1902年3月16日
◇三月十六日 快晴
午後まで臥す。2時頃、京都より土宜師の手紙と佐伯権大僧正の手紙を持って高藤秀本師が来訪、しばらく話をし、共に城に行き、同氏は天守に登り、予は靴が堅いので脱ぐのを面倒がり、わずかに下のはざまを見る。それから壕を望める小屋に腰かけて談じ、藤源まで送り、門にて分かれ、予は中村好正方に行き、夜に入るまで歯の治療を受け、帰る。同所にて並木真津男氏に会う。ただし言わず。
メモ
1902年の日記は『南方熊楠日記〈2〉』に所収
◇三月十六日 快晴
午後まで臥す。2時頃、京都より土宜師の手紙と佐伯権大僧正の手紙を持って高藤秀本師が来訪、しばらく話をし、共に城に行き、同氏は天守に登り、予は靴が堅いので脱ぐのを面倒がり、わずかに下のはざまを見る。それから壕を望める小屋に腰かけて談じ、藤源まで送り、門にて分かれ、予は中村好正方に行き、夜に入るまで歯の治療を受け、帰る。同所にて並木真津男氏に会う。ただし言わず。
メモ
1902年の日記は『南方熊楠日記〈2〉』に所収
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