1904年7月3日
◇七月三日 晴
朝、病院の車夫に頼み、柳屋(※湯川の宿屋※)へ荷物を送る。本日は日曜であるが、病院は大はやり。藤野川の70過ぎの老人が2間(※約3.6m※)ほどの田の崖から落ち、大負傷、戸板に乗せて来る。
今夕は午後2時から、村の小学校の校長が郡の視学に昇進したので、村人らは送別会をし、寺や松月・島田・岩久など(※の料理屋?※)が大はやり。60人余が集まり、和田竜一氏らが監事である。その和田氏がちょっと病院へ来たので、ビールを飲ます。松月にて夜、宴会のさなか、巡査の福田が村役場の田原の指にかみつく。
夜は千代田屋(※天満の宿屋※)に泊まる。今夜はあまり暑くない。
メモ
視学(しがく)は、教育の運営状況の視察をし、指導にあたる官職。
1904年の日記は『南方熊楠日記〈2〉』に所収