鶏に関する伝説(その12)

鶏に関する伝説インデックス

  • 概説

  • (3の2)

     十六世紀に出たストラパロラの『面白き夜の物語』(ピャツェヴォリ・ノッチ)十三夜二譚は余未見の書、ソツジニが十五世紀に筆した物より採るという。人あり、百姓より閹鶏えんけい数羽を買い、ある法師、その価を払うはずとて伴れて行く。既に法師の所に至り、その人法師にささやき、この田舎者は貴僧に懺悔を聴いてもらうため来たと語り、さて、大声で上人即刻対面さるるぞと言うて出で行く。百姓は鶏代の事を法師に告げくれた事と心得、かの人の去るに任す。所へ法師来たので金を受け取ろうと手を出すと、法師は百姓に、ひざまずいて懺悔せよと命じ、自ら十字をえがき、じゅし始めた。

    これに似た落語を壮年の頃東京の寄席で聴いたは、さる男、吉原で春を買いて勘定無一文とは兼ねての覚悟、うま男を随えて帰る途上、一計を案じ、知りもせぬ石切屋に入りてその親方に小声で、門口に立ち居る男が新死人の石碑を註文に来たが、町不案内故通事つうじに来てやったと語り、さて両人の間を取り持ち種々応対する。用語いずれも意義二つあって、石切屋には石の事、附け馬には遊興の事とばかり解せられたから、両人相疑わず、一人は急ぐ註文と呑み込んで石碑を切りに掛かれば、一人は石を切り終って揚代あげだいを代償さると心得てつ内、文なし漢は両人承引の上はわれここに用なしと挨拶して去った。久しく掛かり碑を切り終って、互いに料金を要求するに及び、始めて食わされたと分るに及ぶ。その詐欺漢が二人間を通事することばなかなかうまく、故正岡子規秋山真之など、毎度その真似をやっていたが余は忘れしまった。今もそんな落語が行わるるなら誰か教えてくだされ。

     ストラパロラのくだんの話にある閹鶏えんけい、伊語でカッポネ、英語でカポンは食用のため肥やさんとて去勢された鶏だ。本篇はキンダマの講釈から口を切って大喝采を博し居るから、閹鶏のついでに今一つキンダマに関する珍談を申そう。一一四七年頃生まれ七十四歳で歿したギラルズスの『イチネラリウム・カムブリエ』に曰くさ、ウェールスのある城主が、一囚人の睾丸と両眼を抜き去って城中に置くに、その人、砦内の込み入りたる階路をことごとくよく記憶し、自在にその諸部に往来す。

    一日彼城主の唯一の子を捉え、諸の戸を閉じて高き塔頂に上る、城主諸臣と塔下に走り行き、その子をゆるさば望むところを何なりともかなえやろうと言うたが、承知せず、城主自ら睾丸を切り去るにあらずんばたちまちその子を塔上より投下すべしと言い張った。何とすすめても聴き入れぬ故、城主しかる上は余儀なしとて、睾丸を切ったような音を立て、同時に自身も諸臣も声高く叫んだ。その時、盲人城主にどこが痛いかと問い、城主腰が烈しく痛むと答えた。

    めくらと思うて人をだまそうとはしからぬと罵って、子を投げそうだから、城主更に臣下して自身をしたたか打たしめると、盲人また今度は一番どこがいたいかと問うた。心臓と答うると、いよいよ急ぎ投げそうに見える。ここにおいて父やむをえず、板額はんがくは門破り、荒木又右衛門は関所を破る、常磐御前とここの城主はわが子のために、大事な操と陰嚢ふんぐり破ると、大津絵おおつえどころか痛い目をしてわれとわが手で両丸くり抜いた。さて、今度はどこが一番疼むかと問うに、こたえて歯がひどく疼むというと、コイツは旨い。

    本当だ「玉抜いてこそ歯もうずくなれ」。汝は今後世嗣せいしを生む事ならず一生楽しみをけ得ぬから、余は満足して死すべしと言いおわらざるに、盲人、城主の子を抱いて塔頭より飛び降り、形も分らぬまで砕け潰れ終った。されば悋気りんき深い女房に折檻せっかんされたあげくの果てに、去勢を要求された場合には、委細承知はつかまつれど、鰻やスッポンと事異なり、婦人方の見るべき料理でない。あちらを向いていなさいと彼方を向かせ、卒然変な音を立て高くさけび、どこが一番疼いと聞かれたら、歯が最も疼むと答うるに限る。孟軻もうかの語に、志士は溝壑こうがくにあるを忘れず、勇士はそのこうべうしなうを忘れずと。余は昨今のごとき騒々しい世にありて、キンダマの保全法くらいは是非たしなみ置かねばならぬと存ずる。

     ベロアル・ド・ヴェルヴィユの『上達方』に、鶏卵の笑談あまたある。その一、二を挙げんに、マーゴーてふ下女、座敷の真中に坐せる主婦に鶏卵一つまいらする途中、客人を見て長揖ちょうゆうする刹那、屁をひりたくなり、つとめて尻をすぼめる余勢に、こぶしを握り過ぎて卵を潰し、大いにおどろいて手をゆるめると、同時に尻大いに開いて五十サンチの巨砲をとどろかしたが、さすがのしたたかもので、客の怪しみ問うに対してツイ豆をたべたものですからといったとある。

    その頃仏国でも豆は屁を催すと称えたのだ。全体この書は文句麁野そや、下筆また流暢ならず、とても及ぶべくもないが、古今名人大一座で話し合う所を筆記した体に造った点が、馬琴の『昔語質屋庫』にやや似て居る。たとえば医聖ガリアンが、ブロアの一少婦が子を産み、その子女なりと聞いて、女の子は入らぬ元の所へ戻し入れておくれといったは面白いというと、古文家ボッジュが、緬羊児を買いてその尾に山羊児の尾をいだというのがあって一層面白いという(ここ脱文ありと見え意義多少分らず)、アスクレピアデスは、牝鶏よく卵を生むと見せるため、その肛門に卵を入れ置いたをある女が買ったが、爾後一向卵を産まなんだと語る所がある。

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    「鶏に関する伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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