。
この粘菌類というは一群の生物で、植物でも動物でもあるようだから、ドイツ語で菌動物(ピルツ・チエレ)と名づけた学者もある。従来動物学者と植物学者がこれはわが職分外の物だと相譲ったので、近ごろあまり深く調査されなんだ。
昔より熊野の漁夫共の古伝に、ウガを手に入れたら、舟の中に舟玉を祭れる帆柱あり、その前の板を犯すを厳に忌む、然るにウガを手に入れたときに限り、その板を外し裏返し、その上で件の尾を切り神を祀ると、その舟にのるものは以来漁獲甚だ多しとのことなり。
小生前日ウガという奇体のものを手に入れたり。図の如き海蛇の尾の先に紫色の鮮美なる玉のようなものありて活動する。女共はいやらしいといい、小生は甚だ美なるものと思い申し候。多分苔虫類(ポリゾア)のものと存ぜしに、翌日見ればその玉静死しあり。検査するに…Barnacleと申すものの一群なりし。
烏帽子の前額にこんな所あり。ヒナサキは吉舌(唐朝の俗語なるべし)clitoris{comma} ヒレは小陰唇(ハタヒレという)額は陰山、またヨモコウシは小陰唇か。…この烏帽子の前額の名所は全く女陰に象れること疑いなし。かかることをも卑猥なりとて隠して言わぬときは…大いに後日の継述を阻害するはずとなる。
セネカはローマの大賢なりしが、その言に、わが語は猥なり、わが行は正し、といえり。人間の家内は、いつも笑声絶えぬほどでなければ病人鬱生す。世間も左様で大体の品行論ぐらい心得た上は大抵のことは言うても笑うもかまわぬこと、また大いに養気の術に叶うことと思う。
これ近海にしばしば見る黄色黒斑の海蛇の尾に、帯紫肉紅色で介殻なきエボシ貝(バーナックルの茎あるもの)八、九個寄生し、鰓、鬚を舞してその体を屈伸廻旋すること速ければ、略見には画にかける宝珠が線毛状の光明を放ちながら廻転するごとし。この介甲虫群にアマモの葉一枚長く紛れ著き脱すべからず
宇賀。田辺の漁夫の話、田辺の海中にウガというものあり。蛇に似て、赤白段をなして斑あり、はなはだ美なり。尾三に分かれ、中央は珠数ごとく両方は細長し。游ぐ時、美麗極まるなり。動作および首を水上にあげて游ぐこと蛇に異ならず。…長さは二尺ばかり、と。
小生方のみのがめ、只今長き藻の上に短き異種の藻をふさのごとく叢生し、はなはだ見事なり。
To depend on the protection of another man is to be his slave{comma} to protect other folk is to be the slave of your own emotions. To follow the world is a hardship to oneself{comma} to disregard it is to be counted a madman. https://www.minakatella.net/letters/hojoki10.html
What is so hateful in this life of ours is its vanity and triviality{comma} both with regard to ourselves and our dwellings{comma} as we have just seen. According to our position so are our troubles{comma} countless in any case. https://www.minakatella.net/letters/hojoki10.html
With parents and children it was almost the rule for the parent to die first. And there were cases in which infants were found lying by the corpses of their dead parents and trying to suck the mother's breast. https://www.minakatella.net/letters/hojoki8.html
Pitiful scenes there were. These was a sort of rivalry in death among those men or women who could not bear to be separated. What food one of such a pair procured by begging would be reserved to keep the other alive{comma} while the first one was content to die. https://www.minakatella.net/letters/hojoki8.html
A full third of the city was destroyed. Thousands of persons perished{comma} horses and cattle beyond count. How foolish are all the purposes of men — they build their houses{comma} spending their treasure and wasting their energies{comma} in a city exposed to such perils ! https://www.minakatella.net/letters/hojoki2.html
Death in the morning{comma} birth in the evening. Such is man's life — a fleck of foam on the surface of the pool. Man is born and dieth; whence cometh he{comma} whither goeth he? For whose sake do we endure{comma} whence do we draw pleasure? https://www.minakatella.net/letters/hojoki1.html
The following year it was hoped matters would mend{comma} but instead a plague was added to the famine{comma} and more and more vain the prayers offered up appeared to be. https://www.minakatella.net/letters/hojoki7.html
Of the flowing river the flood ever changeth{comma} on the still pool the foam gathering{comma} vanishing{comma} stayeth not. Such too is the lot of men and of the dwellings of men in this world of ours. https://www.minakatella.net/letters/hojoki1.html
さて、いわゆる星腐り(プウドル・サール)についていろいろ説く者ありしも、いずれも実物を見ぬ臆測のみ多かったが、熊楠はマッケンニー・ヒュース教授が実物を獲たのと同年に、田辺でこの物を見出だし、今も保存しある。
星が隕石となるは今日誰も争わぬところだが、四年前、六月二十三日の『ネーチュール』に、英国学士会員マッケンニー・ヒュース教授が述べたは、ウェールやスコットランドの俗信に、星が隕ちると草の上に白い半透明の膠様の塊となって付きおる。これを星腐り(プウドル・サール)と呼ぶ。
その不満足千万な児童の悪趣味を助成せんが為に、吾輩大事の子供に父母相応の家庭の仕付けをする時間を削いで、何をなし何を習うとも知れぬ場所へ出し遣らねば吾が大事の子供がどこの誰の子やらわからぬ者に苛められ、…わずか九歳や十歳の人間にとっての大厄難という外なし。https://www.minakatella.net/letters/tanabeshogakujido2.html
学校の教育まことに必要なりといえども、それよりも家庭の教育の大必要なるは知れた事で。それなればこそ吾輩如き遊び好きも子を持ってから何となく品行を慎しみ外出も大いに減じ、学校退いて後は自宅で教えもすれば自分立ち雑りて相応の遊戯もさせて居る。 https://www.minakatella.net/letters/tanabeshogakujido2.html
これは国民一致の気風を養ない、長者に随順してその命令を背かぬという軍国主義から割り出したものらしく、よく行なうれば悪いばかりでなかろうが、実際の成績はすこぶる悪く、右の団長より箸の棒の倒れた程の事にも町内の児童を召集に来たり、その用事とては無論団長自身の… https://www.minakatella.net/letters/tanabeshogakujido1.html
近来政府民間の何から何までも改善向進せんとする事に焦慮するの余り、頭垢の落し様から大便の拭き方までも世話が行き届くのは感心の外ない。ただしこんな事は人々生まれて間もなく持ち合せの五分の魂で十分処置が出来るのみならず、他の教えを待たず自分で種々やって見るが… https://www.minakatella.net/letters/tanabeshogakujido1.html
また日本の狼が人の子を助け育てた実例はないとは尤もな言い分だが、そんな話は確かに伝わりおる。『紀南郷導記』に、西牟婁郡「滝尻五体王子、剣山権現ともいふ由なり、往昔秀衡の室、社後の岩窟にて臨産の節、祈願して母子安全たり、また王子に祈誓し、この子をすなはち… https://www.minakatella.net/letters/12tora40.html
また人身御供は橘姫のことの外に例なければ本邦になかりしこと、橘姫のことは後人の偽作とかいう。…残酷なることは本邦の固有にあらずといわば、ずっと後年、大化のころまで、信濃国で寡婦を死んだ夫の葬に必ず縊(くく)りし旨、勅令とも見るべき詔に見えたり。その勅文も偽作というべきや。
ヒオウギは貴婦がもつ檜扇に似たによる名で、漢名射干また烏扇、それを直訳でカラスオウギともいう。日本、支那、北インドに産し、ビルマでも多く植えて薬とす。…神代に、御歳神、稲虫を駆る法を伝えた語に、烏扇で扇げ、とあり。この草の種真黒で光るをヌバ玉と呼び、ヌバ玉の夜という古い枕詞もある
ヒオウギは、貴婦がもつ檜扇に似たによる名で、漢名射干また烏扇、それを直訳でカラスオウギともいう。日本、支那、北インドに産し、ビルマでも多く植えて薬とす。花、黄赤く、黒斑で虎豹の皮のごときゆえ、属名パルダンツス、英名タイガーリリーと呼ぶ。
…近来岡川や田中神社の神林を伐採するという話がある。伐られては学問上大損害を受けるわけじゃから、ドウかそのような無知なことはぜひ思い止まって貰いたい。 https://www.minakatella.net/letters/okanotanakajinnjawo.html
植物のことは君に分からぬから、小生委細を具して松村任三氏に贈らんとす。(博士岡村金太郎氏話に、松村氏は水戸の人にてはなはだ国粋家の由。)しかるに小生は面識なきをもって、何とぞ貴下白井教授にでも頼み、その紹介によりさっそく取りつぎくるべきや。
数日前予に一書を送り、不老不死の薬方を発見し大いに悦び行に効ありといい来たりしなり。
『塩尻』にも、奥州の民、熊野まいりし、石をひろい持ち帰りしに、年々大になり、子を生み、神としまつることありと覚え候。
小生、貴下拙意見書刊行下されしを喜び、今日三時ごろより子分らを集め飲み始め、小生一人でも四升五合ほど飲み大酔、一度臥せしがたちまち覚め候。
いわんや、維新後我利我慾の者の巣窟たりければ、伊勢に並んで旧儀を見るべきものとては三山にははなはだ少なし。しかるに三山を離れては、多少旧を考うべきものあり。たとえば那智村浜の宮の王子… https://www.minakatella.net/letters/2sho24.html
金銭の外を知らずと嘲らるる米国人すら、カリフォルニアの巨柏など抜群の注意して保存しおり。二十二年ばかり前、予が訪いしニューゼルシー州の一所に、フサシダの一種なる小草を特産する草原などは、兵卒が守りおりたり。
三重県阿田和の村社、 引作神社に、周囲二丈の大杉、また全国一という目通り周囲四丈三尺すなわち直径一丈三尺余の大樟あり。これを伐りて三千円とかに売らんとて合祀を迫り… https://www.minakatella.net/letters/gosiiken19.html
またわが国の神林には、その地固有の天然林を千年数百年来残存せるもの多し。これに加うるに、その地に珍しき諸植物は毎度毎度神に献ずるとて植え加えられたれば、珍草木を存すること多く… https://www.minakatella.net/letters/gosiiken19.html
熊野はその植物帯半熱帯地のことゆえ、古来神社に樟あり、これを神体とし来たりたるに候て、これを伐るは何となく神の威厳を損じ候。現に植物崇拝を嫌うキリスト教の、しかも新教国たる英国でも、寺院の古水松 yew 樹を伐るを禁じ、これを神聖視し、全英国の寺院の「水松譜」さえあり候。
万事万物新しき物のみで、露軍より分捕の大砲など社前に並べあるも、これは器械で製造し得べく、また、ことにより外国人の悪感を買うの具とも成りぬべし。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken4.html
熊野は本宮、新宮、那智を三山と申す。歴代の行幸、御幸、伊勢の大廟よりはるかに多く、およそ十四帝八十三回に及べり。その本宮は、中世実に日本国現世の神都のごとく尊崇され、… https://www.minakatella.net/letters/gosiiken4.html
…流失せし旧社殿跡地の周囲に群生せる老大樹林こそ、古え、聖帝、名相、忠臣、勇士、貴嬪、歌仙が心を澄ましてその下に敬神の実を挙げられたる旧蹟、これぞ伊勢、八幡の諸廟と並んでわが国の… https://www.minakatella.net/letters/gosiiken4.html
今もこの辺に送り狼とて、人を害せず、守衛せし狼の古話残り、大台原山に、神使の狼現存すという。
西牟婁郡二川村五村等で、狩人の山詞に、狼をお客さま、また山の神、兎を神子供と言う。狼罠に捕わるると、殺すどころでなく扶けて去らしむ。 https://www.minakatella.net/letters/kishuzokuden410.html
予二十七年前、紀州那智より高田へ越える途中で狼の糞を見出し、驚いて引き還した。また二十年前、坂泰官林より丹生川へ下る路上、狼糞にベオミケス属の地衣が生えたのを拾い、今に保存しある。そのころ予が泊まった山小屋へ、狼に送られて逃げ入った樵夫二人あった。
後年幸いに皇族またかしこきあたりが熊野詣で等あらんに、神林ある社一つもなしとありては、いかにもつまらず候。
わが邦人宗教信仰の念に乏しと口癖に言うも、実際合祀を濫用して私利を計る官公吏や、不埒千万にも神社を潰して大悦する神職は知らず、下層の民ことに漁夫らは信心はなはだ堅固なる者にて… https://www.minakatella.net/letters/gosiiken9.html
熊楠かつて聞く、一芸一事に達する者は、たとい山中に隠るるとも、大いにその国の福分を益すとか。願わくば、貴師よ、この意を忘るるなかれ。
奇絶峡は植物活状学にもっとも有用の所に候。これはエコロギーと申し近来発達の学問にこれあり。 https://www.minakatella.net/letters/kizetukyo.html
…ことに当県は官公吏無識無学なる上、土地に関係なき他国よりの出稼ぎ吏員多きこととて、おのおの得たり賢しと神狩りを始め、… https://www.minakatella.net/letters/2sho19.html
南欧州や西アジアで古来マンドラゴラという草を呪術に用い、また薬料とし、情事の成就や興奮の妙剤としてすこぶる名高い。非常な激毒あって、ややもすれば人を狂せしむる。 https://www.minakatella.net/letters/joji1.html
予が現住宅地に大きな樟の樹あり。その下が快晴にも薄暗いばかり枝葉繁茂しおり、炎天にも熱からず、屋根も大風に損ぜず、急雨の節書斎から本宅へ走り往くを援護する、その功抜群だ。
節分の夜、豆撒まくなども、鬼が無数の豆を数え拾う内に、邪力衰うべき用意であろう。 https://www.minakatella.net/letters/12hebi15.html
湛増の正統は湛英と申し、小生妻の妹の聟の兄に候。三、四代前までは京都の公家より妻を娶り候。
紀州東牟婁郡に矢倉明神の社多し。方言に山の嶮峻なるを倉といふ、諸莊に嶮峻の岩山に祭れる神を矢倉明神と称すること多し。大抵は皆な岩の霊を祭れるにて別に社がない。矢倉のヤはイワの約にて岩倉の義ならむとは紀伊続風土記八一の説だ。
