神社合祀に関する意見(現代語訳7)

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神社合祀に関する意見(現代語訳)

  • 1 神社合祀令
  • 2 三重県における合祀の弊害
  • 3 神社合祀の強行
  • 4 熊野本宮の惨状
  • 5 新宮、那智
  • 6 熊野古道の惨状1
  • 7 熊野古道の惨状2
  • 8 神社合祀の悪結果1
  • 9 神社合祀の悪結果2
  • 10 神社合祀の悪結果3(前編)
  • 11 神社合祀の悪結果3(後編)
  • 12 神社合祀の悪結果4(前編)
  • 13 神社合祀の悪結果4(後編)
  • 14 神社合祀の悪結果5
  • 15 神社合祀の悪結果6(前編)
  • 16 神社合祀の悪結果6(後編)
  • 17 神社合祀の悪結果7(前編)
  • 18 神社合祀の悪結果7(後編)
  • 19 神社合祀の悪結果8(前編)
  • 20 神社合祀の悪結果8(後編)
  • 21 至極の秘密の儀法
  • 22 神社合祀中止を求む
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    熊野古道の惨状2

    高原熊野神社
    高原熊野神社 / み熊野ねっと

     次に熊野第二の宮と呼ばれる高原王子は、八百歳という老大樟がある。その木を削って神体とす。

    この木を伐らせ、コミッションを得ようとする役人ら、毎度合祀を勧めたが、その地に豪傑がいて、思うには、政府はまことに合祀を行なおうとするならば、兵卒また警吏を派遣して一切人民の苦情を払い去り、一挙して片端から気に入らぬ神社を潰すことができる。

    しかしながら、迂遠千万にも毎々旅費日当を費やし官公吏を派遣し、その人々が、あるいは脅迫し、あるいは甘言して請願書に調印を求めることは怪しい。結局、合祠の強行は政府の本意ではあるまい、小役人が私利のためにするところであろうと思って、5000円の基本金を一人で受け合う。

    そして、その金の催促に来るごとに、役人を近村の料理屋へ連れて行き乱酔させて、日程を尽きさせ、役人が慌てて去るということに毎度させた。そのうちに基本金が多くなくとも維持の見込み確かならば合祀に及ばないということになって、この社は残る。

     次の十丈(じゅうじょう)の王子は、役場からその辺の博徒二人に教えて、「汝らはこの社に因縁ある者と称して合祀を願い出よ、しかる時は報酬に神林の幾分を与えよう」とのことで、とうとうに合祀した。件の悪党は、自分にくれた物と思い、その樹林を伐採して売ったのを、盗伐と称して告訴し、二人は入獄、そのうちの一人は牢死した。

    官公吏が合祀を濫用して悪事を勧め、史蹟名勝を滅した例は、この他にも多く、これのため山地は土崩れ、岩墜ち、風水の難おびただしく、県庁も気がつき、今月たちまち樹林を開墾するのを禁ずるに及んだ。しかしながら合祀は依然行なわれているので、この禁令も何の功もないだろう。このような弊害は、紀州のみならず、埼玉、福島、岡山、鳥取諸県からも聞き及ぶ。

     合祀濫用のもっともはなはだしい一例は紀州西牟婁郡近野村で、この村には史書に明記される古帝皇奉幣の古社が6つある(近露王子野中王子比曽原王子中川王子、湯川王子、小広王子)。一村に至尊、ことにわが朝の英主と聞こえた後鳥羽院の御史蹟6つまで存するのは、恐悦に堪えないはずであるのに、二、三の村民、村吏ら、神林を伐って利益を得るために、不都合にも平田内務大臣がすでに地方官に注意を与えて、5000円を積まずとも維持確実ならば合祀に及ばないと発令したはるか後に、いずれも維持困難であると偽り、樹木も地価も皆無である禿山の頂へ、その地に何の由緒もない無格社金毘羅社というのを突然造立し、村中の神社大小12をことごとくこれに合祀し、合祀の日、神職が大勢の人とともに神体をもてあそんで、古道具のように、その評価をした。

    この神職は、もと荷持ち人足の成り上りで、一昨冬妻と口論し、妻が首をくくって死んだ者である。このようにして神林伐採の許可を得たが、その春日社趾には目通り周囲1丈8尺(※約5.4m※)以上の古老杉が三本ある。

     また野中王子社趾には、いわゆる一方杉といって、目通り周囲1丈3尺(※約3.9m※)以上の大老杉が八本ある。そのうち両社1本ずつある周囲2丈5尺(※約7.5m※)の杉は、白井博士の説によると、じつに本邦無類の巨樹とのことである。

    またこれら大木の周囲にはコバンモチというこの国希有の珍木の大樹がある。托生蘭(たくせいらん)、石松類(なんかくらんるい)などに珍しい物が多い。年代や大きさからいっても、珍種の分布上から見ても、本邦の誇りとすべきところであるうえ、古の上皇や将軍、宰相が熊野詣の度ごとに歎賞され、旧藩主も一代に一度は必ずその下を通って神徳を老樹の高いのになぞらえて仰がれたるのだ。

    おおよそ、このような老大樹の保存には周囲の状態をいささかも変えないことを要とすることであるので、どうにかして同林の保存を計ろうと、熊楠らが必死になって抗議し、史蹟保存会の白井、戸川〔残花〕の二氏はまた、2度まで県知事に告げ訴えた。知事はその意を諒とし、同林の伐採を止めようとしたが、属僚輩はこれでは県庁の威厳を損なってしまうとして、その一部分ことに一方杉に近い樹林を伐らさせた。過ちを改めざるを過ちと言うとあるのに、入らぬところに意地を立て、熊楠はともあれ、他の諸碩学の学問上の希望を受け入れられなかったのは遺憾である。

    かくのごとく合祀励行のために人民のなかから悪徒を輩出し、手付金を取りかわし、神林を伐りあるき、さしも木の国と呼ばれた紀伊の国に樹木著しく少なくなりゆき、濫伐のあまり、大水風害が年々日常のこととなり、人民の多くは純朴の風を失い、少数の人の懐が肥えるほどに村落は日に日に凋落して行くのが無残である。

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    「神社合祀に関する意見」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収

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