群書類従


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  • 群書類従(ぐんしょるいじゅう)

    江戸後期に編集された古文献の叢書。530巻
    編者は塙保己一
    江戸時代初期までに刊行された史書や文学作品、計1273種を収めている。
    日本史や国文学の重要な資料集。

    後に、子孫・門人により『続群書類従』1150巻、2103種の文献を収めた『続群書類従』が刊行された。
    明治時代には、市島謙吉により『続々群書類従』、水谷弓彦、幸田成行(こうだ しげゆき:幸田露伴)によって『新群書類従』が刊行された。



    群書類従

    南方熊楠の手紙:山男について、神社合祀反対運動の開始、その他(口語訳1
    『続々群書類従』第八、地理部に収めた『本朝地理志略』(「林羅山が朝鮮国信使由竹堂の求めに応じて、これを抄出する。時に寛永20年秋のこと」)の3頁に、
    「駿河国。阿部山中に物がいる。名づけて山男という。人でもなく獣でもない。形は巨木の断ったのに似て、四肢があって、これを手足とする。木皮に2つの穴があり、これを両目とする。甲の裂けたところを鼻口とする。左肢に曲木と藤をかけて、これを弓の弦とし、左肢に細枝をかけて、これを矢とする。

    あるとき、1人の猟師が出会って、これを射て倒す。大いに怪しんでこれを引くと、岩石に触れて血を流す。また、これを引くと、はなはだ重くて動かない。驚き走って家に帰り、大勢とともに行って尋ねたが、姿が見えず、ただ血が岩石に流れているのを見ただけであった」。

    南方熊楠の随筆:十二支考 田原藤太竜宮入りの話(その10)
    『続群書類従』に収めた「稲荷鎮座由来」には、荷田氏の祖は竜頭太とて、和銅年中より百年に及ぶまで稲荷山麓さんろくに住み、耕田採薪した山神で、面竜のごとく、顔光ありて夜を照らす事昼に似たり、弘法大師に約して長くこの地を守る、大師その顔を写して、当社の竈戸殿に安置すと見ゆ。

    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その8)
    『続々群書類従』一に収めた、『内宮氏経日次記』には「阿婆羅気あばらけや、島は七島と申せども、毛無からには八島なりエイヤ/\」に作る。これだけでは不安心だが、アバラケは亭を阿婆良也あばらやむごとく荒れすさんだ義で毛なしと近く、ほとんど相通ずる意味の詞であろう。かくて不毛をアバラケ、それよりカハラケとうつして呼ぶに及んだでなかろうか。『日次記』に右の歌宝徳三年頃すでにあったよう見えれば、愚考が万一あたると、不毛をかく唱うるは足利義政の世既にあった事となるはずだが、大分怪しいて。

    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その11)
    『続々群書類従』一に収めた、『内宮氏経日次記』には「阿婆羅気あばらけや、島は七島と申せども、毛無からには八島なりエイヤ/\」に作る。これだけでは不安心だが、アバラケは亭を阿婆良也あばらやむごとく荒れすさんだ義で毛なしと近く、ほとんど相通ずる意味の詞であろう。かくて不毛をアバラケ、それよりカハラケとうつして呼ぶに及んだでなかろうか。『日次記』に右の歌宝徳三年頃すでにあったよう見えれば、愚考が万一あたると、不毛をかく唱うるは足利義政の世既にあった事となるはずだが、大分怪しいて。

    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その21)
    古い小栗戯曲じょうるり(『新群書類従』五)に、判官「畜生にはかなわぬまでもせみょう(宣命か)含めると聞く、それがしがせみょうを含めんに心安かれ」とて、そのせみょうの詞を出し居る。多少そんな術がいたのだろう。






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