熊野では猟夫兎を見るのみかはその名を聞くばかりでも中途から引き還す。アボットの書にマセドニア人兎に道を横ぎらるるを特に凶兆とし、旅人かかる時その歩立と騎馬とに論なく必ず引き還す。 https://www.minakatella.net/letters/12usagi10.html
猟夫から毎度聞いたは猟に出懸ける途上兎を見ると追い懸けて夢中になる犬多く、追えば追うほど兎種々に走りかくれて犬ために身つかれ心乱れて少しも主命を用いず、故に狩猟の途上兎を見れば中途から還る事多しと、したがって熊野では猟夫兎を見るのみかはその名を聞くばかりでも中途から引き還す。
熊野地方の伝説に、那智の妖怪一ツタタラはいつも寺僧を取り食う。刑部左衛門これを討つ時、この怪鐘を頭に冒り戦う故矢中あたらず、わずかに一筋を余す。 https://www.minakatella.net/letters/12tori25.html
さて文字は今日多くの民に普く用いられ、格別何とも思われぬものの、盲人や文盲には想像だも及ばぬ奇怪なもので…読めぬ輩には乱糸塵繊と少しも異らざるに、眼に見えぬ千々の思想を印して千歳万里の遠きに留め輸し、貞操の婦女を堕落させたり、忠義の人士を冤殺したり、天地を動かす大騒動をも起こす。
されば人間の心の到らざるところを夢み能わざると同時に、斉しく目に見、耳に聴く事物について必ず似寄った話を生じて、伝承を必須とせぬ。橋は危ないものと知った人々必ずしも橋より落ちた経験なく、特に心肝に銘ずるほど著しい落下譚を聞かずとも、橋から落ちる夢は誰も彼も見る。
心界と物界の関係を見るに、熊野へまいらずに熊野を想像し泛べるを画にかき実地と比ぶべし。
神教を起こすなど称し、宛てにならぬ基本金の多寡を標準として、かりそめにも皇祖皇宗から一国一地方に功績ある神霊の古社を滅却せしむる輩の不正直、不浄心は見え透きおる。 https://www.minakatella.net/letters/koshanomekkyaku.html
数年前大博士シャラーの『若き日本』に、「勇武、忠義、敏捷、精通、自抑はまことに日本人の美質で、ずいぶん感心だが、ここに日本人の肺肝に深く食い込んで到底抜け難い大悪質が二つある。不正直と不浄心だ。一つあってさえいかなる大国民をも亡ぼすに足るものを、二つまで兼備しおる」と言っておる。
たれか妖怪学とかを唱えて、忠君愛国の資となさんといいし人もありしやに思う。
ラサレにありし鈴木大拙、かつて書を寄せて事を論ず。その中に宗教は道徳と別のものなり、このところ不可言の旨なりという。このことまた大いに味あり。到底行なわれぬことながら、わが邦の愛国とか忠君とかいうことを喋々する仏僧などの一針と思う。
今も南紀の小児、蟻を見れば「蟻もダンナもよってこい、熊野参りにしょうら」と唱うるは、むかし熊野参り引きも切らざりしこと、蟻群の行列際限を見ざるようだったに基づく。それと等しく、銀河中の星の数、言語に絶しておびただしきを、サンチアゴ詣での人数に比べたのだ。
ただ人の交わりにも季節あり、……いかにほれ抜いたことある女も夫妻となれば恋愛はここに消滅すと西人がいいし同様なり。されば小生は以前は孫氏と別懇なりしも、自分の身のふり方上、止むを得ず不通となり申し候。
小生、明治三十年ロンドンにて惣領事の荒川巳治氏を訪いしに、氏の話に、関ヶ原で討死せし島津豊久はなかなかの美少年なりし。朝鮮にて大決戦ありし前に武士を一々その前によび出して盃をやりしに、おのおの一期の思い出なりとて大いに勇み討死を事ともせざりし由。
ロンドンにありし日、故荒川巳治氏話に、島津豊久(関ヶ原で討死)ことのほか美少年なりし。征韓の役に臨み、家中の勇士を一人一人前へ呼んで思いざしせり。それゆえ猛士みなおのれ一人を主君はことに愛せらると思い、みなみな一気に猛戦せしということなりし。
いわんや風土習慣ことごとく異なったインドで、しかも西暦紀元前九百五十年より八十六万七千百二年の間にあったという遠い昔のラーマーヤナ事件を、今日他国人どもがかれこれ評するは野暮の至りだが、このような者を宗旨の経王として感涙を催すインド人も迂闊の至り。
熊野の勝浦などで、以前は猴が磯に群集し蟹を採り食うに石でその殻を打ち破った。しばしば螫で鉗はさまれ叫喚の声耳に喧かまびすしかったと古老から聞いた。
近時、道徳訓とか王陽明とか武士道鼓吹とか、聞き飽くばかり名論が出るが、実際何の効力なきことかくのごとし。口や筆の感化力よりも、古社でも拝して知らず識らずのうちに精神を素養するのほかに道なきことと存ぜられ候。
安堵峰辺にも大なる南天の木あり、見たるもの人を傭い、とりに行けばたちまち他の木に化し、一向見えす、と。
大雲取山にキョウラタイラという所、広さ数町、鶏鳴をきく、古え落武者の集まりし処なり。ここに大きな南天の木見ゆれども、とりに行けばたちまち見えず、と。
ちょっと分らざりしに、ふと『増補頭書訓蒙図彙大成』巻一九に、この木を悪しき夢を見たるときこの木を見ればその夢消ゆるということゆえ、多く手水所の向うに植え置くなり、とあり。和俗にいろいろ伝説多き木と見え申し候。
また南天のこと、『和漢三才図会』に火難を禦具とあり(日本の伝と見えたり)。『骨董集』に、毒けし、また難転の音よりころばぬまじないとすることあり。さて『和三』に、邯鄲の枕というものを南天の木で作る、とあり。
南天は、「本草」に草木之王と称し、その枝葉を久しく服すれば、長年し、また餓えず、と言えり。
されば、神官はほんの扶助物 accessory にして、国民に愛郷愛国の念、謙譲恭慎の美風を浸潤せしむるは、一に神社その物の存立によることなり。 https://www.minakatella.net/letters/2sho17.html
神道は宗教に違いなきも、言論理窟で人を説き伏せる教えにあらず。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken13.html
小生はアンパン位いは用意してゆくから、それですむなら弁当など持来らるゝに不及候。
以上の四品を藩主の専占とし、江戸および他藩との往復贈遣に用い、士民に禁制して田辺外へ持ち出ださしめざりしなり。なかんずく縄巻ずしは庄司某といえる剣客の家伝秘訣にて、藩主の命あるにあらざれば調製せず。
舟人の心は神の心というたはに一理あらば、日本国民の心は都会に亡びて、この田舎に存するというべし。
新しきものを見極めて新しく起こすと同時に、古いものは一村一郷の精神の基本なれば、古いものほど尊ばれたきことに御座候。
古来神殿に宿して霊夢を感ぜしといい、神社に参拝して迷妄を闢きしというは、あたかも古欧州の神社神林に詣でて、哲士も愚夫もその感化を受くること大なるを言えるに同じ。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken13.html
ローマで美少年奴酒の酌を勤むるをガニメデスと呼び、転じてカタミツスと言いしより、英語でお釜掘らす男子をカタマイトと言う。
ただし『千一夜譚』には、妻が夫に別れてのち、一国の王となり、夫を捕え来たり、自分男装して、これに男色を口説くことあり。
…ある高名の人、小生に男女交会の法にちと変わったがあるかと問われし。…ただし一つ、どこの国の文献にも図画にも見しことなきものあり。これ人の思い到らざればなり。すなわち婦人が長二官(はりかた)をもって男子の肛門を犯すことなり、といいしに、その人、まことに汝は博覧宏才なり、と大いにほめられし。
紀州の北・南牟婁郡は、古え人間のすむ所とせぬほど化外の地たりし。
舟人の心は神の心というたに一理あらば、日本国民の心は都会に亡びて、この田舎に存するというべし。
熊楠かつて二十年前に出たウェルスか誰かの小説に、火星世界の住人、この地球へ来たりて乱暴する体を述べて、その人支体に章魚(たこ)の吸盤ごとき器を具し、地上の人畜に触れて… https://www.minakatella.net/letters/kishuzokuden153.html
クリスマスは、ヒーゼン時代の冬至また新年を祝せし季節が偶然キリスト降誕に近きゆえ、それへ持ち込みしなり。
英国にクリスマスの前夜、ホリー(冬青の一族)を売ること、わが国節分に枸骨を売るごとし。ホリーの葉に刺あるものは、素人には枸骨と見分けのつかぬほど似たり。葉に刺あるを戸にさせば男の威強く、刺なきをさせば女の威強しなどいう。
しかるに小生、バートン全訳の『アラビアン・ナイツ』を通覧せしに、久しく別れおった情婦が一地方の王となり、そこへ情夫が流浪し来たれるを弄ばんとて、男装してその情夫に鶏姦を逼ることあり。まことに天下あらざるところなしと謝肇淛の言を思い出でて感心せり。
英国の学士会員の若き輩集まりて性欲のことを論ずるところへ、小生行き合わせしに、南方は二脚あるエンサイクロペジアなりとて、一人問いしは、東西の書典に従来見ざる婬法一つだにありや、とのことなり。小生いわく、女子が鑞師父(はりかた)をもって男子の後方を犯すことなしと言いしに、いかにも…
まことに交合中相手の艶羞百態なる顔を見て、夫は婦を、婦は夫愛するより、一定付離の夫婦は起こるなり。
学校というものあるが為に天賦が平凡になり了り申候。
さて烏羽玉の『夢』てふ物は死に似て死に非ず、生に似て生に非ず、人世と幽界の中間に位する様な誠に不可思議な現象で種々雑多の珍しい問題が夢に付て絶えず叢り居る。
このたびの神社合祀の悪法は、やがて廃止または改正さるべければ郡村の役人どもいかに勧誘脅迫するとも、当郡の人民諸君極力合祀をずらしまくり、必ず取り急いで合祀を挙行し、後日臍を噛むの悔を遺すことなかれ。
此(この)くそでかたき討たぞ犬さくら
宇宙万有は無尽なり。ただし人すでに心あり。心ある以上は心の能うだけの楽しみを宇宙より取る。宇宙の幾分を化しておのれの心の楽しみとす。これを智と称することかと思う。
くさびらは幾劫へたる宿対ぞ
この世界のことは決して不二ならず、森羅万象すなわち曼陀羅なり。
小生は熊野の生物を調ぶることが面白くて、明治三十五年十二月に熊野勝浦港にゆき候。
小生の書くものはいずれも(ちと大層だが)世界の学者を相手にする心掛けに出て、日本の凡衆啓発または娯楽用にかくにあらざれば、誰も読まぬも知れず。
これより小生なんとかして穴のことを思い切ん。それを成就するには女道の心懸専一なり
この語近時上方で一向聞かぬが、猫にチョコと名付けた例はある。それは女陰をオチョコと呼ぶとひとしく、また偶然スペイン語のチコ、チキトなどに似通い、小さい可憐な奴というほどの意らしい。
小生はずいぶん酒を飲みたる男なり。これを飲みしには飲むべき理由がありたるなり。このことはゆくゆく世間に分かり申すべし。いかなる理由ありても酒を飲んだものが、今も酒を飲むように言いはやさるるは是非なきことかも知れず。
男色が発達して多少の倫理と文華を成すに及んだのは、ギリシアとペルシアの外に全くない、というような言あり。そう確信して盛んに受け売りをする英人に、これはどうだとこの「不破万作恋情」の一条を訳示して、大いに感心させたことあり。
むかしギリシアのジオゲネスは市朝に坐して稠人中に手淫す。クラテスはそれ相応の美女を妻にして、白日に衆中に交合す。またバールを祭る国教は、神に捧ぐとて太鼓につれて踊りながら手淫す。これらとて全く益なきことにはあらざるなり。ただし今日には合わぬなり。
小生夢を見てこれを自ら思い出しひかえ、分析する法を考え出し、いろいろ試むるに、ちょっとした夢にも、無量の源因、出所あり。土俗といい言語といい夢の如きもので、しかも一人の見た夢でなく、千古来に億兆人の夢み想い来たりし結果なれば、一つの土俗、一つの言詞にも、無量の来由ありと知るべし。
同一の物を同一の地処で観察すれば、狭い田辺にすらかくの如く、今日も人力を加えず、自然のままに生物があるいは変化して新種となりきり、あるいは変化不定にして、予の旧宅では新種となりきりおるに新宅では原種に逆戻りする等、広い天地間には、人力を添えずに不断無数の変化が行われおると分かる。
今一つ論ずべきは、今日泰西の学が世界の正学にして、進化論が泰西の学の根底という。進化論という以上は万物常に進み常に退き(実は進化ならで進退化なり)、一刻一時も住持定止せず、故に鳥の内にも獣の如きあり(アプテリキスという鳥は獣の毛あり)、獣の内また卵で子を生むことの鳥の如きあり。
小生考には、科学の原則はわずか三十年前後ダーウィンが自然淘汰の実証を挙げ、それよりスペンセル輩が天地間の事物ことごとく輪廻に従いて変化消長することを述べたるにより、大いに定まれるなり。
小生は邦人の毎事毎事欧州を規矩とするのをはなはだ面白からず思う。世界中のことは一様に行かぬは、牧、農、商を世の改進の三変としたるも(今はせず)、本邦ごとき必ずしも牧をもって始まらず、南洋諸島ごとき、牧をせんにも畜なかりし地には牧をもって始むる道理なし。
寺の作り方や塔の焼失保険が昔より行き届き、また坊主の衣食がすすんだとか、説教の引符多くくばるようになったとかいうて、それは寺制僧事の進化とでもいうべきのみ、別に宗教が進みしにはあらず。
ハーバート・スペンセルなど、何ごとも進化進化というて、宗教も昔より今の方が進んだようなこといえど、受け取りがたし。
わが国では海外の学者を神聖のようにいうが、実は負け惜しみの強い、没道理の畜生ごとき根性の奴が多い。これはわが邦人が国内でぶらぶら言い誇るのみで、外人と堂々と抗論する弁も筆も、ことには勇気がないからじゃ。 https://www.minakatella.net/letters/ningyo2.html
すでにわが国馬関辺では、アカエイの大きなを漁して砂上に置くと、その肛門がふわふわと呼吸に連れて動くところへ、漁夫夢中になって抱き付き、これに婬し畢り、また、他の男を呼び歓びを分かつは、一件上の社会主義とも言うべく、どうせ売って食ってしまうものゆえ、姦し殺したところが何の損にならず
仏説に、樹を植え、木を保存するを一つの功徳とす。小生は幼少より学仏の徒なれば、愚者の一徳として発起、且、随喜し従事する所ろなり。
小生は藤白王子の老樟木の神の申し子なり。
唯だ此「風景」ばかりは田辺が第一だ。田辺人たるものものは此風景を利用して土地の繁栄を計る工夫をするがよい。今こそ斯様に寂しいが、追々交通が便利になって見よ。必ず此風景と空気が第一等の金儲けの種になるのだ。
田辺でも、「働いて儲けよ」と教えて居るが、ここらで働いてナニが儲かるか、朝から晩まで働いてもナニほどの儲けもない。先づ働いて儲かって居るのは監獄位のものだ。商売は同商売が多く工業も盛んでなく、今の所格別是れぞといふ儲口もあるまい。唯だ此「風景」ばかりは田辺が第一だ。
小生の「紀州俗伝」は、民俗学材料とはどんなものどもということを手近く知らせんために書き出でしなり。 https://www.minakatella.net/letters/kishuzokuden0.html
小生は、民俗とか神誌とかいうものは仮想や寓意に出でしものにあらず、その当時の人の理想や実験説をのべたもので、…、これも分からぬ、あれも分からぬではすまぬゆえ、実際分からぬなりに分かったつもりで述べたもの行ったものが、古話、伝説、民俗という見様を主張す。
曼荼羅のことは、曼荼羅が森羅万象のことゆえ、一々実例を引き、すなわち箇々のものについてその関係を述ぶるにあらざれば空談となる。抽象風に原則のみいわんには、夢を説くと代わりしことなし。そのうち小生目の当たりいろいろの標本を示し、せめては生物学上のことのみでも説き申し上ぐべく候。
小生昨年十一月一日より只今に熊野にて山海の植物採集まかりあり。実に無尽蔵にて発見すこぶる多く一通りの調査に二三十年もかかるべくと存ぜられ候。
天地間の事物ことごとく輪廻に従いて変化消長する。
細微分子の死は微分子の生の幾分又全体を助け、微分子の死は分子の生の幾分又は全体を助け乃至鉱物体植物体動物体、社会より大千世界に至る迄みな然り。但しこの細微分子の生死、微分子の生死乃至星宿大千世界の生死は一時に斉一に起こり一時に斉一に息まず常に錯雑生死あり。
以為く真言の教は熊楠金粟如来によりて大復興すべし、と。よって今年中に英文につづり、英国の一の科学雑誌へ科学者に向かいて戦端を開かんとするなり。
今日の科学、因果は分かるが(もしくは分かるべき見込みあるが)縁が分からぬ。この縁を研究するがわれわれの任なり。
仏教は決して釈迦が作り出だせるものにあらず。第一、仏教の仏の字に釈迦という意少しもなし。すなわちクルソン仏、カナカムニ仏等ありて、これが先をなせるなり。
予は欧州のことのみを基として科学を説くものにあらず。何となれば、欧州は五大陸の一にして、科学はこの世界の外に逸出す。もし欧州科学に対する東洋科学というものありありなんには、よろしくこれを研究して可なり。科学というも、実は予をもって知れば、真言の僅少の一分に過ぎず。
欧州の科学哲学を採りて仏法のたすけとせざるは、これ玉を淵に沈めて悔ゆることなきものなり。
この物心両界が事を結成してのち始めてその果を心に感じ、したがってその感じがまた後々の事(心が物に接して作用を現出すること)の因となるなり。
今の学者(科学者および欧州の哲学者の一大部分)、ただ箇々のこの心この物について論究するばかりなり。小生は何とぞ心と物とがまじわりて生ずる事(人界の現象と見て可なり)によりて究め、心界と物界とはいかにして相違に、いかにして相同じきところあるかを知りたきなり。
