1908年11月24日:南方熊楠日記(現代語訳)

1908年11月24日

◇11月24日[火] 晴

請川地方祭礼、学校生徒の運動会がある。朝、野田氏が請川の仲喜一郎方へ行き、前日八丁にて取った藻が石に付いているのを預けてあったのを取ってくる。午後、川下へ野田氏がチュラメアのようなヒジキ体の藻を取りに行く。少々持ち帰る。

 

る。「ユミドリ」(レプトスリクス?)もとる。乾して火で にるといふ。野田子の為にとるに、湯甚熱く中々骨折れ る。ユノミネシダ(オンセンシダともいふ)とる。帰れば 夕也。宿の湯室のポンプ損じ湯到らず、夕及夜、川端の 湯窪に入る。

 

 

◇十一月二十五日 [水]朝陰、午後より夜雨 夕川側の浴場にて田辺丸山老母(さしもの屋、田村親戚也。 婿昨年卒死、娘と婿の弟子とにてくらす)の姉七十余才なる にある。四十年斗り前此地へ嫁し来りしとなり。 夜臥内源氏物語忍草読む。 ◇十一月二十六日 [木] 晴、夜風雨 [発信] 松枝、常楠各状一 しばしば 朝おきるに脚痛甚平快、それより屢入湯、夜に及、益 快し。夕宿の上の河を徒歩して渡り、川中の岩生地衣 少々とる。 此夜、前日栗栖川より野中迄荷持せし助といふ男田辺 屋へとまる。魚売りに来り、両脚痛也。 ◇十一月二十七日[金] 晴寒 朝八時半頃宿主富蔵陸路田辺へ之。子は湯峯へ之んと弁 当拵しが果さず。午後船にて川向へ渡り菌少々とる。 夜臥内源氏物語忍草を読む。 ◇十一月二十八日 [土] 晴暖 [発信] 松枝状一 午下宿を出、湯峯に遊、熱泉及泉流下の河中の藻数種と ますます あた [成石平四郎] わずか

◇十一月二十九日[日] 快晴 午後野田氏藻類ファルマリン浸標本を荷作りし、木箱一 にうめこむ。子は田代迄歩す。それより帰り、河べりに 入湯、東威樹氏檜葉より来り入湯するにある。夜川べり に入湯、千葉六之助といふ五才の肥大なる児を見る。 甚 おとなし。横にもずおきあり。父は乗り也。 先日萩の 中上にだまされ鴨緑江え働きに之、大困究。家より旅費 送り に帰ると。 此夜、予おそく迄荷拵え、野田氏先臥す。 ◇十一月三十日[月] 晴 早朝荷持を約束せる市蔵来り、親族のもの死たるにより 明日荷持べしといふ。因て馬吉と荷作り、明朝右人に渡 すべしと宿婦に頼む。久く宿り居し阿波の山かせぎ男、 十一円ほど借金の処、三越より人迎に来り、四円払ひ午 下去る。 みこし 午後三時頃宿の婦に五十銭やり(先立、下女及枠八に各


メモ

廂髪は明治35年頃から大正の初めにかけて流行した女性の髪型。

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1908年の日記は『南方熊楠日記 (3)』八坂書房 に所収

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