1902年4月3日
◇四月三日 快晴
土宜師へ手紙を1通出す。
午後、中村氏に行くが、中村氏は不在、弟子にみてもらう。それから岡町村畑中から岡山に遊ぶ。Geoglossum と苔1種、地衣、蘚、菌を若干とる。
菌1種、地衣2種、苔1種、蘚1種。
帰国より2209種。
夜、鷺森東ノ丁の郵便局郵便物運搬夫増井政之助の妻よしゑ(39)が、娘とめ(12)とその年生まれの小児を連れ、堂前丁の上野森之進方へ入浴に行き、娘が他人の財布を拾ったことから事は起こり、西行会町1丁目の藤原伊蔵(28)に東布経町1丁目にて、会陰部左側に4cm、深さは直腸に達し、2ヶ月の治療を要し、回復不能の見込みのある傷を負わされる。
メモ
1902年の日記は『南方熊楠日記〈2〉』に所収