猥事多き郷土のことを研究せんとするものが、口先で鄙猥鄙猥とそしるようでは、何の研究が成るべき。自心で同情なき者を、いかにしても研究どころか観察も成らぬものなり。
小生は藤白王子の老樟木の神の申し子なり。
現在ロンドンの金粟如来(※きんぞくにょらい:維摩居士の前身、熊楠の自称)は、今しばらく菩薩に成らず、やはり辟支仏(びゃくしぶつ)でおる。ただし室内には三万二千の獅子の宝座を設けたり。ただ文殊師利いまだ到らざるをもって、「悲しみ生じて空しく懊悩し、全身はなはだ枯槁する」の時にあり。
なにか人類学とかかじりかいて、近世まで人は動物と別のものとせりなど鼻ひこつ輩たれありと見ゆ。張華の言に、毛羽鱗裸の四虫あり、聖人は裸虫の長を為す。また仏説には無論人を胎生の動物とせり。なにがな西洋の外に学問なしと心得るゆえ、かかる馬鹿なものも出る世なり。
小生はいりもせぬ半わかりの教師など雇うよりは、書籍十冊買入るる方千倍の大功徳と思う。
仏教は神を知らざるものに非ず。(たとえば天龍八部など、みな他諸宗教にこれぞ造物主、大自在天、大神と称するもののみなり)ただ神は神たるのみ。其の力に限りあり。人は神よりも尊き地に至り得べし。善を修せずして神を拝するも益なきことを述たるものと存ず。
ありがたき御世に樗(あふち)の花盛り
すべて天然記念物境を保存するにもっとも必要なるものは下生えにて、下生えが腐化してフスム(腐葉土)を形成し、これにミコライザ(根菌)という微細の菌を生じ、その作用にて腐土より滋養分を取り、大いなる草木を養成するのが通例なり。
今時、衣裳とか箪笥とかをあてにするような家は頼もしからず。着のみ着のままで貰うほしし。つまり人間は、男女共にその人間に値打のあるべきもので、むやみに飾り立てを要するような婚姻は望ましからず。…拙妻は、小生方へ片付き来たり時、鍋と茶壺と膳、戸棚一つのほかに何も持て来ず。
貴下は人の話を筆記するに尽力さるるらしいが、自分の話を一々筆記さるると思うとなるべく話をさしひかえて、話してくれぬ人多きものなり。又、筆記ばかり頼りにすると貴下自身の記憶力が弱くなるものに候。小生自分経験あることゆえ申上げおき候。
願わくはわれわれ東洋人は一度西洋人を挙げてことごとく国境外へ放逐したきことなり
われねがわくは日本のゲスネルとならん。
僕も是から勉強をつんで、洋行すました其後は、ふるあめりかを跡に見て、晴るる日の本立帰り、一大事業をなした後、天下の男といわれたい。
予、明治三十四年冬より2年半ばかり那智山麓におり、雲取をも歩いたが、いわゆるガキに付かれたことあり。寒き日など行き労れて急に脳貧血を起こすので、精神茫然として足進まず、一度は仰向けに仆れたが、幸いにも背に負うた大きな植物採集胴乱が枕となったので、岩で頭を砕くを免れた。
一枝も心して吹け沖つ風 わが天皇(すめらぎ)のめでましし森ぞ https://www.minakatella.net/letters/joaito20.html
熊公は、これ夢中夢を説くの痴人、夢のような人物なるかな。
予のごときは婬心などいうことなければ、清浄のものじゃ。十年ばかり前に、美少年を有しおりしが、これは渡外後死んでしまえり。われこのことにより大いに悟ることありて道に入れり。察するに観音大士の童男変身して利益せるならん。
何となれば、すべて少年を愛する男は僕ごとき粋人ゆえ、ただともに語らうが面白きこと多く、女のようにやりつづけにやるものにあらざれば、たとい横にゆがまずとも、そこは人工をもっていかようにもよき位置を占めしむるを得ることと知るべし。
美少年もずいぶんあり。少年も二、三人抱いたこともあり候(やりはせぬが)。
外国にあった日も熊野におった夜も、かの死に失せたる二人のことを片時忘れず、自分の亡父母とこの二人の姿が昼も夜も身を離れず見える。言語を発せざれど、いわゆる以心伝心でいろいろのことを暗示す。
すなわち、孝思、言語、行為を善にして、語ることなき動物のみか、植物にまでも信切にするなり。この動植物を愍れむことは、仏教またこれをいうといえども、ジャイン教は一層これを弘めたり。すなわち動物植物みな霊魂ありと見て、病獣のために医寮を立つるを慈善業とす。
何をするにも信の入るものにて、小生はそれぞれ信をいれてやる。決して馬鹿とか間違えりとかは思わず。仁者も、いっそ小生が娼家に宿して婦女の間に交わりて一たび淫せしことなきがごとく、これもまた心得、通人になる道この外になしと一々大概を見ては如何。
小生これまでの経験に、どこに行きても、運命さえあれば死ぬるほどのことはなく、死ぬるものは、安居宴飲しても頓死などするなり。
…パレスタインの耶蘇廟およびメッカのマホメット廟にまいり、それよりペルシアに入り、それより船にてインドに渡り、カシュミール辺にて大乗のことを探り、チベットに往くつもりに候。たぶんかの地にて僧となると存じ候。回々教国にては回々教僧となり、インドにては梵教徒となるつもりに候。
さて代々一種一類また数種類のトーテムを、一族中の各個人に命名した例が本邦にないかと言うと、あるともあるとも大ありだ。予の家などは、…藤白王子の楠神から授かる楠、熊、藤等を代々男女につけ、惣領のみは元服して代々弥兵衛と改名したが、余の輩は一生改めなんだ。
小生も実は今日欧州の学者などがいうものは、彫虫の技で、なにか細胞体の数がちがうとか、鰻の骨組がゆがんだとか、または寺のます形が大小あるゆえ宗理が別だとか、いうようなことのみで、一向面白からず。
今の学者(科学者及び欧州の哲学者の一大部分)、ただ箇々のこの心、この物について論究するばかりなり、小生はなにとぞ心と物が交わりて生ずる事(人界の現象と見て可なり)によりて究め、心界と物界とはいかにして相異に、いかにして相同じきところあるかを知りたきなり。
宇宙万有は無尽なり。ただし人すでに心あり。心ある以上は心の能うだけの楽しみを宇宙より取る。宇宙の幾分を化しておのれの楽しみとす。これを智と称することかと思う。
何か進化進化というが、一概に左様はいわれぬ。世が開けるほど人が悪くなり、旦那楽しんで下女ますます忙しく、袈裟いよいよ美麗にして僧道地に堕ち、葉が萎衰することはなはだしきほど花が美になる。現に寄生植物の数は自活植物に数倍せり。…すなわち退化じゃ。
科学的教育というものは、ただ智を益するのみで、徳義上あまり功なきは、スペンセルのいえるごとく、破産詐欺の大悪人、多くは算勘の達者なやつ、またはいろいろの物を偽造する応用の巧みなるやつにて知るべし。
蟻の塚を小生南米にて掘り、蟻多く出で来たる所に猛汞をふりかけると、一同に大さわぎをして、小生を噛まんとせし蟻がたちまち歩を止め、同士打ちを始め、図のごとくかみ合うて死ぬるなり。少し殺生なことなれども、仁者帰国の上一つやって見たまえ。これは実に妙なことなり。
すなわち電気は形なきものなれども、その原則を知りてこれを用うれば、電信も電話も電灯もできる。これと同じく因果の原則を認証応用して、人間の心身に便利、幸福、安寧を与うべしというなり。
退中に進あり、進中に退あり、退は進を含む、進中すでに退の作用あるなり。これが因果じゃ。さてまた、たとい万物みな進むものとするも、進の次に退が来るは、月球すでに寒くして消え、火星もすでに然り。はなはだしきは日にして消え失せたるもの無数あるにて知るべし。
…千百年斧斤を入れざりし神林は、諸草木相互の関係ははなはだ密接錯雑致し、近ごろはエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出て来たりおることに御座候。
粘菌は、動植物いずれともつかぬ奇態の生物にて、英国のランカスター教授などは、この物最初他の星界よりこの地に墜ち来たり動植物の原となりしならん、と申す。 https://www.minakatella.net/letters/nenkin1.html
世界にまるで不用の物なし。多くの菌類や黴菌は、まことに折角人の骨折って拵えた物を腐らせ悪むべきの甚だしきだが、これらが全くないと物が腐らず、世界が死んだ物で塞がってニッチも三進… https://www.minakatella.net/letters/12nezumi6.html
諸経これを人造といわばよし(釈迦も人)。捏造とかなんとかいわんは、何の意趣なきに誹謗するものといわざるを得ず。 https://www.minakatella.net/letters/mandala35.html
耶蘇教にも、ルナンの説に、サン・フランシスなどは、もし耶蘇の前に出づるときは耶蘇教反ってフランシス教にして、耶蘇がサン・ヤソ(ヤソ尊者)といわれねばならぬほどの人であった… https://www.minakatella.net/letters/mandala35.html
大乗には仏をムカデ一疋と見る。その一節一節にしてみずから活動し、全体を動かし、後節を導くものが、釈迦、竜猛、金粟たるなり。三にして一、一にして三、争うに及ばぬことなり。 https://www.minakatella.net/letters/mandala35.html
実は竜猛も仏である。馬鳴は第二仏といえる。また金粟も仏であり、これは現世にあり。 https://www.minakatella.net/letters/mandala35.html
…試みに抽象的に、例は挙げずに、人間の至道、日常の倫理等で、一向先人のいわぬ、故人の気のつかぬことを、なにか一つ言うてきかせてくれというて見よ。 https://www.minakatella.net/letters/mandala34.html
これにて、人間の想像の区域に大抵限りあり、材料に定数があることを知るべし 。 https://www.minakatella.net/letters/mandala34.html
…天地間には自然の理あり、ゆるやかに気長にかかりおれば必ず帰着するところは一つなること… https://www.minakatella.net/letters/mandala33.html
これとても込み入ったことゆえ、一世一代にでき上がりしにあらず。いずれも幾千年へて研究せしゆえ、自然一定の割合がもっともよきということを何となく自得したるなり。 https://www.minakatella.net/letters/mandala33.html
いいようを換うれば、大日不可思議本体中、科学はわずかに物会、心界、事理界等の人間にようやく分かりうるほどの外に一歩も出だす能わず。 https://www.minakatella.net/letters/mandala32.html
科学とは他の宗は知らず、真言曼荼羅のほんの一部、すなわちこの微々たる人間界にあらわるるもの、さてあらわるるもののうち、さし当たり目前役に立つべきものの番付を整え… https://www.minakatella.net/letters/mandala32.html
大乗は望みあり。何となれば、大日如来に帰して、無尽無究の大宇宙の大宇宙のまだ大宇宙を包蔵する大宇宙を、たとえば顕微鏡一台を買うてだに一生楽しむ… https://www.minakatella.net/letters/mandala15.html
…金粟(熊楠の自称)はすでに無形の法喜を妻としおるから、この上一生浄行で果つるなり。 https://www.minakatella.net/letters/mandala13.html
西洋にチバルリーということあり、これは吾朝、殊に支那などには一寸訳のできないことで、人の妻でも娘でもよし、欧州の中古の武士が守り本尊のごとく一人、女を胸中に認めて… https://www.minakatella.net/letters/mandala10.html
世に希有なものはおのずからぬうち高し。一休は悟りたれども子を設けしことある人なり。予はそれや帰根斎に比して、みずから高しと喜びおり。 https://www.minakatella.net/letters/mandala8.html
徂徠は、若いとき上総で僧の中に人となる。その八代将軍に上りし政論中に、僧は淫念を断たず、これ外を飾ることをつとむゆえ、といえり。 https://www.minakatella.net/letters/mandala7.html
さてこの春画というもの、小生もかの地にていろいろ見しことあるが、わが邦のほどよくできたるものはなく、文章とても、わが国の偉文として海外に誇るべきものは… https://www.minakatella.net/letters/mandala6.html
…人民の心を清澄にし、国恩のありがたきと、日本人は終始日本人として楽しんで世界に立つべき由来あるを、いかなる無学無筆の輩にまでも円悟徹底せしむる結構至極の秘密儀軌たるに… https://www.minakatella.net/letters/gosiiken21.html
何ぞ下痢を停めんとて氷を 喫(くら)うに異ならん。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken21.html
外人が鋭意して真似んともがく所以(ゆえん)のものを、われにありては浪(みだ)りに滅却し去りて悔ゆるなからんとするは、そもそも何の意ぞ。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken20.html
この人明治二十七年ころ日本に来たり、わが国の神池神林が非常に天産物の保存に益あるを称揚しおりたれば、名は大層ながら野外博物館とは実は本邦の神林神池の二の舞ならん。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken20.html
近く英国にも、友人バサー博士ら、人民をして土地に安着せしめんとならば、その土地の事歴と天産物に通暁せしむるを要すとて、 野外博物館を諸地方に設くるの企てありと聞く。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken20.html
むかしは熊野の梛は全国に聞こえ渡れる名木で、その葉をいかに強く牽くも切れず、 夫に離れぬ守りに日本中の婦女が便宜してその葉を求め鏡の裏に保存し… https://www.minakatella.net/letters/gosiiken19.html
英国やドイツには、寺院の古かしわ、老水松(いちのき)をことごとく謄記して保護を励行しおるに、わが邦には伐木の励行とは驚くの外なし。されば例の似而非(えせ)神職ら枯槁せぬ木を枯損木として伐採を請願すること絶えず。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken19.html
定家卿なりしか俊成卿なりしか忘れたり、和歌はわが国の曼陀羅なりと言いしとか。小生思うに、わが国特有の天然風景はわが国の曼陀羅ならん。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken19.html
(神社合祀の悪結果)第八、合祀は天然風景と天然記念物を亡滅す。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken19.html
古い古いと自国を自慢するが常なる日本人ほど旧物を破壊する民なしとは、建国わずか百三十余年の米国人の口よりすら毎々嗤笑の態度をもって言わるるを聞くなり。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken18.html
すでに日高郡には大塔宮が熊野落ちのおり経過したまえる御遺蹟多かりしも、審査せぬうちに合祀のために絶滅せるもの多しという。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken17.html
(神社合祀の悪結果)第七に、神社合祀は史蹟と古伝を滅却す。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken17.html
されば近江辺に古来今に至るまで田畑側に樹を多く植えあるは無用の至りとて浅智の者は大笑いするが、実は害虫駆除に大功あり、非常に費用を節倹するの妙法というべし。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken16.html
熊楠在欧の日、イタリアの貧民蠅を餌として燕を釣り食らうこと大いに行なわれ、ために仏国へ燕渡ること少なくなり、蚊多くなりて衛生を害すとて、仏国よりイタリアへ抗議を申し込みしこと… https://www.minakatella.net/letters/gosiiken16.html
西洋諸国、土一升に金一升を惜しまず鋭意して公園を設くるも、人々に不快の念を懐かしめず、民心を和らげ世を安んぜんとするなり。わが邦幸いに従来大字ごとに神社あり仏閣ありて… https://www.minakatella.net/letters/gosiiken15.html
(神社合祀の悪結果)第六に、神社合祀は土地の治安と利益に大害あり。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken15.html
