1902年4月17日
◇四月十七日 晴
並木氏が今日来るはずのところ、朝、断りに来る。昨日、中村氏方に不孝があったとのこと(並木氏は中村氏と再従兄弟である)。
朝、店の人と常太郎が和歌祭に行く。午後、予は城内と下鷹匠町(ここの田間にペジザ紅くて茂るものを多くとる)、岡山を歩き、また城内を歩いて帰る。繁助が夜に入っても帰らない。夜、和歌山にて昨年より集め画し菌類調査(90迄)、不足79, 84, 85, 90. 岡山でクジラグサを得る。大学目録には信州1ヶ所のみを記している。
12時過ぎに元市場より失火、予は趣く。1時前に鎮火、3軒ばかり焼ける。
メモ
1902年の日記は『南方熊楠日記〈2〉』に所収