古社の滅却

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古社の滅却(原文)

 井上円了博士が南米から帰って出した物を見ると、チリとかアルゼンチンとかでは、墓地を五十年切りで貸し、その期が切れて地代を払い続け得ぬ一家の墓を、斟酌なく取り除いて、また他の家の墓地として貸し渡す、とあった。欧州にはいかな偉人も身死し論定まった後でなければ、伝記を載せぬ類典(エンサイクロペジア)さえある。すでに地方の由来古く、帝王将相が奉幣親詣した神社をすら、無用の基本財産や神主の俸給を即急に調うる能わざるを、維持に堪えずと称して、虱潰しに滅却し、古伝失せ気風廃るを顧みず、耕地が多くできたなどと、地方官の虚報を悦ぶ昨今の遣方だから、蜻蛉の脚などに遠慮は入らぬ。世論定まらぬものに図外れの墓や碑を建てる奴より、ムッシリ税を取り立てたらどうだ。

 ついでに言い置くは、わが邦に久しくあって英国に帰り、発起して日本学会を立てて、そのある年会に、先帝のために乾盃を挙げた有名の人から僕への来状に、貴国では神道を起こすと称して、古社を合祀する、合祀でなくて実は滅却だが、その本心は外交が鈍(のろ)うて追い追い食うに困るから、苦しい時の神困めで、合祀跡の地を有税地とし、表面神職の俸給を増し社の基本金を備えしめて、実は神主から所得税を引ったくり、売口の悪い公債証などと基本金を掏り替えてしまう魂胆だろう。それをひたすら神道興隆などと悦んで、手先に使われおる神職輩は、自滅の迫れるを覚らぬ鍋中の蝦(えび)だ。そんな輩(もの)が人民を教化も虫がよい。

さて、ついでだから貴国の大臣輩に便(つて)があったら述べられよ、十四世紀のエジプト王ナーシルは、財政を救わんとて、女官をして毎(つね)に高位の婦人とその娘たちで不貞の素行(おこない)ある者を検せしめ、これに重税を課した。何じゃ半開国を模範に取り難いと言うか。実は文華で誇る欧州でも、仏国に十四世紀中、ロア・デ・リポーとて、日本中古の傀儡の長吏ごとき親方が所々にあって、本夫(おっと)以外の男と親しむ婦人(おんな)より金(こがね)五片(いつきれ)ずつ税を取り立てた。御国語(おくにことば)で神をも妻女をも、国音相通で「かみさん」だ。

神社は潰してしまうて、樹を伐ったところが何にもならぬが、数年前大博士シャラーの『若き日本』に、「勇武、忠義、敏捷、精通、自抑はまことに日本人の美質で、ずいぶん感心だが、ここに日本人の肺肝に深く食い込んで到底抜け難い大悪質が二つある。不正直と不浄心だ。一つあってさえいかなる大国民をも亡ぼすに足るものを、二つまで兼備しおる」と言っておる。神教を起こすなど称し、宛てにならぬ基本金の多寡を標準として、かりそめにも皇祖皇宗から一国一地方に功績ある神霊の古社を滅却せしむる輩の不正直、不浄心は見え透きおる。その輩の夫人(かみさん)は、毎月五片くらい取り立てたって何とも思わず、これも国庫の収入を増す御奉公など言うて不浄行を続けるだろうから、いっそ姦通税を起こしたらどうだ、とあって文末に、

千早振る髪を斬られて野も山も間男鬟(わげ)に結直(ゆひなほ)しかな

とは、この人文久頃から明治十二年ころまで本邦におり、古いことばかり言うから、吾輩には何のことか分からぬが、とにかく豪(えら)い気焔だ。故パークス公使と親しかったので、その伝を出し、また牛津印刷寮(オックスフォードプレス)から、わが古学に関する大著述を出し、拙者その校正を頼まれ、成功の上、本人が故小村候を経て、先帝へ一本献った。真実(まこと)にわが国の信友たるこの類の人から、近ごろかかる苦言を毎度聞くは遺憾千万に存ずる。

(大正二年八月十四日『日刊不二』)


「古社の滅却」は『南方熊楠全集6』所収。

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