(神社合祀の悪結果)第五に、神社合祀は愛国心を損ずることおびただし。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken14.html
…英ヘンリー・ダイヤー、『大日本』という書を著わし、欧米で巡査の十手を振らねば治まらぬ群集も、日本では藁のしめ縄一つで禁を犯さず、と賞賛せり。この感化力強きしめ縄は、今や… https://www.minakatella.net/letters/gosiiken13.html
真言宗の秘密儀と同じく、何の説教講釈を用いず、理論実験を要せず、ひとえに神社神林その物の存立ばかりが、すでに世道人心の化育に大益あるなり。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken13.html
古来神殿に宿して霊夢を感ぜしといい、神社に参拝して迷妄を 闢(ひら)きしというは、あたかも古欧州の神社神林に詣でて、哲士も愚夫もその感化を受くること大なるを言えるに同じ。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken13.html
神道は宗教に違いなきも、言論理窟で人を説き伏せる教えにあらず。本居宣長などは、仁義忠孝などとおのれが行なわずに事々しく説き勧めぬが神道の特色なり、と言えり。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken13.html
神社の人民に及ぼす感化力は、これを述べんとするに言語杜絶す。いわゆる「何事のおはしますかを知らねども有難さにぞ涙こぼるる」ものなり。 えせ神職の説教などに待つことにあらず。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken13.html
また近年まで外国人口を揃えて、日本人は一種欧米人に見得ざる謹慎優雅の風あり、といえり。…要は到る処神社古くより存立し、斎忌の制厳重にして、幼少より崇神の念を頭から足の先まで… https://www.minakatella.net/letters/gosiiken13.html
『万葉集』には、社の字をモリと 訓(よ)めり。後世、社木の二字を合わせて木ヘンに土(杜字)を、神林すなわち森としたり。とにかく神森ありての神社なり。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken13.html
大和の三輪明神始め熊野辺に、古来老樹大木のみありて社殿なき古社多かりし。これ上古の正式なり。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken13.html
千百年を経てようやく長ぜし神林巨樹は、一度伐らば億万金を費やすもたちまち再生せず。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken12.html
ただし、わが国の神社、建築宏大ならず、また久しきに耐えざる代りに、社ごとに多くの神林を存し、その中に希代の大老樹また奇観の異植物多し。これ今の欧米に 希(まれ)に見るところで、わが神社の短処を補うて余りあり。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken12.html
(神社合祀の悪結果)第四に、神社合祀は国民の慰安を奪い、人情を薄うし、風俗を害することおびただし。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken12.html
(神社合祀の悪結果)第三、合祀は地方を衰微せしむ。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken10.html
(神社合祀の悪結果)第二に、神社合祀は民の和融を妨ぐ。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken9.html
(神社合祀の悪結果)第一、神社合祀で敬神思想を高めたりとは、政府当局が地方官公吏の 書上(かきあげ)に 瞞(だま)されおるの至りなり。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken8.html
…紀伊の国に樹木著しく少なくなりゆき、濫伐のあまり、大水風害年々聞いて常事となすに至り、人民多くは淳樸の風を失い、少数人の懐が肥ゆるほど村落は日に凋落し行くこそ無残なれ。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken7.html
官公吏が合祀を濫用して姦を勧め、史蹟名勝を滅せし例は、この他にも多く、これがため山地は土崩れ、岩墜ち、風水の難おびただしく、県庁も気がつき、今月たちまち樹林を開墾するを禁ずるに及べり。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken7.html
南富田村の金刀比羅社は、古え熊野の神ここに住みしが、海近くて波の音聒(やかま)しとて本宮へ行けり。熊野三景の一とて、眺望絶佳の丘上に七町余歩の田畑山林あり。地震海嘯(つなみ)の節大用ある地なり。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken6.html
むかし京都より本宮に詣るに、九十九王子とて歴代の諸帝が行幸御幸の時、奉幣祈願されし分社あり。いずれも史蹟として重要なる上、いわゆる熊野式の建築古儀を存し、学術上の参考物たり。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken6.html
…古神社神領はどうでもなる、神を畏るるは野暮の骨頂なり、われも人なり、郡村吏も人なり、いっそ銘々に悪事のありたけを尽そうではないかという根性大いに起これるに出づ。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken5.html
合祀濫用のもっともはなはだしき一例は紀州西牟婁郡近野村で、この村には史書に明記せる古帝皇奉幣の古社六つあり。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken5.html
…老大樹林こそ、古え、聖帝、名相、忠臣、勇士、 貴嬪、歌仙が、心を澄ましてその下に敬神の実を挙げられたる旧蹟、これぞ伊勢、八幡の諸廟と並んでわが国の誇りともすべき物なるを… https://www.minakatella.net/letters/gosiiken4.html
ここに岡崎老の好みあるく大年増の彼処を処女同前に緊縮せしむる方法がある。それは元の朝に真臘国へ使いした周達観の『真臘風土記』に出でおり。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho37.html
膣壁の敏感ますます鋭くなれるゆえ、女の心地よさもまた一層で、あれさそんなにされるともうもう気が遠くなります、下略、と夢中になってうなり出すゆえ、盗賊の防ぎにもなる理屈なり。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho36.html
時分はよしと一上一下三浅九深の法を活用すると、女は万事夢中になり、妾悔ゆらくは生まれて今までこんなよいことを知らざりしことをと一生懸命に抱きつき… https://www.minakatella.net/letters/rirekisho36.html
むかし男色を売る少年を仕込むにその肛門に山椒の粉を入れしも、かくのごとく痒くてならなぬところを、金剛が一物をつきこみなでまわして快く感ぜしめ… https://www.minakatella.net/letters/rirekisho36.html
この淡水生海綿の微細な刺をきわめて細かく粉砕し貯えおき、さて一儀に臨み、一件に付けて行なうときは、恐ろしさも忘るるばかり痒くなる。時分はよしと一上一下三浅九深の法を活用すると https://www.minakatella.net/letters/rirekisho36.html
むかし男色を売る少年を仕込むにその肛門に山椒の粉を入れしも、かくのごとく痒くてならぬところを金剛が一物をつきこみなでまわして快く感ぜしめ、さてこのことを面白く感ぜしむべく… https://www.minakatella.net/letters/rirekisho36.html
それを女にかがしむると眼を細くし、歯をくいしばり、髣髴として誰でもわが夫に見え、大ぼれにほれ出す。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho35.html
人が知る知らぬを気兼ねしては学問は大成せず。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho35.html
政府や世に聞こえた学者にろくなやつなし https://www.minakatella.net/letters/rirekisho35.html
牛蒡のような臭気がする。それを女にかがしむると眼を細くし、歯をくいしばり、髣髴として誰でもわが夫と見え、大ぼれにほれ出す。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho35.html
話の始終も履歴も聞かぬうちに、われは汝にあいし覚えなしなどといわれたら、その者の心はたちまちその人を離るるものなり。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho34.html
インドの神や偉人の伝に、その父母が何形を現わして交会して生めりということ多し。鸚鵡形、象形、牛形等なり。これはちょっと読むと、神や偉人の父母はむろん常人にあらざればかよう… https://www.minakatella.net/letters/rirekisho31.html
…その歳に初めて妻を娶り、時々統計学の参考のためにやらかすが、それすらかかさず日記帳にギリシア文字で茶臼とか居茶臼とか倒澆蝋燭とか本膳とかやりようまでも明記せり。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho31.html
小生は、ずいぶん陰陽和合の話などで聞こえた方だが、行いは至って正しく、四十歳まで女と語りしことも少しく… https://www.minakatella.net/letters/rirekisho31.html
催眠術などで御承知の通り、精神強固ならぬうちに尊長のいい聞かしたことは、後年までもその人の脳底に改革できざる印象を押し申し候。シベリアの土民間に、男にして女の心性なるもの多し https://www.minakatella.net/letters/rirekisho29.html
また年ごろの娘に米一升と桃色のふんどしを景物として、所の神主または老人に割ってもらうところあり。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho27.html
小生二十四年前帰朝せしときまでは(実は今も)今日の南洋のある島のごとく、人の妻に通ずることを尋常のことと心得たるところあり。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho27.html
ご承知の通り紀州の田辺より志摩の鳥羽辺までを熊野と申し、『太平記』などを読んでも分かるように、日本のうちながら熊野者といえば人間でなきように申せし僻地なり。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho27.html
どうも世界には生気とでも申すべき力があるようなり。すなわち生きた物には、死んだ物にはなき一種の他物を活かす力があるものと存ぜられ候。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho24.html
小生は田辺にありて、いろいろのむつかしき研究を致し申し候。例せば、粘菌類と申すのは動物ながら素人には動物とは見えず、外見菌類(植物)に似たこと多きものなり。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho23.html
年来この法主(※土宜法竜※)と問答せし、おびただしき小生の往復文書は、一まとめにして栂尾高山寺に什宝のごとくとりおかれし。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho22.html
独身にては不自由ゆえ、右喜多幅の媒介で妻を娶る。小生四十歳、妻は二十八歳、いずれもその歳まで女と男を知らざりしなり。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho20.html
今日の多くの人間は利慾我執事に惑うのあまり、脳力くもりてかかること一切なきが、全く閑寂の地におり、心に世の煩いなきときは、いろいろの不思議な脳力がはたらき出すものに候。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho19.html
ナギランというものなどは幽霊があらわれて知らせしままに、その所に行きてたちまち見出だし申候。植物学者にこのようなことが多いのは従前書物に見ゆ。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho19.html
幽霊が現わるるときは見るものの身体の位置の如何に関せず、地平に垂直にあらわれ申し候。しかるに、幻(うつつ)は見るものの顔面に並行してあらわれ候。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho19.html
かくて小生那智山にあり、寂しい限りの生活をなし、昼は動植物を観察して図記して、夜は心理学を研究す。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho19.html
むかし、かかる学問をせし人はみな本心からこれを好めり。しかるに、今のはこれをもって卒業また糊口の方便とせんとのみ心がけるゆえ、おちついて実地を観察することに力めず、… https://www.minakatella.net/letters/rirekisho17.html
例せば、只今小生唯一の専門のごとく内外人が惟う粘菌ごときは、東大で草野博士が二十八種ばかり集めたに過ぎざるを、小生は百五十種ばかりに日本粘菌総数をふやし申し候。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho17.html
そのころは、熊野の天地は日本の本州にありながら和歌山などとは別天地で、蒙昧といえば蒙昧、しかしその蒙昧なるがその地の科学上きわめて尊かりし所以で… https://www.minakatella.net/letters/rirekisho17.html
その時館内にて小生を軽蔑せるものありしを、小生五百人ばかり読書する中において烈しくその鼻を打ちしことあり。それがため小生は館内出入を禁ぜられしが、… https://www.minakatella.net/letters/rirekisho10.html
それより、この人の手引きでただちに大英博物館に入り、思うままに学問上の便宜を得たることは、今日といえどもその例なきことと存じ候。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho7.html
その時、一人町にゆきて、ホイスキーを買い来たり、おびただしく小生に飲ます。その場はたしかなりしが、自分の室のある建築に帰るうち、雪を被りておびただしく酔いを発し、廊下に臥せり。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho3.html
小生は慶応三年四月十五日和歌山市に生まれ候。父は日高郡に今も三十軒ばかりしかなき、きわめて寒村の庄屋の二男なり。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho2.html
これらはいずれも小生を通り一遍に観察せし人々の出たらめにて、小生は決して左様不思議な人間に無之候。左に小生の履歴を申し上げ候。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho1.html
玄奘三蔵の『大唐西域記』に、むかし雉の王あり、大林で火を失せるを見て、清流の水を羽にひたし幾回となく飛び行きてこれを消さんとす。 https://www.minakatella.net/letters/2sho18.html
プラトンは、ちょっとしたギリシアの母を犯したり、妹を強姦したり、ガニメデスの肛門を掘ったり、アプロジテに夜這いしたり、そんな卑猥な伝説ある諸神を、心底から崇めた人にあらず。 https://www.minakatella.net/letters/2sho17.html
