神社合祀に関する意見(現代語訳14)

 ※本ページは広告による収益を得ています。

神社合祀に関する意見(現代語訳)

  • 1 神社合祀令
  • 2 三重県における合祀の弊害
  • 3 神社合祀の強行
  • 4 熊野本宮の惨状
  • 5 新宮、那智
  • 6 熊野古道の惨状1
  • 7 熊野古道の惨状2
  • 8 神社合祀の悪結果1
  • 9 神社合祀の悪結果2
  • 10 神社合祀の悪結果3(前編)
  • 11 神社合祀の悪結果3(後編)
  • 12 神社合祀の悪結果4(前編)
  • 13 神社合祀の悪結果4(後編)
  • 14 神社合祀の悪結果5
  • 15 神社合祀の悪結果6(前編)
  • 16 神社合祀の悪結果6(後編)
  • 17 神社合祀の悪結果7(前編)
  • 18 神社合祀の悪結果7(後編)
  • 19 神社合祀の悪結果8(前編)
  • 20 神社合祀の悪結果8(後編)
  • 21 至極の秘密の儀法
  • 22 神社合祀中止を求む
  • 原文はこちら


    神社合祀の悪結果 第5


     第五
     神社合祀は愛国心をおびただしく損ずる。


     愛郷心は愛国心の基である、とドイツの詩聖は言った。例を挙げると、紀州地方より海外に出稼ぐ者が多いが、つねに国元へ送金して、まずその一部分を自分の産土神に献じ、また出稼ぎ地方の方物異産を奉り、故郷を慕う意を表す。

    西牟婁郡朝来(あっそ)村は、従来由緒もっとも古き立派な社が三つあったが、例の5000円の基本金に恐れてことごとく伐林し、只今路傍に憩うことができる樹林は皆無となった。

    その諸神体を、わずかに残った最劣等の神社に抛り込み、全村無神のありさまで祭祀も三年来中止している。そのため、その村から他処へ奉公に出る若者らは、ときおり自村に帰っても面白味がないのでといって長い間、帰省しない。

    芳養村も由緒ある古社を一切合祀したため、長さ三里ほどの細長い谷中の小民は、何の楽しみもなく村外へ流浪して還らない者が多く、その地第一の豪農すら農稼に人を傭うのに方法がなく非常に困り、よって人気(にんき)直しに私的に諸社を神体なしに再興した。

    これらのことから合祀がいかに愛郷心を殺減するかを見ることができる。神職が無惨不義で、私慾のために諸神社を検挙し撲滅してから、愛国心などを説いても誰も傾聴しないのは、すでに上述した。

    例を挙げると、西牟婁郡高瀬という大字の神職は、かつて監守盗罪で処刑された者である。自分の社へ他の諸社を合祀せしめて、その復旧を防ごうと念を入れて自大字の成年男子を傭い、他大字の合祀趾の諸社殿を破壊させたが、到る処の他大字の壮漢に逆撃されて大敗し、それから大いに感情を悪くし、すでに復社した社が二、三ある。

    君子交り絶えて悪声を放たずと言うのに、自己の些細な給料を増そうとして、昨日まで奉祀して衣食の恩を受けていた神の社殿を、人を傭ってまでも滅却しようとする前科者の神職があるのも、太平の世の隠れた逸事か。

     また日高郡矢田村の大山神社は、郡中一、二を争う名社で、古え国司がこの郡で三社のみを官知社として奉幣したその一社である。

    その氏子の一人が、その社の直下に住む者が自分を神職として日勤する劣等の社が村役場に近いのを村社と指定し、村民が他の諸社を大山神社へ合祀しようとして作った願書を変更して、大山神社を件(くだん)の劣等の社へ合祀しようと請うように作り、合祀を強行させようとしたが、熊楠は祖先が400年来この社を奉祀してきて、かつ徳川吉宗公以降幕府による毎々の修補があり、旧藩侯からも社家十人までも置かれた大社であって、只今の社殿、廻廊等、善を尽くした建築はことごとく自分一族の寄進に係る由緒があることを理由に抗議を申し込み、県知事はその意見をもっともであると認めた。

    すでに年4、50円の入費で存置を認可しているが、郡村の小吏らは今だ明治39年の勅命のみを振りまわし、その後の訓示、内達等を一切知らない振りをして、基本金を責め道具として合祀を迫ることが止まない。

    このような不埒の神職が少々の俸給を増して得ようとして、祖先来400年以上奉崇して来た古社を滅却しようとする心をもって愛国心などを説いたとして、誰がこれを信じるだろうか。こんな小人は日和次第でたちまち敵軍のために自国をも売るだろう。

    要するに人民の愛国心をはなはだしく滅却するのは、我利一偏の神職、官公吏の合祀の遣り方である。今も日高郡などは、一村に指定神社の外の社を存置しようとすると、その大字民はその大字の社の社費と、それからまた別に指定神社すなわち大字外の社の社費を、二重に負担せざるをえない。これが39年の勅令の定めたところであるとして人民を苦しめ、そのために大字限り保存することができる名社を、止むを得ず合併させるのである。大山神社ごときは、県知事がすでにその独立を許可されたが、郡吏はこの二重負担の恐ろしさを説いて、今にも合併しようとつとめている。

    back next


    「神社合祀に関する意見」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収

    Copyright © Mikumano Net. All Rights Reserved.