1 餓鬼穴、ホコジマ
ここに(『民族』1巻1号157頁)『和歌山県誌』から、ある書にいわく、云々、と引いたのは、菊岡沾涼の『本朝俗諺志』で、本文は、
紀伊国熊野に大雲取、小雲取という二つの大山がある。この辺に深い穴が数カ所あり、手頃な石をこの穴に投げ込むと鳴り響いて落ちていく。2、3町(1町は約109m)、行く間、石の転がる音が鳴りつづけているという限りのない穴である。
その穴に餓鬼穴というのがある。ある旅の僧がこの場所で急に飢餓感に襲われ、一歩も足を動かせないほどになった。ちょうどそのとき、里人がやってくるの に出会い、「この辺で食べ物を求められるところはありますか、ことのほか腹が減って疲れています」というと、里人は「途中の茶屋で何か食べなかったのですか」という。
「だんごを飽きるまで食べました」と僧はいう。「ならば道の傍らの穴を覗いただろう」と里人。「いかにも覗きました」と僧がいうと、「だからその穴を覗 くと必ず飢えを起こすのです。ここから7町ばかり行くと小さな寺があります。油断したら餓死してしまいます。木の葉を口に含んで行きなさい」と里人。
教えのようにして、かろうじてその寺へ辿り着き、命が助かった、という。
とある。
予は明治三十四年冬より2年半ばかり那智山麓におり、雲取をも歩いたが、いわゆるガキに付かれたことがある。寒い日など行き倒れて急に脳貧血を起こすので、精神茫然として足が進まず、一度は仰向けに倒れたが、幸いにも背に負うた大きな植物採集 胴乱が枕となったので、岩で頭を砕くのを免れた。それより後は里人の教えに随い、必ず握り飯と香の物を携え、その萌しのある時は少し食べてその防ぎとした。
『俗諺志』に述べたような穴がただ今雲取にあるとは聞かないが、那智から雲取を越えて請川に出て川湯という地に到ると、ホコの窟といって底の知れない深穴がある。ホコ島という大岩がこれを覆う。ここで那智のことを話せば、たちまち天気が荒れるという。
亡友栗山弾次郎氏方より、元日ごとに握り飯をこの穴の口にひとつ供えて、周囲を3度歩むうちに必ず失せてしまう。石を落とすと限りなく音がして転がって行く。この穴は、下湯川とどこかの2つの遠い地へ通じている。昔の抜け道だろうと聞いた。栗山家は土地の豪族で、その祖弾正という人が天狗を切ったと伝える地を、予も通ったことがある。いろいろと伝説もあったろうが、先年死んだから尋ねようがない。この穴のことを『俗諺志』に餓鬼穴と言ったのではなかろうか。
また西牟婁郡安堵峰の辺りではメクラグモをガキと呼ぶ。いわゆるガキが付くというのに関係があるのかないのかは聞かなかった。