しかるに、ただ一つ封建の制より一層古く国民一汎に粛敬謹慎の念を銘心せしめおるものあり。何ぞや。最寄り最寄りの古神社これなり。 https://www.minakatella.net/letters/2sho16.html
西洋に、林地には必ず礼拝堂あり、また十字架を立つるごとく、当地方では神威を借りるにあらずんば樹林の守護はできがたきなり。 https://www.minakatella.net/letters/2sho14.html
しからば、ちと牽強ながら、慶元の際、邦人が戦争に飽き足りしとき熊野兵のようなものありしゆえ、いよいよ戦争がつまらなくなり、終に徳川三百年の太平を享けるに及べりと… https://www.minakatella.net/letters/2sho13.html
この辺に柳田国男氏が本邦風景の特風といった田中神社あり、勝景絶佳なり。 https://www.minakatella.net/letters/2sho12.html
どこにてもあるものゆえ、どこの森を伐ろうとかまわぬじゃないかと言われんが、実際は然らず。 https://www.minakatella.net/letters/2sho12.html
たとえば今度御心配をかけし当田辺湾の神島のごときも、千古斧を入れざる神林で、湾内へ魚入り来るは主としてこの森存するにある。これすでに大なる財産に候わずや。 https://www.minakatella.net/letters/2sho11.html
…いよいよ我が国の神社は、これ本来の公園に神聖慰民の具をそなえたる結構至極の設備と思い、外国人が毎々羨む通り、さしたる多額を費やさずに、村々の大字大字に相応の公園があり… https://www.minakatella.net/letters/2sho10.html
僧や神主はほんの教えを伝うる方便なり。この辺の民は千古神を敬し、朝夕最寄りの神へ詣し、礼拝讃唱するを楽しみとし、一家安全の基としおるものなり。 https://www.minakatella.net/letters/2sho10.html
これがため、御承知の熊野九十九王子社、すなわち諸帝王が一歩三礼したまえる熊野沿道の諸古社は、三、四を除きことごとく滅却、神林は公売にさる。 https://www.minakatella.net/letters/2sho10.html
この地、地方官公吏自分の位置を継続せんとて、入りもせぬ工事を起こし、村民を苦しめ、入らぬ所にトンネルを通じ、車道を造ること止まず。 https://www.minakatella.net/letters/2sho9.html
さて木を乱伐しおわり、その人々去るあとは戦争後のごとく、村に木もなく、神森もなく、何にもなく、ただただ荒れ果つるのみに有之。 https://www.minakatella.net/letters/2sho9.html
本県は合祀励行一村一社の制を強行して、神社乱滅、由緒混乱、人民むかうところを失い、淫祠邪魅が盛んに行なわれ、官公吏すでに詐道脅迫をもって神様を奪い取る。 https://www.minakatella.net/letters/2sho8.html
当田辺の闘鶏権現のクラガリ山の神林もまたなかなかのものにて、当県で平地にはちょっと見られない密林なり。これも公園公園といって社を見下し… https://www.minakatella.net/letters/2sho6.html
…いかなる事情の下にも伐木せぬ条件で神林を払い下げ、社有とせしなり。しかるに、小生の舅二年前死亡後の神主、たちまち世話人と申し合わせ、右の健壮の大樟を枯損木と称し、きり尽くし根まで掘り売り、神泉は全く滅す。 https://www.minakatella.net/letters/2sho6.html
…愚夫ども、得たりかしこき官の御諚なりとて神林という神林へは、ことごとく押しかけ、落葉をかき取り、土を減らし、また小さき鋸を持ち行き、少々ずつ樹木を挽き傷つけ、秋枯木となりかかると、たちまち枯損の徴ありとてこれを伐り去るなり。 https://www.minakatella.net/letters/2sho6.html
…植物の全滅ということは、ちょっとした範囲の変更よりして、たちまち一斉に起こり、そのときいかにあわてるとも容易に恢復し得ぬ… https://www.minakatella.net/letters/2sho5.html
さて魚類が田辺湾へ来ること少なくなり、夏日は蔭なく、病客多くなり大閉口、その学校もかかるつまらぬ木で立てしゆえ頽れ落ちる。この出立松原は… https://www.minakatella.net/letters/2sho5.html
那智山那智山と言えど、すでに貴下らが二十余年前見舞われしときと打ってかわり、滝の辺はことごとく老杉老樟を伐り去られ、滝下へ人力車がすぐ付くようになり… https://www.minakatella.net/letters/2sho4.html
一尺四方ばかりのうちに落葉落ち重なれるにルリシャクジョウ、ヒナノシャクジョウ、オウトウクワとホンゴーソウ、またXylaria filiformisと覚しき硬嚢子菌混生する処あり。https://www.minakatella.net/letters/2sho4.html
一尺四方ばかりのうちに落葉落ち重なれるにルリシャクジョウ、ヒナノシャクジョウ、オウトウクワとホンゴーソウ、またXylaria filiformisと覚しき硬嚢子菌混生する処あり。秋になれば帽菌がおびただしく生じ、夜光るものもあり。https://www.minakatella.net/letters/2sho4.html
すなわち八十余丈という大滝、それは八十余丈かしらぬが、百七十年ばかり前に樹木少なくなりしため三分の一強埋もれり。 https://www.minakatella.net/letters/2sho4.html
拾い子谷(東西牟婁郡の間、八十町にわたる、熊野には今日熊野街道の面影を百分の一たりとも忍ばしめるところはここあるのみ。…) https://www.minakatella.net/letters/2sho3.html
さて霊山の滝水を蓄うるための山林は、永く伐り尽くされ、滝は涸れ、山は崩れ、ついに禿山となり、地のものが地に住めぬこととなるに候。 https://www.minakatella.net/letters/2sho2.html
よって思うに、かかる古文書を証として、今後も維新前のことを争い出し、山林土地返付を求むるを許さば、その弊に堪えざるべければ… https://www.minakatella.net/letters/2sho2.html
しかるに、今の学問は人間と粘菌は全く同じからずということばかり論究序述して教えるから、その専門家の他には少しも世益なきなり。 https://www.minakatella.net/letters/joaito12.html
されば専門専門というて、人の書いた物ばかりよみ、あの説ももっともらしく、この説ももっともなところあるようなり、ええいままよと一六勝負であっちに加担し、こちらを受け売りして一世を終わって何の実用なし。
およそ人間の智識をもって絶対の心理を知らんなどは及びもつかぬことなるは、ニュートンの引力もアインシュタインの相対論でまるで間違ったものと知れた。 https://www.minakatella.net/letters/joaito12.html
今もニューギニア等の土蕃は死を哀れむべきこととせず、人間が卑下の現世を脱して微妙高尚の未来世に生ずるの一段階に過ぎずとするも、むやみに笑うべきでない。 https://www.minakatella.net/letters/joaito11.html
死物を見て粘菌が生えたと言って活物と見、活物を見て何の分職もなきゆえ、原形体は死物同然と思う人間の見識がまるで間違いおる。 https://www.minakatella.net/letters/joaito11.html
故に、人が見て原形体といい、無形のつまらぬ痰様の半流動体と蔑視されるその原形体が活物で、後日蕃殖の胞子を護るだけの粘菌は実は死物なり。 https://www.minakatella.net/letters/joaito11.html
外国にあった日も熊野におった夜も、かの死に失せたる二人のことを片時忘れず、自分の亡父母とこの二人の姿が昼も夜も身を離れず見える。 https://www.minakatella.net/letters/joaito9.html
…熊野の勝浦、それから那智、当時実に英国より帰った小生にはズールー、ギニア辺以下に見えた蛮野の地に退居し、夏冬浴衣に縄の帯して、山野を跋渉し… https://www.minakatella.net/letters/joaito9.html
貴書に見えたる念者をタチ、若衆をウケというのは洋語の直訳で、近来できた詞と察せられ候。 https://www.minakatella.net/letters/joaito2.html
御来示の通り、浄愛(男道)と不浄愛(男色)とは別のものに御座候。 https://www.minakatella.net/letters/joaito1.html
縁の下に小鳥が1羽死んでいる故、明朝丁重に葬ってやってほしい(熊楠が亡くなる前日 1941.12.28 の夜に妻と娘に言った言葉 南方文枝「追想」『南方熊楠全集』別巻2、月報12)
自分はこれからぐっすり眠りたい故、誰も私の体に触れないでほしい、おまえ達も間違いなくおやすみ、必ず間違いなくやすむのだよ(熊楠が亡くなる前日 1941.12.28 の夜に妻と娘に言った言葉 南方文枝「追想」『南方熊楠全集』別巻2、月報12)
こうして目をとじていると、天井一面に綺麗な紫の花が咲いていて、体も軽くなり、実にいい気持なのに、医師が来て、腕にチクリとすると忽ちせっかく咲いた花が、みんな消え失せてしまう、どうか天井の花を、いつまでも消さないように、医師を呼ばないでおくれ(南方文枝「追想」全集別巻2、月報12)
昭和四年六月一日 至尊登臨之聖蹟  一枝もこころして吹け沖つ風 わか天皇のめてましゝ森そ  南方熊楠謹詠并書
昨一日進講事すみ候。神島へは畠島より前に御臨幸遊ばされ候て、この島にて小生のために特に脱帽遊ばされ候ことまことに恐懼の至り、御召艦にては三十五分ばかり進講、粘菌百十点献上、貴下の集品は五点ありし。
…物は試し、掛作りとは何だろうと問うと、壁のごとく立った山腹に寄せ掛けて構えた高い建築をいう。熊野新宮の神倉山に左甚五郎が立てた高名の掛作りがあったが、維新後、神仏混淆廃止で滅却された、今もかの辺で大工の宴会に、「大工上手じゃ神の倉ご覧じ、岩に社を掛作り」と唄う、と。
次に新宮には、…万事を打ち捨てて合祀を励行し、熊野の開祖高倉下命を祀れる神倉社とて、火災あるごとに国史に特書し廃朝仰せ出でられたる旧社を初め、新宮中の古社ことごとく合祀し、社地、社殿を公売せり。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken5.html
小生二十二、三のとき、米国ミシガン州アナバという小市の郊外三、四マイルの深林に採集中、大吹雪となり走り帰るうち、生まれて一月にならぬ子猫が道を失い雪中を小生に随い走る。小生ちょうど国元の妹の訃に接せし数日後で仏家の転生のことなど思い、もし妹がこの猫に生まれあったら棄つるに忍びず…
吾輩壮年のころ(明治二十年ごろ)まで、東京付近にも上方にも、猫の糞という駄菓子があった。確と覚えぬが、まずはチョコレイト褐色で、中に豌豆屑を蔵め、宛然猫糞の形だった。 https://www.minakatella.net/letters/nekonohun.html
田辺で黒き猫を腹に載すれば、癪を治すという。 https://www.minakatella.net/letters/kishuzokuden219.html
ロメーンスの『動物知慧論』に猫が他の猫を養い甚だしきは鼠をすら乳する事を載せ、貝原益軒も猫は邪気多きものだが他の猫のみなしごをも己れの子同様に育つるは博愛だと言った。 https://www.minakatella.net/letters/12tora10.html
また猫畜う時年期を約して養うと、その期限が尽くればどこかへ去る。また猫長して一貫目の重量に及べば祝う。いずれも田辺の旧習なり。 https://www.minakatella.net/letters/kishuzokuden219.html
猫が蟻を食物に混じて食えば力強くなる。 https://www.minakatella.net/letters/kishuzokuden147.html
猫属の輩は羞恥という念に富んでいるもので、虎や豹が獣を搏ち損う時は大いに恥じた風で周章あわてて首を低たれて這い廻り逃げ去るは実際を見た者のしばしば述べたところだ。 https://minakatella.net/letters/12tora9.html
小生はたぶん今一両年語学に精を入れ、当地にて日本人を除き他の各国人より醵金し、パレスタインの耶蘇廟およびメッカのマホメット廟にまいり、それよりペルシアに入り、それより船にてインドに渡り、カシュミール辺にて大乗のことを探り、チベットに往くつもりに候。たぶんかの地にて僧となると存じ候
むかし玄奘、法顕諸師のことはさておきぬ、回々教のイブン・バツタと申すもの、アフリカ、インド、支那、チベットの間七万五千マイルをあるきたることの記録ものこりおり候えば、運命さえあらば何するもできぬことはなく、運命なければ綿の上へ死ぬる人もあることと信ぜられ申し候。
Some folks still cling to the superstition that cats{comma} when grown very old{comma} acquire a demoniac power and do various mischiefs. Hence one uses to tell it how long he would like to keep it when he gets a cat in his house; https://www.minakatella.net/letters/catfolklore.html
Thus far the European tortoise-shell cats would seem all to be females. But in Japan the males of this colour are said to exist{comma} though exceedingly seldom. Formerly{comma} traditions say{comma} all wealthy sea-captains vied with one another to procure one{comma} https://www.minakatella.net/letters/catfolklore.html
東牟婁郡湯峰に蒔かずの稲というあり。自生の稲と言い、小栗判官入湯の時、初めて生えしなど伝う。 https://www.minakatella.net/letters/kishunominkanryohoki16.html
田辺の漁婦六十歳ほどなるが、印魚(こばんうお) の頭にある小判形の吮著器(サッカー)を多く貯え、熱冷しまた下痢の人に施すに神効ありと言う。 https://www.minakatella.net/letters/kishunominkanryohoki15.html
田辺の老人に聞く。かつて童子指を火傷(やけど)せしに、その母ただちにその子の指を自分の陰戸に入れしめた。即効ありという。 https://www.minakatella.net/letters/kishunominkanryohoki1.html
…以前婦女その夫などを毒するに鉄針の砕屑を飯に入れ、知らずに食わせることあり。夫何とも知らずに煩い出し、医師にも病原分からぬ。 かかる時韮を食えば… https://www.minakatella.net/letters/kishunominkanryohoki2.html
鶏雌雄を択ばず頭を醤油で付焼にして三、四回食らえば、いかに重き痔にても治る。かくすれば骨も嘴も容易に食らい得。 https://www.minakatella.net/letters/kishunominkanryohoki17.html
またいわく、無花果(いちじく)の枝葉は煮出せば茶の通り赤褐色となる。はなはだ身を温むるもので、ちょっと入れればたちまち全軀発汗す。 https://www.minakatella.net/letters/kishunominkanryohoki16.html
拙妻話す田辺の古伝に、病人が厠へ入った跡へ入らんとする時、まず草や藁を投じてのち入れば病を受けず、これを病を断(き)ると称す、と。 https://www.minakatella.net/letters/kishunominkanryohoki21.html
