1904年7月1日
◇七月一日 快晴
朝、秀吉が来る。担い籠を取りにやり、秀吉が高芝へ行くついでに湯川の宿屋「柳屋」へ荷物を送らせた。この日の朝は飯を食い過ぎたため、明くる日の午後まで食事をせず、卵2つ、夏ミカン1つとビールを病院で飲み続け、夜は病院に泊まる。高津氏が来て元野氏と2時まで飲む。
この日の元野氏長男の卓哉(ゴトビキ小僧、3才)の麦酒の飲みっぷりは見事だった。
メモ
熊楠は大のビール党。
ビールにまつわる歴史人物伝 南方熊楠:キリンホールディングス
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1904年の日記は『南方熊楠日記〈2〉』に所収