太平記

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    『太平記』は、南北朝時代の軍記物語。40巻。
    後醍醐天皇の即位から約50年間を描く。



    太平記

    南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳27)
    ご承知の通り紀州の田辺より志摩の鳥羽辺までを熊野と申し、『太平記』などを読んでもわかるように、日本国内でありながら熊野者といえば人間でないように申した僻地である。

    南方熊楠の手紙:"南方マンダラ",「不思議」について,その他(現代語訳9)
    この人の家は紀州で、国造(くにのみやつこ)を除いて第一の旧家で、脇屋刑部卿が伊予へ渡るときも、南朝の味方をして、兵船300艘を仕立てて送った、と『太平記』にもある。旧藩主も年頭に第一にこの人の祖先に挨拶して、その次には大老に挨拶ということであった。

    南方熊楠の随筆:田原藤太竜宮入りの話(その1)
    この話は予の知るところでは、『太平記』十五巻に出たのが最も古い完全な物らしい、馬琴ばきんの『昔語質屋庫むかしがたりしちやのくら』二に、ある書にいわくと冒頭して引いた文も多分それから抄出したと見える。その『太平記』の文は次のごとし。

    南方熊楠の随筆:田原藤太竜宮入りの話(その3)
    太平記』に三井の鐘破れたるを、小蛇来り尾で叩いて本に復したとあるは、竜宮から出た物ゆえ、竜が直しに来た意味か、または鐘の竜頭が神異を現じた意味だろう、名作の物が、真物同然不思議を働く例は、『酉陽雑俎』三に、〈僧一行異術あり、開元中かつて旱す、玄宗雨を祈らしむ、一行いわく、もし一器上竜状あるものを得れば、まさに雨を致すべし、上内庫中において遍ねくこれを視せしむ、皆類せずと言う、数日後、一古鏡の鼻の盤竜を指し、喜びて曰くこれ真竜あり、すなわち持ちて道場に入る、一夕にして雨ふる〉。

    南方熊楠の随筆:田原藤太竜宮入りの話(その5)
    太平記』に、竜神が秀郷に、太刀、巻絹、鎧、俵、鐘、五品を与えたとあれど(『塵添※(「土へん+蓋」、第3水準1-15-65)嚢抄じんてんあいのうしょう』十九には如意にょい、俵、絹、鎧、剣、鐘等とあり、鎧は阪東ばんどう小山おやま、剣は伊勢の赤堀に伝うと)、巌谷君が、『東洋口碑大全』に引いた『神社考』には、太刀のほかの四品、『和漢三才図会』には太刀、鎧、旗、幕、巻絹、鍋、俵、庖刀、鐘と心得童子こころえのどうじ、計九品と一人、太刀の名遅来矢ちくしづ。

    南方熊楠の随筆:田原藤太竜宮入りの話(その40)
    広江寺は叡山の末寺なれば衆徒この事をれ聞いてくだんの鐘主の法師をからめ日あらず湖に沈めたとある、誠に『太平記』の秀郷竜宮入りはこの粟津冠者の譚から出たのだ、

    南方熊楠の随筆:田原藤太竜宮入りの話(その42)
    これを以てかんがえると秀郷が蜈蚣を射て竜を助けた話も、話中の蜈蚣の眼が火のごとく光ったというも、『太平記』作者のはじめた思い付きでなく、少なくとも三百年ほど前だって行われたものと判る。


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