馬に関する民俗と伝説(その65)

馬に関する民俗と伝説インデックス

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     さて北アジアの諸民族に尊ばるるシャーマンは、やや奥州の馬形の巫神オシラサマに似た馬頭杖を用いて法を行い、霊馬に乗って冥界に馳せ往き、神託を聴き返ると信ぜられ、わが邦にも巫道に馬像を用いたらしく、『烏鷺合戦物語』に「寄人は今ぞ寄せ来る長浜や、葦毛の駒に手綱ゆりかけ」てふ歌あり、支那人も本邦の禅林でも紙馬を焼き、インドのビル人は山頂の石塚に馬の小土偶を献ずれば、死者の霊その像の後の小孔より入りて楽土にけ往き馬を土地神に与え、その軍馬を増すと信ず。これらいずれも以前馬を殺して死人に殉葬したり、神に牲供した遺風だ。

     専ら野馬を猟りて食った時代はさしおき、耕稼乗駕馬を労する事多き人が、その上にもこれを殺し肉を食い皮を用いなどするは、創持つ足の快からぬところから出で来った馬鬼の話が諸国に多い(『山島民譚』一参照)。それがまたことごとく人鬼にまねて作られ居る。

    例せばインドのギルハ鬼は水に住み人形無頭で、アーヴィングの『コロンブス伝』に頭なき幽霊騎馬した記事あり。以前四月二十四日の夜、福井市内に柴田勢の亡魂の行列あり、その大将騎馬にて首がなかった(『郷土研究』二巻九号、寺門氏報)。それから笠井氏の報告で名高くなった阿波の首なし馬の伝説があって、盗人に首をねられた馬の幽霊だ。

    また古スウェーデンの馬怪ネックは蒼灰色の美しい馬と現じて海浜にあり、その蹄後ろ向きになりいるので判る。人知らずして騎れば、たちまち海に飛び入り溺殺す(ボーン文庫本、ケートレイの『精魅誌フェヤリー・ミソロジー』一六二頁)。これは海驢、海馬などいう名が支那にも欧州にもあるごとく、遠見あたかも馬様に見える海獣(例せばセイウチ)の脚が鰭状ひれじょうを成して後ろを向きいるから言い出たであろうが、妖鬼の足が後ろ向きという事諸国に一汎で、たとえば『大宝積経』十三に、「妖魅反足の物」、百九に、〈地獄衆生、その足反りて後ろに向く〉、『傾城反魂香けいせいはんごんこう』の戯曲じょうるりに、熊野詣りの亡者あるいは逆立ち後ろ向き、これは今もこの辺で言う。

      『嬉遊笑覧』八に予言をなす者後ろ仏を持つとあり。一九〇六年版『南印度種俗記エスノグラフィク・ノーツ・イン・ザ・サウザン・インジア』に、ラカジヴ島の物だろうとて妖巫の足後ろ向きたる像を出す。

    支那やインドに堤を築くとか勝利を祈るとか馬を殺し沈めて祈る事多く、日本にもその例あったものか『近江輿地誌略』八五に、浅井郡馬川は洪水の時白馬出て往来人を悩ますという。『沙石集』『因果物語』等に馬を虐待してその霊に苦しめられた譚多い。されば馬が悪鬼となって返報するも無理ならず。欧州でも、地獄の大侯ガミギンは小馬の形といい、馬怪ルー・ドラペーは小児を百五十人までその尻に載せ去って復さずという。おもうに馬頭観音が明王観音両部に属し、あるいは温和あるいは大忿怒形を現わすは、半ばは馬が人を助くる善性、半ばはこれら馬鬼の悪性を取って建立された半菩薩半鬼王だからだろう。

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    「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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