山の神に就いて(口語訳)


南方熊楠の随筆(口語訳)

  • 紀州俗伝
  • 山の神に就いて
  • 山神オコゼ魚を好むと云う事
  • ひだる神
  • 河童に就いて
  • 熊野の天狗談に就いて
  • 紀州の民間療法
  • 本邦に於ける動物崇拝
  • 山の神に就いて(口語訳)

     

    猿
    People feed me because I'm cute. / Max Braun

     人類学雑誌12巻3号88頁に佐々木繁君がオコゼ魚の話を述べた中に、山神海神と互いに持ち物の類を誇り語るとき、山神が自分所有の植物を数えて「勿ちにセンダン、ヤマンガ」と数えて海神のひるむ様子を見て得意だったが、海神が突然オクゼと呼んだことにより山神が負けたとある。

    これは299語191頁に予が書いた熊野の安堵峰の辺りで伝える、山祭りの日に山神が自ら司る山の樹木を数えるのに、できるだけ木を多いように数えようとして毎品異名を重ね唱え、『赤木にサルタに猿スベリ(ヒメシャラのこと)』、『ベッコウ、コウノキ、コウサカキ(シキミのこと)』などよ読む。この日、人が山に入ればその内に読み込まれるとして恐れて過ごすとあったのと同じ源から出たらしい。木の内に読み込まれればたちまち死んで木となるということだろう。

    本邦に昔、草合わせの遊びがあったことは『古今要覧稿』などに見え、我らの幼ないとき、熊野の串本辺りの子供もこれをした。すなわち支那でいう闘草だ。『劉賓客嘉話録』に「晋謝霊運髭美(略)今遂無」とある。『古今著聞集』に宮中の菖蒲合わせなどを記しているのを併せて考えるに、和漢とも草合わせという小さな遊びが共進会となり、ついに音楽遊宴を交えるようになったのだ。

    佐々木君のいわゆるヤマンガは山桑でという山□黄科の木で、熊野では初夏白い花が咲き秋に実が紅熟して食うことができるものであろう。「勿ちにセンダン」の「勿ち」はもしかしたらオウチの誤植か。やはりそうであるならばオウチ、センダンはひとつの物の異名なので、山神所有の1木を異称をもって重ね呼ぶことは、安堵峰辺りで赤木にサルタ云々と重ね呼ぶというのと同じであろう。

    さて予が安堵峰辺りの伝説を本誌に寄せた後、かの山より遠くはない日高郡龍神村の人々より聞いたのは、山祭りの日(陰暦11月初めの申の日)猿が木を数えるといって人々が恐れて山に入らないと。したがって考えると、かの辺りではもと猿を山神としたので、さてこそその顔の色とその名に因んで「赤木にサルタにサルスベリ」とヒメシャラの1本を3様に言い重ねると伝えたのだろう。

    また山神が女身ではなはだ男子が樹陰で自瀆するのを好むと伝えるのも、昔、山の中の猿の多い地ではメスザルが不浄期になって慾火熾盛であるのを見て言い出したことか。予は壮歳のときサーカスに従ったが、しばしば黒人などがメスの成熟した猿に種々鄙猥なことをして見せると、あるいは喜んで注視し、あるいは妬んで騒擾するのを見た。類推するに、昔、メスザルに自瀆するところを見せ喜ばせたことも山民の中で行われたものか。『神異経』に豸周という大猿はよく木に縁り、メスだけでオスはなく、要路に群居して男子を捕らえこれと合して孕むなどあるのも類似の話だ。

    猿の経立はよく人に似て女色を好み、里の婦人を盗み去ることが多いと佐々木君の話した柳田氏の『遠野物語』36頁に見え、猿ことにゴリラは一度自瀆を知ると毎度これを繰り返し行い、遂に衰弱死するのを予は幾度も見た。Dechamber, diction-naire Encyclopedique des Scieniruces Medicales,' 2me Serie, tom, XIV. p. 363, 1886 にも犬や熊もするが猿類がことに自瀆する例が多いと記す。

     それから299号192頁以下に予が全文を出した山神絵詞、一昨春、米国のスウィングル氏が来訪された際にその絵を見て殊の外望まれた。困って書工に写させ、予がその詞を手筆して贈ると、非常に珍重し大枚25円ほど投じて金泥銀分で美装させ持ち帰ったと、白井博士から手紙があった。この絵では山神は狼としてあり、今でも熊野で狼の名をいわずに山の神と呼ぶ村がある(例えば西牟婁郡温川)。

    猟師に聞いたのは、鹿笛は銭を2つ重ねて子供が吹いて遊ぶ笛に似て、婦女の櫛を盗んで作り、盗まれた婦女が探し求めれば求めるほど、効果が著しい。2、3声シューシューと吹いて止める。それより多くは吹かない。吹き様は種々あって上手になるのは難しい。これを吹いて第一に来るのは狼で、狼が来れば直ちに吹く人の頭上を2、3度飛ぶ。そのとき他の諸獣ことごとく近所に来ていると知ると。

    その他種々聞いたことどもから推測すると、紀州の山神に猿と狼とがあり、猿神は森林、狼神は狩猟を司ると信じたらしく、オコゼ魚を好むのは狼身の山神、自瀆を見るのを好むのは猿身の山神に限るらしい。

     末筆ながら述べるのは人類学雑誌32巻の2号59頁を子細を知らない人々が読むと、本邦吉野の柘の仙女や歌に詠まれた山姫や、女形の山神、山婆山女郎などがギリシア古伝のニンフに相当するとは佐々木君が言い出されたように合点する向きもあるが、右の説はもと同誌299号192頁に予が明記しておいたので決して佐々木君の創見ではない。


    「山の神に就いて」は『南方随筆』(沖積舎) に所収。




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    @mikumano