情事を好く植物(現代語訳3)

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情事を好く植物(現代語訳)

  • 1 健陽剤
  • 2 大山神社
  • 3 寄生植物の膨張力

  • 寄生植物の膨張力

     

     こんな世迷い言はいい加減にやめて、富士艦の士官連に話した軍備上の参考となるべきことは多かったが、それを公けにして外国人に聞かすと日本の大損となるかもしれないから多くは言わないとして、南方先生が一物を見るごとに一考ある神才のほどを和歌山県知事などに例示するため、ただ2つだけ公けにしてやろう。詳しく言ったってとても無駄だから、ほんのざっとだ。

    1つはアフリカの鯪鯉(※りょうり:センザンコウ※)という獣が、後脚と尾と腹の鱗とをうまく使って高い木へ上るが、どんなにしても外れ落ちないことだ。これを模範として、指揮官が手放しで自在に艦橋へ上ることを考案したらどうだ、と言った。

    もう1つは、すなわち本篇「情事を好く植物」の俗信から考え付いたことで、アラビアの諺に、汚い根性の奴はいかほど奇麗な物を見るも汚く思うというが、『維摩詰経』には、どんな汚い物も清き心で見れば麗しく見えるとして、同じ水を餓鬼は火と見るが、人は水と見、天人は瑠璃と見る、と言っている。だから、いわゆる情事を好く植物などを根性の汚れた奴が見ていくら考えたって長命丸の製法ぐらいが関の山だが、熊楠が考えるとそうでない。

     一体、なぜ肉蓯蓉、鎖陽、「きまら」等の植物が、馬の遺精から生えるとか健陽剤になるとか虚称されるかと問うと、形が男根に似ているのと、一夜にたちまち無から有を生ずるごとく膨脹勃興する力が驚くべきからだ。

    予はこれら植物と同じく寄生植物である菌(きのこ)類の発生を毎度調べるが、その膨脹力は実に嘘のようなものがあって、1貫2貫の大石を数尺跳ね転がすことさえ例が少なくない。肉蓯蓉等については実物が少ないので調べないが、これらの顕花植物も、菌(きのこ)よりはよはど高等な物であるが、生態が堕落して菌と同じく他の植物の根に寄生する。

    寄生植物は自活植物と違い他人の懐中を宛込んで生きるものなので、永く世に存することができない。故に、景気の向いて来たおり一時に花を咲かせ胤(たね)を残して、自分はたちまち枯れ失せる覚悟がなければならない。博徒や盗賊が儲けた時散財してしまうようなものだ。今まで何にもなかった馬糞は明旦(あすあさ)見るとたちまち多くの菌が群生し、さて昼になると影も留めぬを、『荘子』に朝菌(ちょうきん)晦朔(かいさく)を知らずと言って、いわゆる一日果てだ。そんな菌は多くは鎖陽等と同じく男陽形をなしている。

     田辺辺で「きつねのちんぼ」と呼ぶ菌がある。西洋でも学名チノファルスすなわち犬の陽物という。田辺より6、7町隔てている神子浜(みこのはま)という村の少女で、実際に予の方に奉公する者が「この菌は蛇の卵より生ず」と言う。実に胡論(うろん)なことだと学校教師などは笑う。熊楠はちょっとも笑わず、しきりに感心する。

    なぜかというと、秋日砂地を掘ると蛇卵と間違える白い卵形の物がある。それを解剖するとチノファルスの芽だと分かる。それが久しく砂中にあるところへ雨が降ると、蛟竜 豈(あに)久しく地中の物ならんや、たちまち怒長して赤き長き茎が建び立ち、頭に臭極まる粘液潤う。それを近処の蠅が群れ至って食うと同時に、胞子(たね)が蠅の頭に着き、蠅が他所に飛び行き落として菌糸を生じ、次に蛇卵ごとき芽を生じ、雨を得てもまた怒長する。その他の菌類や寄生顕花植物もほぼ同様な発生をなすのだ。

    男根の時々膨縮して定まらないのは誰も知る通りだが、解剖すると中に海綿体という物が充ちている。女子の大陰唇またほぼ同様で、その伸び縮みによって、あるいは膨れあるいは縮む。これらはその心得さえあれば自分で実験し得るものだが、広く他人の物と比較研究という訳に行かない。しかしながら、幸い菌や寄生顕花植物中には内部の構造が人身秘部の海綿体にほぼ同様な物が多い。

    その海綿体中に気体また液体を詰め込み蓄え置いたのが、湿温宜しきを得てたちまち膨脹すると同時に、植物がたちまち怒長発生する。これを熟(とく)と精査して甘(うま)くこれに似た機関を作ったら、空気また水気ばかり使って重い物を持ち上げ、または跳ね飛ばし、狭い穴を広げる大有要の設備ができるだろう、と南方先生がこう説き、士官一同が感心したことであった。

     昨今上下虚偽俗をなし、ただ言辞を謹むのを盛徳と心得るあまり、「きつねのちんぼ」などと言えば、その菌その物に何か大敗徳の要素が満ちているかのように心得、一顧の価値なき物と揖斥してしまうが、万年青(おもと)や蘭の鉢栽を一年眺めたって心懸けのない者には何の所益なく、もし何か一功を立てて自他を救済しようと万物に注意深い人が見れば、いわゆる情事を好く植物ほど詰まらぬ物も新しき機巧を考案する大材料となることは、この件の通りである。

    熊楠こんなことを口にするばかりでない。いろいろ考え付いた機巧はすこぶる多いが、今日の日本では善いことを教えてやって、かえって功を盗まれ、おまけに身を苦しめられる経験が、自分だけでもすでに多いから、当分何にも岩躑躅(いわつつじ)が安全だ。桓温は、天下の英雄王景略を眼前にひかえておりながら、その虱をひねりつぶすのを見て、英雄であることを知らず、空しく関中の英雄を問うた。舎衛(しゃえ)の三億衆は仏がある日に生まれて仏を知らなかった。返す返すも熊楠を狂人扱いにする地方俗吏こそ奇怪である。

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    「情事を好く植物」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収。