南方熊楠が理解した言語
南方熊楠(1867〜1941)は理解した言語は18ヶ国語とも22ヶ国語とも言われます。
ここまでで10ヶ国語。これらの他に
でしょうか。
中国語は漢文の読み書きを子供の頃からしてますし。
ユダヤ語・ペルシア語・トルコ語・ヒンディー語・チベット語は、土宜法竜宛て書簡に、
小生はたぶん今一両年語学(ユダヤ、ペルシア、トルコ、インド諸語、チベット等)にせいを入れ、当地にて日本人を除き他の各国人より醵金(※きょきん:ある目的のために金を出し合うこと※)し、パレスタインの耶蘇廟およびメッカのマホメット廟にまいり、それよりペルシアに入り、それよりインドに渡り、カシュミール辺にて大乗のことを探り、チベットに往くつもりに候。たぶん、かの地にて僧となると存じ候。回々教国にては回々教僧となり、インドにては梵教徒となるつもりに候。
とあるので(この夢は叶いませんでしたが)。
これで18ヶ国語。理解したといっても、読み書きができたということでしょう。
熊楠の語学力は伝説と化していますが、熊楠が滞在したことのある国はアメリカ、キューバ、イギリスなので、実際に喋れた外国語は英語とスペイン語くらいだったと思われます。