鶏に関する伝説(その2)

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鶏に関する伝説インデックス

  • 概説

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     そこに書き洩らしたが加藤雀庵の『さえずり草』の虫の夢の巻に、千住の飛鳥あすかの社頭で毎年四月八日に疫癘えきれいはらう符というを出すに、桃の木で作れり、支那になろうたのだろうとある。『本草図譜』五九に田村氏(元雄か)説とて、日本で桃で戸守り符を作る事なき由を言えるも例外はあったのだ。さて桃木製の人形が人を画いた桃符に代ったとひとしく、鶏を磔に懸けたのが戸上に画鶏を貼り付けるに変わったのじゃ。何のために鶏を殺したかは、後に論ずるとして、鶏に縁厚い酉歳の書き始めに昔の支那人は元日に鶏をはりつけにしたという事を述べ置く。

     それから『荊楚歳時記』から引いた元旦の式を述べた上文、〈以て山※(「月+操のつくり」、第3水準1-90-53)悪鬼を辟く〉の次に、〈長幼ことごとく衣冠を正し、次を以て拝賀し、椒柏しょうはく酒を進め、桃湯を飲み屠蘇とそを進む云々、各一鶏子を進む〉とあって、註に『周処風土記』に曰く、正旦まさに生ながら鶏子一枚を呑むべし、これを錬形というとある。鶏卵を呑んで新年の身体を固めたのだ。

    それから『煉化篇』を案ずるにいわく、正旦鶏子赤豆七枚を呑み瘟気おんきを辟くとあるが、鶏卵七つも呑んでは礼廻りの途上で立ちすくみになり、二日のひめ始めが極めて待ち遠だろうから直ちに改造と出掛けたものか、『肘後方ちゅうごほう』には元旦および七日に、麻子、小豆、各十四枚を呑めば疾疫を消すとあって、卵は抜きとされおり、梁の武帝、厳に動物食を制してより、元旦に鶏卵を食うは全廃となったとある。

     鶏卵をめでたい物とする事西洋にも多い。グベルナチス伯の『動物譚原』二巻二九一頁にいわく、鶏卵天にありては太陽を表わす。白い牝鶏は金のひなを産むとて特に尊ばる。イタリアのモンフェラトではキリスト昇天日に新しい巣で生まれた卵は胃と頭と耳の痛みを治し、麦畑に持ち往けば麦奴の侵害を予防し、葡萄ぶどう園に持ち往けばその葡萄があられに損ぜずと信ぜらる。

    復活祭の節、キリスト教徒が鶏卵を食い相贈遺ぞういするに付いて、諸他の習俗、歌唄、諺話、欧州に多いが、要するに天の卵より雛の生まれ出るにキリストの復活を比べ、兼ねて春日の優に到ると作物の豊饒を祝うたのだ。古ギリシアやインドの創世紀は金の卵に始まり、世界は金の卵より動き始め、動くは善の原則たり、光明あり労働し利世する日は金の卵に生ず、故に一日の始めに卵を食うは吉相で、ラテン語のことわざにアブ・オヴォ・アド・マルム(善より悪へ)というはもと卵より林檎りんごへの義だ。

    古ラテン人は食事の初めに煮固めた卵、さてしまいに林檎を食ったので、今もイタリアにその通り行う家族多し、また古ギリシアの諺にエキス・オウ・エキセルテン、卵より生まるというは絶世の美人を指したので、その由来は、大神ゼウスがスパルタ王ツンダレオスの妻レーダに懸想し、天鵞に化けてこれをはらませ二卵を産んだ。その一つから艶色無類でトロイ戦争の基因たるヘレネー女、今一つから、カストルとポルクスてふ双生児が生まれたからだとあるが、天鵞形の神に孕まされて生んだ卵は天鵞卵で鶏卵でなかろう。何に致せグベルナチス伯の言のごとく、世界は金の卵から動き始める理窟だから、金の卵のはなしから書き始めようとしても、幾久しく聞き馴れた月並の御伽噺おとぎばなしにありふれた事では面白からず、因って絶体絶命、金の卵の代りにキンダマばなしからやり始める。

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    「鶏に関する伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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