田原藤太竜宮入りの話(その17)

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田原藤太竜宮入りの話インデックス

  • 話の本文
  • 竜とは何ぞ
  • 竜の起原と発達
  • 竜の起原と発達(続き)
  • 本話の出処系統

  • (竜とは何ぞ6)

     かく竜てふ物は、東西南北世界中の大部分に古来その話があるから、東洋すなわち和漢インド地方だけの事識れりとて、竜の譚全体を窺うたといわれぬ、英国のウォルター・アリソン・フィリップ氏の竜の説に、すこぶる広く観て要を約しあるから、多少拙註を加えて左に抄訳せり。

    ついでに述ぶ、前節に相師が妙光女を見て、この女必ず五百人と交わらんといった話を述べたが、一八九四年版ブートン訳『亜喇伯夜譚補遺サップレメンタリー・ナイツ』一にも、アラビアである女生まれた時、占婦ぼくしてこの女成人して、必ず婬を五百人に売らんと言いしがあたった事あり、わが邦にも『水鏡』恵美押勝えみのおしかつ討たれた記事に
    「また心き事はべりき、その大臣の娘おわしき、いろかたちめでたく世に双人ならぶひとなかりき、鑑真がんじん和尚の、この人千人の男に逢ひ給ふ相おわすとのたまはせしを、たゞ打ちあるほどの人にも座せず、一、二人のほどだにもいかでかと思ひしに、父の大臣討ち取られし日、御方みかたいくさ千人ことごとくにこの人を犯してき」、
    いずれも妙光女の仏話から生じたらしいと、明治四十一年六月の『早稲田文学』へ書いて置いた。

    『呉越春秋』か『越絶書』に、伍子胥ごししょ越軍を率いて、その生国なる楚に討ち入り、楚王の宮殿をかすめた時、旧君たりし楚王の妃妾を強辱して、多年の鬱憤を晴らしたとあった。『将門記しょうもんき』に、平貞盛たいらのさだもり源扶みなもとのたすく敗軍してその妻妾将門まさかどの兵に凌辱せられ、恥じて歌詠んだと出づ。強犯されて一首をくちずさむも、万国無類の風流かも知れぬが、昔は何国いずくも軍律不行届ふゆきとどきかくのごとく、国史に載らねど、押勝の娘も、多数兵士に汚された事実があったのを、妙光女の五百人に二倍して、千人に云々と作ったのであろう。


     フィリップ氏曰く、竜の英仏名ドラゴンは、ギリシアにドラコン、ラテンのドラコより出で、ギリシアのドラコマイ(視る)にちなんで、竜眼の鋭きに取るごとしと。ウェブストルに、竜眼怖ろしきに因った名かとある方、まされりとおもう。

    例せば上に引いたペルシアの『シャー・ナメー』に、竜眼を血の湖に比べ、欧州の諸談皆竜眼の恐ろしきを言い、殊に毒竜バシリスクは、蛇や蟾蜍ひきがえるが、鶏卵を伏せかえして生ずる所で、眼に大毒あり能く他の生物をにらみ殺す、古人これを猟った唯一の法は、毎人鏡を手にして向えば、彼の眼力鏡に映りて、その身を返り、やにわに斃死へいしせしむるのだったという(ブラウン『俗説弁惑プセウドドキシア・エピデミカ』三巻七章、スコッファーン『科学俚俗学拾葉ストレイ・リープ・オヴ・サイエンス・エンド・フォークロール』三四二頁以下)。

    シュミットの『銀河制服史ゼ・コンクエスト・オヴ・ゼ・リヴァー・プレート』に、十六世紀に南米に行われた俗信に、※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)がく井中にあるを殺す唯一の法は鏡を示すにあり、しかる時彼自分の怖ろしき顔を見て死すとあるは、くだんの説の焼き直しだろ。わが邦にも魔魅まみ蝮蛇まむし等と眼を見合せばたちまち気を奪われて死すといい(『塵塚物語』三)、インドにも毒竜視るところことごとく破壊す(『毘奈耶雑事』九)など説かれた。

    フ氏曰く、竜は仮作動物で、普通に翼ありて火を吐く蜥蜴とかげまた蛇の巨大なものと。まずそうだが、東洋の竜が千差万別なるごとく、西洋の竜も記載一定せぬ、

    中世英国に行われたサー・デゴレの『武者修行賦』から、その一例を引かんに、ここに大悪竜あり、全身あまねく火と毒となり、喉ひろく牙大にしてこの騎士を撃たんとすすむ、両足獅のごとく尾不釣合に長く、首尾の間確かに二十二足生え、酒樽に似て日に映じて赫耀かくようたり、その眼光りて浄玻璃じょうはりかと怪しまれ、鱗硬くして鍮石しんちゅうを欺く、また馬様のくびもと頭をもたぐるに大力を出す、口いきを吹かば火焔を成し、そのさま地獄の兇鬼を見るに異ならず(エリス『古英国稗史賦品彙スペシメンス・オヴ・アーリー・イングリッシュ・メトリカル・ローマンセズ』二版、三巻三六六頁)、

    フ氏続けていわく、ギリシア名ドラコンは、もと大蛇の義神誌に載せ、竜は形容種々なれど実は蛇なり。カルデア、アッシリア、フェニキア、エジプト等、大毒蛇ある諸国皆蛇また竜を悪の標識とせり、例せばエジプト教のアポピは闇冥界の大蛇で、日神ラーに制服され、カルデアの女神チャーマットは、国初混沌の世の陰性を表せるが、七頭七尾の大竜たり。ヘブリウの諸典また蛇あるいは竜を死と罪業の本とて、キリスト教の神誌これを沿襲せり。

    しかるにギリシア、ローマには一方に蛇を兇物として蛇髪女鬼ゴルゴー九頭大蛇ヒドラ等、諸怪を産出せる他の一方に、竜種ドラゴンテスを眼するどく地下に住む守護神として崇敬せり。例せば医神アスクレピオスの諸祠の神蛇、デルフィの大蛇、ヘスペリデスの神竜等のごとしと。熊楠バッジ等エジプト学者の書を按ずるに、古エジプト人も古支那と同じく、竜蛇を兇物とばかり見ず善性瑞相ありとした例も多く、神や王者が自分を蛇に比べて、讃頌したのもある。

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    「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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