1908年11月23日:南方熊楠日記(現代語訳)

1908年11月23日

◇11月23日[月] 晴 寒風が強い

朝、栗山氏を辞し、村後の小丘を越え、大居へ回らずに、本宮に行く。祭日につき、神官らしき人が奔走している。玉置屋という茶店にて餡餅を食いに行くと、□□という所に新平民が住む。ここにて須川隆吉の息子ミノルが来る。予は気づかず、馬吉が話をする(馬吉方に下宿したことがあるのだ)。後で聞くと、徴兵に当たり25日に出立とのこと。請川から川湯の田辺屋へ帰ると4時頃である。

夜、鳴石四郎氏(※成石平四郎)が来てちょっと話す。予が田辺で1度会ったことがある。


メモ

新嘗祭(にいなめさい)の日。秋の収穫を祝い、感謝するお祭り。

熊楠が熊野本宮大社にお参りしたのはこの日1度きりだと思われる。萩から伏拝王子(あるいは三軒茶屋跡か)を経て熊野古道・中辺路を通って本宮へ。

明治時代になって満20歳以上の男子は兵役の義務を負ったが、戸主や長男、役人の子などは兵役を免除されたので、若者の多くは分家や養子縁組などで徴兵逃れを行なった。次男である熊楠は明治19年に19歳で海外に留学し、徴兵を逃れた。明治22年の徴兵令の改正で免役規定が撤廃されて、一般の若者は徴兵逃れができなくなった。

鳴石四郎は成石平四郎の誤記。成石平四郎は、国家権力によるでっち上げ事件「大逆事件」で処刑された12人の1人。請川村の人。享年30歳。処刑された12人のうち2人が熊野人であった。

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1908年の日記は『南方熊楠日記 (3)』八坂書房 に所収

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