友人平瀬作五郎氏、往年銀杏の精液が他の高等植物と異にして、反って羊歯等の下等植物に同趣なるを発見し、植物学会をひっくりかえせしは、実に日本にこの一種のみ保存しありし力なり。他国に亡びたれば、ついでにいっそこの国のものも全滅跡なからしめんとするは、人道にも天道にも反けりと思う。
たとえば銀杏は太古には数百種もありしが、今は化石となりおわれり。さればとて日本、支那にのみ遺存し、わずかに社寺境内にのみ生を聊する銀杏を、軽々看過すべきにあらず。
明智光秀というは主君を弑した不道の男なり。…しかるに山崎の一戦に、その将士はことごとく枕を並べて討死致し候。四方天、並河、内藤を始め、いずれも以前光秀とは敵たりしが止むを得ず降参せし人々なり。それにその人々が一人も背かずまた遁れずに光秀のために討死致し候。
過ちを改めざるを過ちと言うとあるに、入らぬところに意地を立て、熊楠はともあれ他の諸碩学の学問上の希望を容れられざりしは遺憾なり。 https://www.minakatella.net/letters/gosiiken7.html
小生は慶応三年四月十五日和歌山市に生まれ候。父は日高郡に今も三十家ばかりしかなき、きわめて寒村の庄屋の二男なり。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho2.html
小生は次男にて幼少より学問を好み、書籍を求めて八、九歳のころより二十町、三十町も走りありき借覧し、ことごとく記憶し帰り、反古紙に写し出し、くりかえし読みたり。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho3.html
『和漢三才図会』百五巻を三年かかりて写す。『本草綱目』、『諸国名所図絵』、『大和本草』等の書籍を十二歳のときまでに写し取れり。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho3.html
明治十二年に和歌山中学校できてそれに入りしが、学校にての成績はよろしからず。これは生来事物を実地に観察することを好み、師匠のいうことなどは毎々間違い多きものと知りたるゆえ… https://www.minakatella.net/letters/rirekisho3.html
二十年にミシガン州立農学に入りしが、耶蘇教をきらいて耶蘇教義の雑りたる倫理学等の諸学科の教場へ出でず、欠席すること多く、ただただ林野を歩いて、実物を採りまた観察し… https://www.minakatella.net/letters/rirekisho3.html
それよりこの人の手引きで(他の日本人とかわり日本公使館などの世話を経ずに)ただちに大英博物館に入り、思うままに学問上の便宜を得たることは、今日といえどもその例なきことと存じ候。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho7.html
この大英博物館におよそ六年ほどおりし。館員となるべくいろいろすすめられたけれども、人となれば自在ならず、自在なれば人とならずで、自分は至って勝手千万な男ゆえ辞退して就職せず… https://www.minakatella.net/letters/rirekisho7.html
右のダグラス男の官房で初めて孫逸仙(※孫文)と知人となれり。逸仙方に毎度遊びにゆき、逸仙また小生の家に遊びに来たれり。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho8.html
小生はそのころ度々『ネーチュール』に投書致し、東洋にも(西洋一汎の思うところに反して、近古までは欧州に恥じざる科学が、今日より見れば幼稚未熟ながらも)ありたることを西洋人にも… https://www.minakatella.net/letters/rirekisho9.html
明治三十一年ごろより小生は『ノーツ・エンド・キーリス』に投書を始め、今日まで絶えず特別寄書家たり。これは七十六年前に創刊されたもので、週刊の文学兼考古学雑誌なり。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho9.html
東洋人の気焔すこぶる上らず。その時館内にて小生を軽侮せるものありしを、小生五百人ばかり読書する中において烈しくその鼻を打ちしことあり。それがため小生は館内出入を禁ぜられしが https://www.minakatella.net/letters/rirekisho10.html
オランダ第一の支那学者グスタヴ・シュレッゲルと『正字通』の落斯馬という獣の何たるを論じてより、見苦しき国民攻撃となり、ついに降参せしめて謝状をとり今も所持せり。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho10.html
時々博物館に行きて勤学するうち、小生また怒って博物館で人を撃つ。すでに二度までかかることある以上は棄てるおきがたしとあって、小生は大英博物館を謝絶さる。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho14.html
これも銭が懐中に留まらず、…小生はビールに飲んでしまい、南阿戦争は永く続き、ケンブリッジに日本学講座の話も立ち消えになったから、決然蚊帳のごとき洋服一枚まとうて帰国致し候。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho14.html
帰国して見れば、双親すでに下世して空しく卒塔婆を留め、妹一人も死しおり、兄は破産して流浪する、別れたとき十歳なりし末弟は二十五歳になりおる。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho15.html
しかるに、小生家に在ってはおそろしくて妻をくれる人なし。当分熊野の支店へゆくべしとのことで、小生は熊野の生物を調ぶることが面白くて、明治三十五年十二月に熊野勝浦港にゆき候。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho16.html
さて北アジアの諸民族に尊ばるるシャーマンは、やや奥州の馬形の巫神オシラサマに似た馬頭杖を用いて法を行い、霊馬に乗って冥界に馳せ往き、神託を聴き返ると信ぜられ、わが邦にも巫道に馬像を用いたらしく… https://minakatella.net/letters/12uma65.html
今もヤマカガシちゅう蛇赤くて斑紋あり山野に住み長六、七尺に及び、剛強にして人に敵抗す。三河の俗説に愛宕または山神の使といい、雷鳴の際天上すともいう。 https://minakatella.net/letters/12hebi2.html
二月初めに、宮城内生物学研究所主任服部広太郎博士来臨あり、六月に御行幸あるから拝謁進講がなるかとのことで、重ねて四月二十四日に電信あり、よって御受け申し上ぐ。 https://www.minakatella.net/letters/joaito15.html
二十年来辛苦し保存せし神島で拝謁、夕刻御召艦長門へ召され、大臣、将官ら二十方ほど侍坐の席で、陛下の御前に席を賜わり進講致し候。 https://www.minakatella.net/letters/joaito15.html
岡崎邦輔氏よりの来信に、小生ごとき官辺に何の関係なき無位無勲の者を召せられ御言葉を再三賜わりしは従前無例とのこと、https://www.minakatella.net/letters/joaito15.html
四十四年前の春、尊女の長兄と軽舸を仕立て鉛山温泉へ渡りし、ちょうどその舸が渡りし見当の所に、今度御召艦がすわるなり、付いては一つの頼みあり。熊楠は生来放逸にして人を人とも思わず… https://www.minakatella.net/letters/joaito15.html
仏経に、慧は男、女に勝り、定は女、男に勝るという、自分は何を信ずるという心がけもなければ、かかる場合に神仏に祈念しても誰かはこれを受けん、 https://www.minakatella.net/letters/joaito15.html
しかるに今度この御諚あり、いささかも無礼不慎のことあっては一族知人ども一般の傷となる。 https://www.minakatella.net/letters/joaito15.html
尊女かの二人に代わりて当日、熊楠事なく進講を済ましてくるればこれに越した身の幸いなしと、一心不乱に念じてくれよ、熊楠は自分に失態あっては尊女の一生に傷を付くるものと思うて… https://www.minakatella.net/letters/joaito15.html
二十七年前に見出だしおきし海に棲む蜘蛛(ギゲスと申す)をとりに行きしに、当日大風波で船人等船を出さず。…その漁夫これ鄙人恩に報うるの日なりとて…小生と川島と四人で船を出す。 https://www.minakatella.net/letters/joaito16.html
しかし、必死に漕がせてその蜘蛛のある海洞に近付いたが、浪荒くて入るを得ず。よって小生は上陸し、一人は船に留まり、他二人は岩壁を九死を侵してよじ下り、わずかながら八疋まで活け捕り… https://minakatella.net/letters/joaito16.html
疲労はなはだしく、かつ進講しすべき粘菌を助手なしにことごとく箱に装置せざるべからず。四日四夜のうちにただ一朝五時より七時までの間の時計を聞かざりしだけ、まずは仮寝したと思う。 https://www.minakatella.net/letters/joaito16.html
進献品出来上がりて浴して身を浄め了れば、はや出頭の時刻なり。 https://minakatella.net/letters/joaito16.html
それより神島へ渡るに当日船揺れて何の考えも付かず、何を進講してよいか御先真っ暗なりしが、島で拝謁、進献品に就いて奏上、次に御召艦で、進講も幸いに標品をそれこれ見計らい持参したから… https://www.minakatella.net/letters/joaito16.html
奏上して退くまで、例の鼻をすすったり咳嗽の一つも出さず、足の一歩も動かさずに事のすみしは、全くラ・ダム・ド・メ・パンセー(わが思いの貴婦)の一念が届いたものと殊勝さ限りなく感じた。 https://www.minakatella.net/letters/joaito16.html
後に聞くと、家にあって無事を念ずるよりはその近辺へ出かけて声援否念援すべしとて、姉妹二人長途馳せ来たり、御召艦の見ゆる浜辺に立って御召艦出立まで立ち続けおり… https://www.minakatella.net/letters/joaito16.html
貴下がもし今の世にも果たして浄の男道の一例だもあらば示せと仰せらるるなら、小生身すなわちその一例なりとあえて言わんがため長々とこの状を走り書き候。 https://www.minakatella.net/letters/joaito20.html
神島という島に御臨幸、小生拝謁せし地点に諸友の出資にて六百円ばかりで大阪の名工に彫らせた碑、高さ一丈三尺ばかりを建て候。 https://www.minakatella.net/letters/joaito20.html
昭和天皇臨幸之聖蹟 一枝も心してふけ沖津風 わが大君のめでましし森ぞ 昭和五年六月一日 南方熊楠謹詠并書 右の拙詠は佐々木信綱先生に見て戴けり。 https://www.minakatella.net/letters/joaito20.html
古ペルシアその他に、敵国を亡ぼして敵王の子を宮し、その色を愛せし王が多し。アレキサンドルがもっとも寵せし美人は、女にあらずして宦者なりし。 https://www.minakatella.net/letters/joaito4.html
次に半男女あり。ローマ帝国の全盛時に好色家は最高価をこれに払えりという。はなはだ少なきものなり。両性人(ヘルマフロジテ)なり。 https://www.minakatella.net/letters/joaito4.html
この宦者の心底、情操がまた、かげまとも女とも大いにかわり候。いわゆる neuter(無性)人なり。 https://www.minakatella.net/letters/joaito4.html
那智山に籠ること二年ばかり、その間は多くは全く人を避けて言語せず、昼も夜も山谷を分かちて動植物を集め、またかねて心掛けてもち還りし変態心理学の書を読み… https://www.minakatella.net/letters/senrigan1.html
これはいわゆる潜在意識が四境の寂しきままに自在に活動して、あるいは逆行せる文字となり、あるいは物象を現じなどして、思いもうけぬ発見をなす。外国にも生物学をする者にかかる例しばしばある https://www.minakatella.net/letters/joaito9.html
かくて小生那智山にあり、寂しき限りの生活をなし、昼は動植物を観察し図記して、夜は心理学を研究す。寂しき限りの処ゆえ色々の精神変態を自身に生ずるゆえ、自然、変態心理の研究に… https://www.minakatella.net/letters/rirekisho19.html
幽霊と幻の区別を知りしごとき、このときのことなり。幽霊が現わるるときは見る者の身体の位置の如何に関せず、地平に垂直にあらわれ申し候。 https://www.minakatella.net/letters/rirekisho19.html
https://www.minakatella.net/letters/yatagarasunokoto.html
貴誌に幸田博士、八咫鳥は鳥にあらずして大功臣たるの説あり。和歌山県海草郡加茂村は、この烏となり、皇軍を熊野山中から大和宇陀邑まで導きし健角見命の生処なりとて…
烏は聡明神速なるもの、ギリシア・ローマにも、アポロ神が烏に化け、またジュノがこれを神使とし、北米の土人また烏をもって神や人に名づけたる例多く… https://www.minakatella.net/letters/yatagarasunokoto.html
烏は好んで死肉を食うものなれば、インド・エジプトの鵰(ヴァルチュール)同様、戦死の人尸を食らわんとて、朝起き早く軍に前んじて進み、嚮導せしなるべし。 https://www.minakatella.net/letters/yatagarasunokoto.html
今も熊野神使は烏にて、人の死を予告すなど言い伝うるなり。 https://www.minakatella.net/letters/yatagarasunokoto.html
邪視英語でイヴル・アイ、伊語でマロキオ、梵語でクドルシュチス。明治四十二年五月の『東京人類学会雑誌』へ、予その事を長く書き邪視と訳した。 https://www.minakatella.net/letters/jasi.html
その後一切経を調べると、『四分律蔵』に邪眼、『増一阿含』…に悪眼、『雑宝蔵経』…に見毒、『蘇婆呼童子経』に眼毒とあるが、邪視という字も『普賢行願品』二八に出でおり、また一番よいようでもあり、柳田氏その他も用いられているから、手前味噌ながら邪視と定めおく。 https://www.minakatella.net/letters/jasi.html
かく根を方術に用いる植物多般なるうち、他にぬきんでて最も著名なはマンドラゴラに極まる。これは地中海地方に二、三種、ヒマラヤ山辺に一種、合わせてただ三、四種より成る一属で、茄科に属し、紫の花さく。 https://www.minakatella.net/letters/shoryusin3.html
なかんずく古く医術、媚術と左道に用いられて過重された一種は、地中海に瀕する諸国の産で、学名マンドラゴラ・オッフィシナルム。英語でマンドレイク、独語でアルラウネ、露語でアダモヴァゴロヴァ、古ヘブリウ名ズダイム、ペルシア名ヤブルズ、アラブ名イブルッ、… https://www.minakatella.net/letters/shoryusin3.html https://www.minakatella.net/letters/shoryusin3.html
押不虚(ヤブルウ)は、『本草』にも明の李時珍が、むかし華佗が腸をえぐり胃を洗うた外科施術には、こんな薬を用いただろう、と古人の言を引いたを読んでも、和漢の学者何ものとも分からずに過ごしたのを、予が語学と古記述を調べて、初めてマンドラゴラと定めた。 https://www.minakatella.net/letters/shoryusin3.html
確か明治二十九年か三十年の『ネイチュール』に、予このヤブチャクなる名を、予未見の書で、明の方密之の『通雅』四一に引かれた『方輿勝略』に押不盧薬と音訳したと書いたはとにかく、右のペルシア名かアラブ名を、宋末・元初時代に押不慮(ヤブルウ)と音訳したは疑いを容れず。
宋末に周密いわく、「回回国の西数千里の地、一物のきわめて毒あるを産す。 全く人の形に類し、人参の状のごとし。その酋、これを名づけて押不虚という。土中の深さ数丈に生じ、人あるいは誤ってこれに触れ、その毒気を著くれば、必ず死す。これを取るの法は… https://www.minakatella.net/letters/shoryusin3.html
