虎に関する史話と伝説民俗(その30)

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虎に関する史話と伝説民俗インデックス

  • (一)名義の事
  • (二)虎の記載概略
  • (三)虎と人や他の獣との関係
  • (四)史話
  • (五)仏教譚
  • (六)虎に関する信念
  • (七)虎に関する民俗
  • (付)狼が人の子を育つること
  • (付)虎が人に方術を教えた事

  • 虎に関する信念2)



     しかしながら人間と猛獣と生活の縄張りが追々接近するに伴れその害を受くる事甚だしく、ついに専ら恐怖をいだいて猛獣を神として祭りいけにえしてその害を避けんとするは自然の成り行きだ、『大英類典』インドの条にまた曰く「虎一たび人を食う癖が附くと殺害の夥しき事怖るべし、人を食う虎多くは老いて遠く餌を逐う能わざる奴で、食うためよりもただ多く殺すを目的とするらしい、一つの虎が百八人を三年間に殺し、また年に平均八十人ずつ殺した例がある、また一つの虎のために十三ヶ村人住まず二百五十方マイルために耕作すたった事もあり、また虎一疋が一八六九年中に百二十七人を殺し官道絶ゆる事数週、たまたま英人来ってこれを殺した。これらいずれも古くかつ稀有の例だが、インド人が虎を怖れ種々迷信を懐くも最もなりと察するに足る」と。その動物崇拝の条には、ヒンズー教でシヴァとその妻ズルガ二神虎と縁あれど、虎崇拝は野民諸族に行わるといえり、普通にシヴァ像は虎を印号としその皮を腰巻とし、ズルガは右足を獅の背に乗す、ネパル国には虎祭り(バグ・ジャトラ)あり、信徒虎装して踊る、ハノイと満州にも虎神あり、インドのゴンド人はワグ・ホバを、クルク人はバグ・デオを奉ず、いずれも虎神だ、ビル人またワギア(虎王)を祀るにあるいは石塊あるいは虎像を拝す、一英人ビル族二人藪の隅の虎王族を詈るを立ち聞くと「此奴こやつおれが豆とあつものと鶏を遣ったに己の水牛を殺しやがった」、「己は鶏三羽と山羊やぎ一疋遣ったに己の児を捉えくさった、この上まだ何ぞ欲しいか破落戸ごろつきめ」とわめきおったと(バルフォール『印度事彙』三)。神もかくなりては日本の官吏同様さっぱり値打ちがねえ、インド、ニールゲリ山間にわずか八百人ほど残れるトダ人は、男子に毛が多い事その他アイヌ人に近いという、水牛をうて乳を取るを専務とする、その伝説に昔は虎が昼間水牛を守り夜になって退いた、しかるに一日腹る事甚だしくついに腹立つ事甚だし、職掌柄やむをえず夕方水牛を村へ連れ帰る途上、猫に逢うて餌肉を少し分けてくれと頼むと、猫笑って※(「にんべん+爾」、第3水準1-14-45)なんじほどの愚物はあるまい、何故自分で番しおる水牛をわぬかと言った、これまで毎夜村に寝た虎がその夕森にき、夜中に村に入って水牛一つを盗みそれからいつも水牛を食う事となった(リヴァースの『トダ人族篇』四三一頁)。

    この書に拠るに以前はトダ人が虎に逢うと礼し、またトダ婦人は虎が殺された時その前に膝突き自分の額を虎の鬚に触れたらしい、インドのサンタル人は虎の皮に坐して誓うを最も重大の誓いとす、これは和歌山で以前小児の誓言に親の頭に松三本と言うを親が聞いて何の事と分らずに非常に叱った、し誓いをえたら親が死んで土に埋り腐って松三本生えるという意と聞いたごとく、サンタル人はもと虎を祖先と信じたのかと思う。

    淵鑑類函』三二〇に『河図かと』を引いて五方の神名を列ね、西方白帝神はくていしん名は白招拒はくしょうきょ、精を白虎びゃっこすといい、『文選』を見ると漢朝神虎殿あり、『山海経せんがいきょう』に崑崙山の神陸吾りくご虎身九尾人面虎爪、この神天の九部と天帝の囿時ゆうじを司ると見え、『神仙伝』(『淵鑑』二七に引く)に山陽の人東郭延、仙道成りて数十人虎豹に乗り来り迎う、親友に別れていわく崑崙山に詣るとあるから、崑崙山の神は虎と人の間種あいのこごときもので虎豹を使うたのだ、予往年南ケンシントン博物館の嘱託に依ってペレスフォード卿(?)が買うて来た道教諸神の像を竹紙へ密画極彩色にしたのを夥しく調べたが、竜と虎を神にしたのが甚だ多かった。

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    「虎に関する史話と伝説民俗」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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