情事を好く植物(現代語訳2)

情事を好く植物(現代語訳)

  • 1 健陽剤
  • 2 大山神社
  • 3 寄生植物の膨張力

  • 大山神社

     

     前に述べた肉蓯蓉(にくしょうよう)、鎖陽、「きむらたけ」等を健陽剤とするのは、いわゆる同感薬法で、精神作用上これを信ずる者には多少利くこともあろうし、今日は学識が進み、少しもそんなことを信じない人には何の効もないことであるが、ここで一考を要するのは、これらの植物が多種の帽菌(かさたけ)類と同じように人の陽の形を具えている一件だ。

     このことについて、過ぐる明治29年春、予はしばしば当時ロンドン付近のチルベリードックにあった富士艦の士官室へ招かれ、士官の心得になるべき講釈をなし、今の海軍大臣斎藤実君なども当時中佐で謹聴された。その時たしか只今海軍中将である坂本一君や野間口兼雄君に語ったと思う。

    軍人は武勇兵略を第一とすることだが、英国などには武人に科学の大家が多い。これは、その人が科学に嗜好深く、飲酒、玉突などの無駄なことにわずかでも費やす暇があれば、それを科学の研究に転じ用いるからだ。

    さてダーウィンが多年猿回しに執心した者の説を聞いて記したのは、一概に猿と呼ぶものの、舞が上手になる奴とならない奴は稽古始めの日からわかる。最初人が舞って見せる手先に注意して目を付ける猿は必ず物になるが、精神散乱して人の手先に気を付けない者は幾月教えても成功せぬ、とある。

    人間もその通りで、どんな詰まらぬ事物にでも注意をする人は必ず何か考え付き、万巻の書を読み万里の旅をしても何一つ注意深くない人はいたずらに銭と暇を費やすばかりだ。これを活きた製糞機というのだと言って、艦長三浦大佐から、野間口(当時の)大尉や、後年旅順の戦況を先帝(※明治天皇※)の御前で奏上した斎藤七五郎君(その時少尉)など、多くを大英博物館へ招き、いろいろかの人らが何でもないと思う物について、一々軍備上の参考となるべきことを話した。

     和歌山の県知事始め官吏などは、熊楠を狂人のごとき者と思っており、少しも熊楠に対して安心を与えず、いわば畜生扱いで、先年、代議士中村啓次郎氏その他県会議員等を介して、「熊楠の祖先が600年来奉祀して来た官知社すなわち中古国司奉幣の大山神社(おおやまのやしろ)は由緒が最も古い社であるのを、郡村の小吏らが不精で村役場に近い劣等の社に合祀を強制し、むりに合祀し請願書を書かせている。しかしながら前知事の川上親晴氏は熊楠の志を諒とし、請願書は受けているものの、このような古社を合併するのは残念であるとして合併されずに済んだ。よって何とぞ今の知事においてもそのまま保留にしてください」と頼んだ時、必ず保留させるようにするから安心せよ、と言われた。それなのに、わずか1、2年の間に地方の小吏や偽神主が意地づくに任せ、今度大山神社を合併させてしまった。

    貧すれば鈍するというが、熊楠なども国のため学問のため永らく田舎に引き籠っているから、和歌山知事など、そのむかし自分が欧州にあった日なら虫同様に見たはずの人物から、このような犬猫を欺くような仕向けを受ける。これをもって考えると、日本のごとき国では学術に身を捨てて不便を忍び田舎で深く研究を重ねる者を、熊楠の外にちっとも聞かないのももっともなことじゃ。

     それに引き替え米国のごときは人材を厚く重んじる。予が往年大飲酒してミシガン農科大学校長の前で陰茎を露にして寝たという、かの国で前例のない大不礼をやっている。その校長のウィリッツは後に農務次官となったから、むろん農務省の人々はこの椿事を伝聞しているはずだ。しかしながら、その植物興産局から前年もまた只今も種々辞を低くして予を招聘し、また腹蔵なく色々のことを問い求められる。

    予は米人が粗野で不作法なのが不快で、かの国へ妻子を伴って行くのを好まないから、毎度渡航を辞退しているが、ただ利益を考える当世風の本邦人や地方の出来事が道理に反することを嘆く者は、焼糞になってここだけに日が当たらないなどと言って、国家有要の材を持ちながら空しく外国のための仕事をする者が追々出て来るだろう。「漢恩はおのずから浅く胡恩は深し」と古人も言った。

     このように予に大不快を与え、予が学術上多少国家の名声に貢献し、また今もしつつある功に報いるのに仇をもってする和歌山県知事などに比べると、往年在英のころ交わった官吏諸君は実に厚徳で、士に下るの美風に富んでいた。それもそのはず、いずれも歴々の子弟で、このごろ地方に肩を怒らす河原乞食の悴どものような者は1人もなかった。

    前外務大臣内田康哉子爵などは、故陸奥伯爵は日本にいた日から予の名を聞いていたと言って、毎度予が無礼を仕向けるのを忍び、みずから馬小屋の2階に僑居する予を訪ねようとまで申し出られ、今日北京公使である山座円次郎氏も、予が大英博物館にすらなかった希有の蛙ヒロデス・クニアツスをキューバで獲って披露した時、小池張造氏と2人で来て喜んだ上、酒を多く飲ませてくれた。

    こんな汚いことは言いたくないが、民信なくば立たずというのに、いわゆる人民を治める職にある人が約束をたちまち破って平然とし、礼義廉恥を国の四綱とする大義を無視して顧みない輩と大違い、と述べておく。和歌山県知事よ、恥を知るのならば当然のこととして恥ずかしく思いなさい。

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    「情事を好く植物」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収。

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