西暦七世紀の初め、スペイン・セヴィヤの僧正で、中世最も行なわれた大部の百科全書を物したイシドルスいわく、マンドラゴラの根は男形のと女形のとあり、これを採る人は、これに触れぬよう注意して、その周りを飛び廻るべし。まずこの草に犬をしかと括り付け… https://www.minakatella.net/letters/shoryusin3.html
この草に犬をしかと括り付け、断食せしむること三日の後、パンを示して遠方より呼べば、犬パンを欲して草を強く牽き、根が叫びながら抜ける。その叫びを聞いて犬はやにわに斃る。人もそれを聞けば必ずたちまち死ぬから、耳を強く塞ぐを要す。 https://www.minakatella.net/letters/shoryusin3.html
その根を獲れば何病でも癒えぬはなし、とけだし持主の守護尊となって万病を治し、埋蔵せる財宝を見出だし、箱に納めた金銭を二倍に殖やし、邪鬼を避け、恋を叶え、予言をなす等々、その利益あげて数うべからずと言い伝えた物だ。 https://www.minakatella.net/letters/shoryusin3.html
しかし、この物は毒薬で、古ギリシアより中世欧州に至るまで、患者を麻酔せしめて施術するに用い、 アラブの名医アヴィセンナもその功を推奨した。 https://www.minakatella.net/letters/shoryusin3.html
また支那人がマンドラゴラを人参の状のごとしと言った同様、むかしの欧州人は、支那の人参の根が人に似て薬功神のごとしと聞き、支那にもマンドラゴラありと信じた。 https://www.minakatella.net/letters/shoryusin3.html
『本草綱目』一七、押不虚(ヤブルウ)の次に曼陀羅花あり。その名が似るをもってこれをマンドラゴラと想う人あり。 https://www.minakatella.net/letters/shoryusin4.html
また 『本草』 の曼陀羅花は、独茎直上四、五尺とか白花を開くとか、まるでマンドラゴラの茎ほとんどなく、花紫なるに異なり。決してマンドラゴラでない。 https://www.minakatella.net/letters/shoryusin4.html
チョウセンアサガオ(ダツラ)属は、マンドラゴラ同様、茄科の植物で、 両半球の熱地に産し、すべて十五種あり。本邦にも二種が植えられ、一種が帰化したという。いずれも麻酔性があって毒物なり。インドでも、盗賊これをもって人を昏迷せしむ。 https://www.minakatella.net/letters/shoryusin4.html
『名実図考』に、本草書、狼毒において、みなはなはだ明らかならずといい、二書のその図がちっともマンドラゴラに似おらぬ。そんな物をかれこれ推測したって当たるはずなし。よって繰り返し、押不虚のみが、マンドラゴラの漢名と断言しおく。 https://www.minakatella.net/letters/shoryusin4.html
われわれは酒顚童子とか葛の葉とかそんな理に外れることを信ずるものにあらず。今日の児童もこれを笑う。しかしながら古伝としてはこれを唱うるとき、第一、自国はそんなことを信ずる世から今まで続いたという履歴ある系図となり、なんとなく国を愛するの風を育てるものなり。古伝の功ここにあるなり。
小生は神教ごときものに別に関係なく候えども、わが国の古蹟を保存するは、愛国心を養う上において、また諸般の学術上はなはだ必用のことと思う。
国の古きを証するには、この有史前の古蹟の保存もっとも必要に候。白石が秋田氏の譜にいえるごとく、わが国の君も臣も百姓もみな由緒、来歴あるを証するに候。
かつ小生、従来、一にも二にも官とか政府とかいうて、万事官もたれで、東京のみに書庫や博物館ありて、地方には何にもなきのみならず、中央に集権して田舎ものをおどかさんと、 万事、田舎を枯らし、市都を肥やす風、学問にまで行なわるるを見、大いにこれを忌む。
生食すれば有毒の「じゃがたらいも」も、一たび煮れば多数アイルランド人の主食たり、蒟蒻も毒草から製せられ、ブラジル民のパンと呼ばるるカッサヴァ粉と、諸国で病人を滋養するタピオカは、西半球が欧人に知られぬうちより、その土蕃が大毒人を殺すマニホット根から取り、手広く栽殖した。
『本草』に商陸に赤白の二種あるをいい、プリニウスはマンドラゴラの根また白い雄と黒い雌の二様あると言ったが、商陸には雌雄の沙汰なし。 https://www.minakatella.net/letters/shoryusin5.html
古ギリシアでは、マンドラゴラに催婬の力強しと信じ、婬女神アフロジテをマンドラゴラ女神と称えた。恋を叶えんためにその根を求むるに、刀で三度この草の周りに図を画き、面を西にむけてこれを切る。 https://www.minakatella.net/letters/shoryusin5.html
それからマンドレイクは古来子を孕ます効ありとされた。『旧約全書』に… https://www.minakatella.net/letters/shoryusin6.html
麦刈の日にルベン出て往きて、恋茄(ズダイム、すなわちマンドラゴラ)を獲、これを母レアの許に持ち来たりければ、ラケル、レアに言いけるは、請う、われに汝の子の恋茄を与えよ。 https://www.minakatella.net/letters/shoryusin6.html
かくて小生那智山にあり、寂しき限りの生活をなし、昼は動植物を観察し図記して、夜は心理学を研究す。…幽霊と幻の区別を知りしごとき、このときのことなり。 https://minakatella.net/letters/rirekisho19.html
予が多年の経験より類推してみずから知らぬうちに…かくのごとく備わりたる地にはかかる生物があるもしれずと思い当たれるやつが、山居孤独、精神に異状を来たせるゆえ、幽霊などを現出して… https://www.minakatella.net/letters/senrigan3.html
…マヤースの『ヒューマン・パーソナリチー』に犬にも幽霊ある事は予も十数年研究していささか得たところあるが不幸にも観る人の心を離れて幽霊という物ある証拠を一も得ない。 https://www.minakatella.net/letters/12usagi6.html
欧米の不思議会報告に、植物学者が霊感により珍草木を獲たる例を挙げたるを見るに、予みずから経験せしほどの不思議もなし。 https://www.minakatella.net/letters/senrigan4.html
予が夢または幽霊に教えられて発見せるものは、いずれも自分が多少見聞せしものに限る。 https://www.minakatella.net/letters/senrigan4.html
また当郡の瀬戸鉛山村には、毎年夏末秋より冬にかけ、海より上り陸に棲み、はなはだしきは神森の上に上るヤドカリあり。小生も前年手に入れ、久しく飼いしことあり。小笠原島産のものに似たり。 https://www.minakatella.net/letters/2sho11.html
小生は少しも動物学を知らず。しかし小生のごとき素人から見ても当国の山林また神林には、まだまだ記載を終わらざる動物多きなり。ヤマネ dormouse などは、どうしても一種にあらず。 https://www.minakatella.net/letters/2sho11.html
この島は千古、人が蛇神をおそれて住まざりし所なり。自生のセンダンの木あり、また海潮のかかる所に生ずる塩生の苔 scale-moss あり。奇体な島なり。 https://www.minakatella.net/letters/2sho11.html
前日安堵峰(当熊野第一の難所)へ行きしに、無智の山人の話をきくに、ハタフリというものあり、話の様子をきくに、イモリごときものに紅い鰓が一生つきおり、動くごとに旗を降るごとくなると見ゆ。 https://www.minakatella.net/letters/2sho11.html
たとえ樹林を伐り建物を滅するも…売上高は、決して樹木、神宝、生物、景勝をそのまま保存し、知らず知らずの間に良朴、愛国、剛毅、不動の国風を村夫児童に教え込むの大財産たるに比すべきにあらず。 https://www.minakatella.net/letters/2sho10.html
…オガタマノキ、カラスノサンショウの大木、一、二丈のもの、自生のタラヨウ一丈余のものなどは、何の用もなきものゆえ、わずかに神社の森を asylum として今日まで生を聊せしなり。 https://www.minakatella.net/letters/2sho7.html
これは今夜、件の猫が小生の机のそばの火鉢のそばにミカンばこを置きたる内に臥し居るに、小生の胴着をきせやり、安眠したる体なり。
寒のいり 猫もマントを ほしげなり
いわんやこの辺の漁民、仲仕、人足、小百姓、博徒、みな子分なれば、いよいよ襲撃とならば、これこそ見物ならん。
しかるに小生また大武力あり、三十余斤の鉄棒を昼夜牀頭に置き、毎日一上一下上三下四と稽古しおれば、なかなか三、四人ぐらいのものにまくること成らず、ここが見物なり。
かの巨魁津田というのはなかなかの姦雄にして子分多く、その中には生死知らずの者多し。故に小生、事により襲わるるも知れず候。しかるに小生また大武力あり、三十余斤の鉄棒を昼夜牀頭に置き、毎日一上一下上三下四と稽古しおれば、なかなか三、四人ぐらいのものにまくること成らず、ここが見物なり。
…千百年斧斤を入れざりし神林は、諸草木相互の関係ははなはだ密接錯雑致し、近ごろはエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出て来たりおることに御座候。
このほか実に世界に珍奇希有のもの多く、昨今各国競うて研究発表する植物棲態学 ecology を、熊野で見るべき非常の好模範島なるに、……終にこの千古斧を入れざりし樹林が絶滅して、十年、二十年後に全く禿山とならんこと、かなしむにあまりあり。
小生、熊野植物精査西牟婁郡の分の基点は、実にこの闘鶏社の神林にて、言わば一坪ごとに奇異貴重の植物があるなり。
御承知の通り紀州の田辺より志摩の鳥羽辺までを熊野と申し、『太平記』などを読んでも分かるごとく、日本国内のうちながら熊野者といえば人間でなきように申せし僻地なり。 https://minakatella.net/letters/rirekisho27.html
当田辺の闘雞権現のクラガリ山の神林またなかなかのものにて、当県で平地にはちょっと見られない密林なり。 https://minakatella.net/letters/2sho6.html
稲荷神社の柯(しい)の森林は本邦希有の珍品なり、紀州有田以北中国辺にかけて「しい」と称するは皆「マテバ柯」と呼び種類異にしてその実も味劣る。…その本当の柯の森林なせるは稲荷神社を措きて他に求むべからず、植物学界のために永く保護すべきなり。
礒間の日吉社、御子浜の神楽社は、これに中入するに奇橋岩を以てし、田辺湾中第一の絶景なる上、上出如き珍異の生物少なからず。前日すでに二社を藤巌神社に合して、宮木を伐んと申出しと聞く。風景に替るに荒寥を以てせんこと誠に悲むべし。
また湊村礒間人家裏の「タブノ木」林(保安林)より同村御子ノ浜、神楽神社に至る間の丘陵神林は小区域ながら珍植物多し。行く行くこの辺へ都会の人士来たりて観光する時の奇賞はこの間に集まるべきなり。
今回田中神社を八上神社に合祀したについて、その跡森を伐採して八上の神田とすると聞き及ぶ。…田中神社の風景美観と紫藤の優雅なること、並びに現時植物学上の大問題たる松葉蘭発生研究に最好の場所たること、…
八上王子は山家集に、西行、熊野へ参りにけるに、八上の王子の花面白かりければ社に書きつけける、待ち来つる八上の桜咲きにけり荒くおろすな三栖の山風、とて名高き社なり。シイノキ密生して昼もなお闇く、…写真とりに行きしに光線入らず、止むを得ず社殿の後よりその一部を写せしほどのことなり。
また野中王子社趾にはいわゆる一方杉とて、大老杉、目通り周囲一丈三尺以上のもの八本あり。…年代や大いさよりいうも、珍種の分布上より見るも、本邦の誇りとすべきところなる上、古帝皇将相が熊野詣りごとに歎賞され、旧藩主も一代に一度は必ずその下を過りて神徳を老樹の高きに比え仰がれたるなり。
この外に、これらの古木に種々雑多の寄生植物、托生植物あり。いずれも熊野植物の精華を萃めたるものに御座候。御承知ごとく、殖産用に栽培せる森林と異り、千百年来斧斤を入れざりし神林は、諸草木相互の関係はなはだ密接錯雑致し、近ごろはエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特種専門の学問
寺山は大樫の密林なり。古え滝水を蓄え四時涸落せず。その実は米穀の少なき山民の常食とするに任せ、材木の用をなさぬものなれば濫伐の憂えなしとてこの樹を撰み、植えつけしと申す。 https://minakatella.net/letters/2sho4
なかんずく予は熊と楠の二字を楠神より授かったので、四歳で重病の時、家人に負われて父に伴われ、未明から楠神へ詣ったのをありありと今も眼前に見る。また楠の樹を見るごとに口にいうべからざる特殊の感じを発する。
…伊勢、熊野とて…両神の優劣を勅問ありしほど神威高く、したがって神社の数はなはだ多かり、士民の尊崇最も厚かりし三重と和歌山の二県で、由緒古き名社の濫併、最も酷く行なわれたるぞ珍事なる。 https://minakatella.net/letters/gosiiken3.html
下ばえが腐化してフムス(腐敗土)を形成し、これにミコライザ(根菌)という微細の菌が生じ、その作用にて腐土より滋養分を取り、大なる草木を養成するのが通例なり。
雑木の濫伐と共に、その辺の土中にありて、常に杉に栄養を供給するミコライザ(共生微菌糸)も全く死滅すべければ、如何なる名木といえども自然枯死せざるや論なし。
小生いわく、下木をきれば腐葉土なくなるゆえ、つまり老大木を枯らす、下木は断じて伐るを禁ずべし、と。 https://minakatella.net/letters/2sho25.html
これも例の俗吏が神林を掃除せよと毎々命ずるので、腐葉土なくなり行き、毎年、樟や柯が枯れ行く。 https://minakatella.net/letters/2sho21.html
当町付近でも、闘鶏社、高山寺、それから例の稲成山神林、奇絶峡、スクマ谷等の椎、樫等の下に、初夏しばしば生ずる。…支那書『物理小識』に載せた水晶蘭すなわちこれで、邦名はギンリョウソウ、… https://minakatella.net/letters/susamikara.html
そのいわゆる奇植物は一見春蘭の花のようで、莖に多少の鱗片あり。春蘭のような長い葉もなければ、緑色な処は少しもなく、全体白色で美しく光沢あり。たけ四、五寸あって同根よりむらがり生ず。 https://minakatella.net/letters/susamikara.html
その根を顕微鏡で見ると、微細な菌類と連合しおり、その菌類が腐土から滋養分を取って水晶蘭を養うのだ。 https://minakatella.net/letters/susamikara.html
すなわちもと葉緑素を具えた緑色の葉が日光に触れて空気から炭酸を取り自活しおった奴が、腐土(フムス)とて木や落葉が腐って土になりかかった中に生じ、いわゆる腐生生活を営むに至ったから、… https://minakatella.net/letters/susamikara.html
俗にも正直の頭(こうべ)に神宿ると言い伝う。 https://minakatella.net/letters/gosiiken1.html
…恵心僧都は、大和の神巫に、慈悲と正直と、止むを得ずんばいずれを棄つべきと問いしに、万止むを得ずんば慈悲を捨てよ、おのれ一人慈悲ならずとも、他に慈悲を行なう力ある人よくこれをなさん、正直を捨つる時は何ごとも成らず、と託宣ありしという。
むかし孔子は「やむを得なければ軍備も食糧も捨てよ。信頼は捨ててなならない、 民の信頼がなければ国家は安定しない(『論語』巻第六 顔淵第十二)」と言い、… https://minakatella.net/letters/gosiiken1.html
最初、明治三十九年十二月原内相が出せし合祀令は、一町村に一社を標準とせり。 https://minakatella.net/letters/gosiiken1.html
…万一不幸にも中村氏も演じくれず、また貴方にも誰にも演じ手がなしとならば、止むを得ず小生はこの書を今一度書き直し、『日本及び日本人』へ出さんと存じ候。…「神社合祀に関する意見(原稿)」 https://minakatella.net/letters/gosiiken0.html
中村氏へ返事の催促出し置きたるゆえ、四、五日中には小生へ何分の返事これあるべく、その間、貴下、本書御精読の上、通じがたきところは御直し下され、さて小生より中村氏の方不調とならば申し上ぐく候間、誰にても篤志の議員に話し申し上げられたく候。
支那には古くより太陽の中の烏に三足ありという説あり。例せば『春秋緯』元命苞に「日中に三足の烏あり、烏は陽精」とあり。…日の精は三足の烏という信念より、おいおい三足の烏を瑞鳥と見立てたるなり。https://minakatella.net/letters/sansokuu.html
されば近世キューピーとかヴィナスとか西洋のものとさえあれば持て囃すごとく、支那風全盛の世には三足の烏をもっともめでたい物として、さてこそ何の古記に見えぬまでも八咫烏を三足に仕立てたるに候。 https://minakatella.net/letters/sansokuu.html
…幸田露伴博士、八咫鳥は鳥にあらずして大功臣たるの説あり。和歌山県海草郡加茂村は、この烏となり、皇軍を熊野山中から大和宇陀邑まで導きし健角見命の生処なりとて… https://minakatella.net/letters/yatagarasunokoto.html
今も妙法山を近郡の死人の霊が枕飯できる間に必ず一度詣るべき所とするなど仏法渡来前より死霊に大関係ある地としたなるべく、元よりその地烏鴉多かったので…また仏説に冥界後生のことを記するに必ず烏のことある等より仏典渡来後、熊野の烏は一層死と死後の裁判に関係厚く信ぜらるるに及んだだろう。
されば本邦で烏を使い物とするは必ずしも熊野の神たちに限らず。信州諏訪の宮、江州日吉山王、隠岐の焼火山、越後の伊夜彦神社明神、肥前の安満嶽、その他例多かるべきが、熊野は伊弉冊尊御陵のある地で、古くより死に縁あり。
烏は好んで死肉を食うものなれば、…戦死の人の死尸を食らわんとて、朝起き早く軍に先んじて進み、嚮導せしなるべし。今も熊野神使は烏にて、人の死を予告すなどと言い伝うるなり。 https://minakatella.net/letters/yatagarasunokoto.html
神社の一件は…この際貴下の名を少しでも出すはよろしからず、とにかく役人など申す者は、穴ほりさがして何でもなきことに人をにくみ、それがため、免職などになりし例も少なからず。故に後日のことは後日と致し、この際貴下の名を少しも出さぬよう致し居り候間、この事御承知置きくだされたく候。
過日御将来の紫藤は…間違いもなくキフジ、オカフジと本草図譜巻二十九に出おるものに候。ちょうど大字岡に産する故オカフジという名がよろしき様に思うも、牧野博士はこれにヤマフジと名を付けあり、小生は既に古くよりキフジ、又オカフジなる名称があるに、昨今ヤマフジと命名するは、如何と存じ候。
岡往来は熊野古道であって、古え帝皇の車駕を迎うること幾百回なるを知らず。今に御車坂のあるを見ても盛んな古えの熊野がしのばるるでないか。 https://www.minakatella.net/letters/okanotanakajinnjawo.html
そのごとく多くの蘭類やこの水晶蘭などは、なかなか拾好な菌類と連合して、それに養われるという幸運な目にちょっと逢い難いから、なるべく多く種子を生んで一つでも旨く物になるを庶幾する。 https://minakatella.net/letters/susamikara.html
したがって蘭や水晶蘭の種子は、他の近類の種子に比して、その数はるかに多く、またなるべく諸方へ撒き布(し)くべきために身軽くできおる。 https://minakatella.net/letters/susamikara.html
この尊者かつてスペインに宣教したという旧伝あって…イリアの僧正テオドミル、奇態な星に導かれてその遺体を見出してより、そこをカンポ・ステラ(星の原)、それが転じてコンポステラと呼ばれたという。 https://www.minakatella.net/letters/12tori8.html
コンポステラの伽藍に尊者の屍を安置し霊験灼然とあって、中世諸国より巡礼日夜至って、押すな突くなの賑いはげしく、欧州第一の参詣場たり。因ってスペイン人は今も銀河(あまのがわ)をエル・カミノ・デ・サンチアゴ(サンチアゴ道)と呼ぶ。 https://www.minakatella.net/letters/12tori8.html
因ってスペイン人は今も銀河をエル・カミノ・デ・サンチアゴ(サンチアゴ道)と呼ぶ。これ『塩尻』巻四六に、中古吉野初瀬詣もうで衰えて熊野参り繁昌し、王公已下いか道者の往来絶えず、したがって蟻が一道を行きてやまざるを熊野参りに比したとあり。 https://www.minakatella.net/letters/12tori8.html
『エンサイクロペジア・ブリタンニカ』十一版二十四巻にかかる大海蛇譚の原因は海豚いるかや海鳥や鮫や海狗や海藻が長く続いて順次起伏して浮き游およぐを見誤ったか、また大きな細長い魚や大烏賊を誤り観みたか、過去世に盛えた大爬虫プレシオサウルスの残党が今も遠洋に潜み居るだろうと論じ居る。
近時化石学上の発見甚だ多きに伴つれて過去世に地上に住んだ大爬虫遺骸の発見夥しく竜談の根本と見るべきものすこぶる多い。しかし今とても竜の画のような動物は前述鱗蛇、鰐飛竜などのほかにも世界に乏しからぬ。 https://www.minakatella.net/letters/12tawara33.html
本邦では「源平盛衰記』巻四十三に、壇の浦の闘いに先立って、安倍晴延が、イルカが群れをなして平家の船を過ぎていったのを見て、その敗北を予告したことがあるが、別にイルカを崇拝したことを記す文は見ない。 https://www.minakatella.net/letters/dobutusuhai9.html
蜜蜂は神に捧げる蜜酒(ミード)を原造することから、神使とされ、今でも欧州で人が死ぬと、すぐに家で飼っている蜜蜂に訃を伝えて、楽土に報告させる風習がある。 https://www.minakatella.net/letters/dobutusuhai25.html
ナギの花は初夏にさくも目だたない。定家卿の詠に、「千早振る熊野の宮のなぎの葉を変はらぬ千代の例(ためし)にぞをる」。その常緑の葉を神威の尽きざるによそえて社頭に植えたのだ。 https://www.minakatella.net/letters/nagi.html
紀州切部王子のナギの葉をかざして熊野へ参ること、『保元物語』に見え、これをかざすと山道で蛭に吸いつかれぬといい伝う。 https://www.minakatella.net/letters/nagi.html
畏くも白河法皇は前生に蓮華坊という沙門なりしが、熊野信心の法力で天子に再生あったと申すことで、百余度も詣でたまう。さて老後の御幸大儀とあって、都近く三山勧請の御志あり。その時、神の告げにわが住む所には必ずナギ生ずべし、これわが殿舎なり、と。 https://www.minakatella.net/letters/nagi.html
ナギは熊野の神木で、熊野詣りの記念品、よって自笑の小説に、熊野生まれの弁慶の姉をナギの前と名づけた。 https://www.minakatella.net/letters/nagi.html
熊野諸処の俗伝に猟犬の耳赤きは貴し、その先祖犬山姥やまうばを殺し自分耳にその血を塗って後日の証としたのが今に遺のこったと言う、 https://www.minakatella.net/letters/12tora19.html
『説文』に虎を獣君という、山獣の君たればなり、また山君というと、わが邦で狼を大神と呼び今も熊野でこれを獣の王としまた山の神と称うるごとし。 https://www.minakatella.net/letters/12tora6.html
明治二十七年予この文を見出し『ネーチュル』へ訳載し大いに東洋人のために気を吐いた。その時予は窮巷の馬小屋に住んでいたが確か河瀬真孝子が公使、内田康哉子が書記官でこれを聞いて同郷人中井芳楠氏を通じて公使館で馳走に招かれたのを… https://www.minakatella.net/letters/12usagi7.html
兎よく猟犬がその跡を尋ぬる法を知り極めて巧みに走ってあとをくらます。時として長距離を進み走って後同じ道筋を跡へ戻る事数百ヤードにしてたちまち横の方へ高跳びして静かに匿れ居ると犬知らず前へ行ってしまう。その時兎たちまち元の道へ跳ね戻り犬と反対の方へ逃れ去る。 https://www.minakatella.net/letters/12usagi7.html
衣を隠された神女が隠した者の妻となる話が必ずしも小説にあらざるは、バルフォールの『印度事彙』に出た次の記事が立証する。 https://www.minakatella.net/letters/koromowo.html
スペイン、ヴィエラの名鐘は、不祥の事起こる前、自ら鳴るといい、那智の妙法山の一つ鐘は、近村に死人あればまた自ら鳴る、と。 https://www.minakatella.net/letters/mizukaranarukane.html
この神社林にはミサオノ木がある。これは熱帯地方では木となり、温帯地方では草となる。前年、宇井氏の発見にかかり、よほどの珍植物である。琉球、九州、土佐にもあるが、この木の変体はここで始めて発見したものである。 https://www.minakatella.net/letters/okanotanakajinnjawo.html
四月の『現代』に、幸田露伴氏、紀州田辺に過ぎたるもの二つ、南方熊楠君と日本一美味の鮨とあり。この美味の鮨とは前日差し上げたる縄巻鮨のことと存じ候。
ギリシアのジオメデス王、その馬に人肉を飼ったが、ヘラクレス奮闘して王を殺し、その屍を馬に啖わしむるとおとなしくなったという。わが邦にも『小栗判官』の戯曲(『新群書類従』五)に、横山家の悍馬鬼鹿毛(おにかげ)は、いつも人をまぐさとし食うたとある。 https://www.minakatella.net/letters/12uma30.html
さてそのついでに調べると、小栗の譚は日本の史実を本としたものの、西暦二世紀に、チミジア国(今のアルゼリア)の人アプレイウスが書いた、『金驢篇(デ・アシノアウレオ)』の処々を摸し入れた跡が少なくない。 https://www.minakatella.net/letters/12uma30.html
二年前、西牟婁郡近野村にて、予が創見せる奇異の蘚(こけ) Buxaumia Minakatae S. Okamura はその後また見ず。よって昨年末、当国最難所と聞こえたる安堵峰辺に登り、四十余日の久しきあいだ、氷雨中にこれを索めしも得ず。 https://www.minakatella.net/letters/okoze2.html
ついに、まことに馬鹿げた限りながら、山人輩の勧めに随い、山神に祈願し、もしこれを獲ればオコゼを献ぜんと念ぜしに、数日の後、たちまちかの蘚(こけ)群生せる処を見出だしたり。 https://www.minakatella.net/letters/okoze2.html
されば、日本男子の肛門が、二、三百年前締まりなく毎々痒く、維新後急に緊縮して痒からずなったと言わば、未曾有の臍茶ならん。されば、無闇に不一定の西説を受け売りして、えせ科学的に勿体を付けるよりは、鳶魚先生のように「時世というものは面白い」と片付けおくを最上と惟う。
男子が女人の性慾をもって生まれ、女よりも他の男に合うを好む者が欧州その他に今も多く、むやみにこれを妨ぐるは不憫だから、そんな者は望み次第然るべき方法で男同士の結婚をさせやるべし、と論じた人もある。ドイツのウルリッヒ、英国のシモンズなどだ。
この人いわく、ガリョウというものあり、大亀にして竜頭なり。また、なまずの主、うなぎの主等の棲む淵は常に濁るものなり、と。広畠氏その話を聞き、田辺より二里余なる富田川に名高き大鰻すむ淵を見るに、果たして常に濁れり、と。
当県東牟婁郡勝浦港は古来はなはだ淫奔の地なり。十年前、小生その郊外の地におりしに、人の妻たるもの売婬するをほとんど名誉としおる。亭主海外出稼ぎの空閨怨ある若き妻、売婬しながら町内の寄席で祭文かなんかを聞き帰り、「女の操」というは一体どんな棹だろうなど相尋ぬるをきくもおかしかりし。
小生、孫逸仙(※孫文)と約束あり、かの人の事成らば広州の羅浮山を天下の植物園とすることにかかることに候。何とか早くかの人位置少々でも堅まり次第、瑣末なる紛擾を放棄してかの国へ渡りたく存じおり候。
一字仏頂輪王の法は前方へどれほどきいたか、小生はこれがため非常にくたびれを感じ、身体疲労はなはだしく二、三日何ごともできず、ようやく今日より恢復いたし候。まことに人をのろわば穴二つなり。
『沙石集』一巻八章、熊野詣での女、先達に口説かれ愁えしに、下女、主の女に代わりて先達に密会したる条。さて、夜、寄り合いたりけるに、先達はやがて金になりぬ。熊野には死をば金になるといえり。
…那智から雲取を越えて請川に出て川湯という地に到ると、ホコの窟というて底のしれぬ深穴あり。ホコ島という大岩これを覆う。ここで那智のことを話せば、たちまち天気荒るるという。 https://www.minakatella.net/letters/daru1.html
那智山は御蔭をもって伐採は止み(牧野富太郎氏も大磯別荘に徳川頼倫侯を訪われ、このことを議しくれ候)、それより大騒擾となり、津田長四郎と申す張本人、伐採を禁ぜられた上は訴訟入費の取り返しようなしとて夫須美神社(すなわち那智神社)を差し押さえんとせしより事起こり、当地より検事出張、…
神社合祀大不服の高田村に高田権の頭、檜杖の冠者などいう旧家あり。そのいずれか知らず、年に一度河童多く川を上り来たり、この家に知らすとて石をなげこむ由なり。熊野では、夏は川におり河太郎、冬は山に入りカシャンボとなるという。カシャンボはコダマのことをいうと見えたり。
本邦にも、上杉景勝、女色を好まず、直江兼続、京都にて十六歳の美妓を購い、小姓に作り立てて景勝に薦め、一会して妊む。しかるに、景勝その女なりしを知り、まことの男ならねば詮なしとてこれを却(しりぞ)く。女これを悲しみ、定勝を生んで、すなわち自殺せりという(『奥羽永慶軍記』巻三九)。
貴状に直江は謙信に寵せられたごとく見ゆるも、直江は景勝に寵幸されたるに候。謙信存生のころは小児たりしことと存じ候。『藩翰譜』の上杉譜など見れば明らかに知れ申し候。謙信の寵愛で大用されたるは、たしか岩井某(丹波守?)と申し候。これも勇将なりしが、後に敗死せしと記憶致し候。
貴書によって、直江兼続の謙信に愛されしと書きたるを初めて知り及び候。これは大誤りにて直江はもと柴かりの子なり。それを景勝が見出し、鍾愛(しょうあい)して三十万石まで与えしなり(当時陪臣にして無類の大禄なり)。謙信の世を去ること遠からずして書きしものに謙信が直江を用いしこと見えず。
しかし『松隣夜話』によると、謙信、千葉采女の娘伊勢という無双の美人と心易くなりしを柿崎和泉守引き分かち、伊勢は十七歳で尼となり十九で死す。その恨みで謙信、柿崎を誅したのだ。
謙信は一生素食して女に近づくことなかったと『藩翰譜』に見ゆ。『甲陽軍鑑』、『松隣夜話』等に、この人の寵童の記載あれば男色は制せなんだらしい。
謙信の跡を継いだ景勝も英雄で、大槻磐渓(おおつき ばんけい)は当時第一の猛将と称した。この人も女嫌いで後嗣生ぜざるを家老直江兼続が心配して、大谷家の浪人の娘を美童に扮し進むると、景勝大いに寵愛して一会して孕んだとはいかな猛将も慌てたものだ。またもっていわゆる女嫌いの宛にならぬを察すべし。
その末に鳴谷の滝あり。那智一ノ滝より米粒三つだけ短しという長き滝一条なり。直下して深潭に入る。絶崖上に檜樹一本あるに倚りて下をのぞめば、滝始めて見ゆるなり。甚だ危殆なり。予右脚悪くては甚だこまる。 https://www.minakatella.net/diary/19081114.html
昨年十二月朔、予西牟婁郡と東牟婁郡の間なる拾い子谷を急ぎ過るとて路傍の僵木に躓き、足大いに痛み、暫時立ち止まりしが、後進の輩、同じ難に遭わんことを哀しみ、これを除きやるもまた陰徳の一事と存じ、ずいぶん重かりし木を道より遠ざくるうち、その木に丁子様の植物… https://www.minakatella.net/letters/hanakikoke.html
以上ざっと述べた通り男女と称する内にも種々ある。身体の構造全く男とも女とも判らぬ人が稀にありて、選挙や徴兵検査の節少なからず役人を手古摺らせる。男精や月経を最上の識別標と主張する学者もあるが、ヴィルヒョウ等が逢うたごとき一身にこの両物を兼ね具えた例もあって、正真正銘の半男女たり。
その他は、あるいは男分女分より多く、あるいは男分女分より少なきに随って、男性半男女、女性半男女と判つ。こは体質上の談だが、あるいは体質と伴い、あるいは体質と離れて、また精神上の男女もある。
ツールド説に、男性半男女に男を好む者多いが、 女性半男女で女を好む者はそれより少ない。好んで男女どちらをも歓迎する半男女は希有だ、と。
仏説に男女根の優劣論ありていわく、この二根中、男根最上女根下たり。何をもってのゆえぞ。男子罪多き者、男根を失えば変じて女根となる。女人もし功徳多ければ変じて男子となる。かくのごとき二根多罪のゆえをもって失い、多功徳のゆえをもって男子となる、と。これは耶蘇旧教と等しく仏教…





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